433話 アズリア、白薔薇姫の真意
「何、私から目を逸らしているのですか! しっかりこちらを向きなさいなっ!」
「う、おッ?」
すると、目の前のお嬢が突然、両腕を伸ばして左右からアタシの頭を掴むと。お嬢から逸らした顔の向きを、強引に真正面に戻してくる。
その結果、アタシの視界にもう一度お嬢が映るのだが。
「お、おい、お嬢……それッ?」
目から入ってきた情報にアタシは驚く。
つい今、口から飛び出た強気な台詞とは真逆に。目の前にいたお嬢は、言葉通り怒りながらも。目に涙を溜めていたからだ。
しかし、目に浮かぶ涙にアタシが気付いた反応を見せてしまったにもかかわらず。その涙をお嬢が拭う仕草も見せず。
「この涙は……私が姿が消えたお前を、本当に心配した、その証ですわ」
「お嬢が、心配? このアタシを?」
お嬢の口から出た言葉に、アタシは耳を疑った。
まさか目に涙を浮かべた状態で嘘を吐ける程、お嬢が器用な性格には思えない。だとすれば、今の言葉は間違いなく本心からという事になる。
しかし、幼少期には公爵令嬢という権力を背景に周囲の人間を扇動してまで。アタシを虐げてきた過去がある。何故、アタシに固執していたのかは謎なのだが。
さらには砂漠の国で一〇年以上ぶりの再会を果たした際も。お嬢はアタシに即座に剣を抜き、斬り掛かってくる程だ。
過去の行動でアタシの中にあった、お嬢という人物像と。アタシを心配し涙を浮かべる目の前のお嬢とが、まるで一致せず。
アタシはすっかり困惑してしまっていた。
「いやいやいやッ……涙くらいじゃアタシは。だって、目の前にいるのはあのお嬢なんだぜ?」
今、目の前で涙を浮かべながらアタシを心配した、というお嬢の言葉は。おそらくは虚偽でなく真実なのだろう。
だが、やはり過去にアタシが受けた暴言や横暴な命令、そして集団を扇動しアタシを孤立させたのも間違いなく事実なのだ。
次にどう反応してみせたら正解なのか、アタシがお嬢に対する次の一手に躊躇いを見せていると。
「──アズリア様」
「う、うおおッ! あ、アンタは確かッ……お嬢の護衛をしてる……」
突然、背中側から名前を呼ばれ。先程、お嬢の涙を見た時と同様に驚いてしまったが。
どうやら背後にいた声の主は、お嬢に同行していた女中のようだ。確か、名前はセプティナ。
その女中は、確かに背後にこそいたものの。すぐ傍にまで接近しているわけではなく、数歩程離れた位置で片膝立ちの体勢で控えていた。
にもかかわらず、小声で話し掛ける会話が耳で拾える、という奇妙な状況に一瞬だけアタシは疑問を感じたが。
「……そうか、魔法かッ」
「正解です。この会話は、お嬢様には聞こえないように『囁きの風』の魔法でアズリア様の耳を繋がせて貰っていますので、ご安心を」
今、女中が使った「囁きの風」という魔法は。術者の声を離れた位置の対象に届け、小声での会話を可能とするものだ。
つまり、「囁きの風」を発動してまでアタシに声を掛けてきた、という事は。これから女中が話すのは。主人であるお嬢には聞かれなくはない内容なのだろう、と推測するアタシだったが。
「アズリア様と再会を果たした時、お嬢様は『あなたを追って来た』と言いましたが」
「ああ、確かに言ってたねぇ……公爵様がわざわざ帝国から離れたこの国まで、ホントにご苦労なこった」
女中の言っている事は本当だ。最初、その話を聞いて、まだ幼少期の頃からアタシに固執しているのかと少し辟易としたし。
もしくは半年前に、お嬢が属する帝国が大敗を喫した「ホルハイム戦役」の。その責任をアタシに負わせるべく帝国側から派遣されてきた、とも邪推もしたが。
その後、アタシらに同行し。魔竜を相手に生命を賭けてまで共闘した事実が。お嬢らへの疑惑を薄れさせていったが。
