434話 ベルローゼ、精霊からの恩恵
「何とか言ってみたらどうなのですかっ──」
この時、アタシは女中から衝撃の告白をされ。まさに頭が真っ白になって放心状態で、お嬢へ何の反応も出来なかったのだが。
アタシに無視されたと思い、掴み掛かろうと伸ばしたお嬢の腕を。
「な、っ⁉︎」
「いい加減にしなさいな」
横から出てきた少女の小さな手が遮り、逆にお嬢の手首を掴んでいく。
突然の出来事に、口から驚きの声を発したお嬢だったが。
「ぶ、無礼な……その手を離しなさいなっ!」
貴族としての矜持なのか。
自分の手を掴んだ相手が何者なのかを確かめるよりも先に、己の行動を邪魔された憤りを露わにし。
掴まれた腕に力を込めて、少女の手を振り解こうとする。
しかし、見た目には小さな手なのに。「聖騎士」であるお嬢がいくら腕に力を込めても、掴んでいた指が離れる気配は一向になく。
お嬢の顔に焦りが浮かぶ。
「ま、まさか……この手はっ」
お嬢が、アタシに掴み掛かるのを阻止した人物を敢えて確認しなかったのは。おそらく帝国貴族であるお嬢は、周囲にいる人間を「自分よりも格下だ」と考えていたからだろうが。
唯一の例外、帝国貴族よりも。いや、人間である以上、この場にいる誰よりも高位の存在がいる事をすっかり失念していたのだ。
お嬢が横を向き、腕を掴んだ相手を視界に捉えると。
そこには予想通りの緑髪の美少女が。大樹の精霊が立っていたのだから。
「アズリアは今、ちょっと手が離せないのよ。話なら、私が代わりに聞いてあげるわ。アズリアの保護者である、この私がね」
「せ、精霊様が……アズリアの、保護者……ですって……」
つい先程、カムロギの仲間に蘇生魔法を発動させた際。お嬢には簡単に、アタシと師匠との関係を説明してはいた。
だから今のお嬢が見せた反応は、初めて聞いた内容に驚くものではなく。彼女の顔に浮かんでいた感情は寧ろ、嫉妬に近しいものであった。
「な、なんて……羨ましい……っ」
思わず、お嬢の口から漏れ出た言葉を、大樹の精霊は聞き逃さなかったが。
「ん? 今、何か言ったかしら?」
「い、いいえっ! 私は何も言ってませんわっ、ええ神に誓って何も!」
あくまで口から漏れたのは無意識であり、本心からの言葉でもあった。
だからこそ、いくら高位の存在である精霊とはいえ、他人に本当の気持ちを悟られるわけにはいかないお嬢は。今、自分の口から漏れた言葉を全力で否定し始めた。
……側から見れば。
必死に自分の発言を何の根拠もなしに感情のみで否定する様は。逆に発言に信憑性を持たせる行動にしか取れないのだが。
「まあ、確かにそれはどうでもいい事ね。それよりも、私はあなたにやっておく事があるのよ」
さすがは精霊、お嬢の反応に何も興味を示さず。淡々とした口調で、お嬢の手首を掴んだまま。
何と、お嬢を名指しで要件がある、と話し始めたのだ。
貴族として様々な分野の勉学に励んでいたお嬢は、当然ながら精霊についても知識は修めているだろう。
だが、知識はあっても経験があるかと言えば、それは全く別の話。お嬢はこれまでに、精霊と呼ばれる存在とはただの一度も遭遇した事はなかった。
だからこそ、目の前の大樹の精霊が自分に如何なる要件があるのか。全くの想像が出来なかったようで。
「は? せ、精霊ともあろうお方が、私に?」
「そう、あなたによ。あなたがベルローゼ・デア・エーデワルトで間違いなければ」
「そ、それは……間違いなく、私ですわね」
誰かと勘違いしている可能性も捨て切れなかったためか、今一度。大樹の精霊へと聞き返すも。
一字の間違いもなく、自分の名前を呼ばれてしまった時点で最早疑う余地はない。
すると、先程までアタシに精霊に、表情を一喜一憂し、落ち着きのない態度だったお嬢は。
まるで開き直ったかのように冷静さを取り戻し。まるで別人かと思える程、一段大人びた口調で対応をし始める。
「では……あらためて。私に何の要件があるというのですか、精霊様?」
「……そうね。まずは、あなたの良い話を反故にしてしまった事を、詫びなければ……と思ってね」
「は?」
お嬢が呆気に取られてしまうのも当然だった。
何しろ、お嬢の記憶の中には、マツリのように大樹の精霊と何かしらの契約をした覚えはなかったのだから。
──という事は。
お嬢の頭に閃いたのは。
「それは……アズリアがこの場から消えた話と、何か関係があるのですね」
先程、マツリが大樹の精霊との契約を結んだ事で、急速に大きく成長した精霊樹。
その太い幹に開いた空洞に入っていったアタシや精霊、そしてフブキやユーノがこの場から消えてしまった出来事。
「さすが、察しがいいわね。それとも、アズリアが絡んだから勘が働いたのかしら」
「……な、っ!」
折角、冷静さを取り戻し公爵としての立派な顔付きを見せたばかりだというのに。
師匠の言葉で再び動揺し、整えたばかりの表情を一瞬だけ崩すも。
「あ……コホン。そういう話はいいですから、まずは本題をお願いしますわ──精霊様?」
先程のように取り乱しはせず、咳払いを一つすると。再び何事もなかったかのように真顔へと戻り、会話の続きを促していく。
言葉の最後辺り。語気に若干の敵意が込もっているように思えたが。
「そうね。それじゃ──」
物騒な言葉を、まるで気にする素振りも見せずに受け流す師匠は。一度、お嬢の腕を掴んでいた手を離すと。
開いた両手を胸の前で叩き合わせ、パン!と甲高い音を打ち鳴らし。
打ち合わせた掌が離れると。
マツリが契約を受け入れた時と同様に、先程まで何もなかった空間に一本の若木の苗が現れた。
「こ、これは……」
「そうよ。マツリに渡したのと同じ、精霊樹の苗木」
大樹の精霊の手の中に召喚された、もう一本の精霊樹の若木の苗を。
何と、お嬢へと手渡していく。
「さっきも言ったけど、これはあなたの提案を台無しにしてしまった詫びの気持ちよ。ありがたく受け取りなさい」
「ま、待って下さいな、精霊様っ。わ、私、まだ完全に事情が飲み込めておりませんわ? せめて、事情を説明して下さいましっ!」
お嬢は先程、精霊の魔力で精霊樹が成長した事で。マツリが統治するカガリ領に豊穣が約束された瞬間を、己の目で見ていただけに。
契約を結んでいない自分が、植えた場所一帯の豊穣を約束される効果がある精霊樹を入手出来た喜びよりも。
何故、大樹の精霊がそのような貴重な一品をお嬢に譲ったのかという疑問が大きく勝ってしまい。
抱いた疑問、そしてアタシが姿を消した理由について。語気を強めて、精霊樹の苗木を手渡したばかりの大樹の精霊へ問い掛ける。
「あら。とっくに理解したいたものとばかり思っていたけど。アズリアと違って……意外に鈍いのね、あなた」
だが、精霊はお嬢の質問に答えるよりも先に。
いまだ正解に辿り着けていないお嬢へと、嘲るような視線と。明確にアタシと比較をする言葉を口にしたのだ。