実はあの時の疑問、何故に白薔薇公爵家の当主となったお嬢が。この国までアタシを追って来たのかという解答は、まだ本人の口から聞けていなかったからだ。
その問いに、お嬢に代わり回答する女中。
「アズリア様。お嬢様は、あなたに過去の自分の過ちを謝罪したい……その一心で、このような辺境の地にまであなたを追い掛けたのです」
「──……へ?」
お嬢らがこの国までやって来た理由、それを聞いたアタシの口から間の抜けた声が漏れた。
その後、一瞬だけ思考が停止する。
「あのお嬢が……アタシに、謝罪だって……?」
言葉を失って放心していたアタシに構わず、女中はさらに「囁きの風」による言葉を続ける。
「──アズリア様がお嬢様に好意的でないのは理解しています。ですが、今回ばかりはこの地まであなたを追って来たお嬢様の熱意を、どうか汲んでは貰えないでしょうか」
アタシは今聞いた女中の言葉を、頭の中で数度反芻する。
と同時に「謝罪」と聞いて思い返されるのは、砂漠の国での出来事だ。
「それって逆に……アタシに謝罪させる気なんじゃないのかねぇ……」
一〇年以上ぶりの再会を果たしたお嬢と、街中で剣を交える羽目となったアタシだったが。
実戦経験の違いからか、観衆の前でお嬢を圧倒し、敗走させたのだが。
その後、お嬢が砂漠の国まで訪れていた理由が、隣国ホルハイムを南北から挟撃する要請だと知ったアタシは。後日、お嬢の元を訪ね、要請を取り下げる代償として地面に額を擦り付けながらの謝罪を強要されたのだ。
だからからか。
アタシは、女中の言葉に即答する事が出来なかった。
◇
「ちょ、ちょっとアズリアっ! な、何ですのっ……この私が話し掛けているのに、何も反応を返さないなんて……っ」
呆然としたアタシの前で、語気を強めていくお嬢。
実は、セプティナの言葉を聞いたアタシが放心状態に陥っていたのは、一瞬ではなく。それなりの時間が経過していた。
その間、お嬢がアタシに呼び掛けたのは一度や二度ではなかった。しかし、放心していたアタシはお嬢の声に反応出来ず。結果、ここまで語気を荒げていた、というわけだ。
「……って、真面目に私の話を聞いているんですのっ⁉︎」
さすがに三度目の、しかも語気を荒げた言葉まで無視されたお嬢は。アタシの肩に直接掴み掛かり、身体を揺らそうと試みる。
「お、おねえちゃんになにすんだよっ──」
お嬢が掴み掛かろうと腕を伸ばした瞬間。
その動きを素早く察知したユーノが、お嬢を止めようと足を引いて腰を落とし、跳躍する姿勢を取るが。
「だ……駄目よユーノ、邪魔しちゃっ⁉︎」
「は、はなしてよフブキっ、だってあのえらそうなくるくるがみをとめなきゃ」
すぐ隣にいたフブキは、ユーノが何をしようとしてたのかを一瞬遅れて理解し。
お嬢へと飛び掛かろうとするユーノを阻止するために、隣にいた少女の小さな腰に両腕を回して抱き着き。
何とかユーノの暴挙を制止するのに成功する。
「大丈夫よユーノ。だって──」
フブキが邪魔したのは、加減を知らないユーノが下手に刺激をしては。まとまる話が拗れるのを危惧したからだが、もう一つ。
緑髪の美少女がユーノより先に動いたのが、視界に入ったからだった。
「囁きの風」
風属性の中級魔法の一つで。対象の、特に口と耳の周囲とを周囲とは違う空気の流れとなるように連結し、離れた人間と通常の音量での対話を可能にし。会話が周囲に漏れる事もない。
この魔法の欠点は、声を発した相手に隣接していれば会話が拾えてしまう事と。通常なら数十歩程度、熟達した術者でも目に届く距離以上に離れると効果が喪失してしまう点だ。
効果範囲の狭さと隠匿性の不確実さ、そして習得や発動時の難易度から、この魔法を好んで習得する人間は少ない。




