423話 アズリア、精霊に手を引かれ
「ふ……フブキ、っ!」
突如として目の前に出現した巨大な樹に、理解が追い付かずに唖然としていたマツリだったが。
泣き崩れたフブキを見て、慌てて妹に駆け寄るマツリは。悲しみではなく、歓喜の涙を流す妹の頭を撫でながら。
「せ、精霊様っ……妹フブキ共ども感謝します。この国を救っていただき、本当にっ……」
魔法では説明のつかない何かしらの手段で、精霊樹を一瞬に成長させた大樹の精霊に感謝の言葉を口にしたマツリ。
彼女は、自分が契約を結んだ事で。精霊樹の魔力がこの国の大地に行き渡り、土が徐々に痩せ衰えていく現象を止められる。てっきりそう思っていたが。
「あら? 勘違いしないで欲しいわね。私とこの精霊樹が力を分け与えるのは、あなたの領地だけよ」
「──え」
感謝の言葉を受けた精霊の返答に、マツリは驚くが。
さらに驚くのは、先程まで確かに精霊樹に触れる位置にいた師匠が。いつの間に、マツリの眼前に立っていた事にだ。
「え? さ、さっきまで……」
「当然でしょ。私が契約をしたのは、この国じゃなくて……あなたなんだから」
音もなく接近していた師匠は、説明を続けながらマツリの胸を指差していく。
「た、確かにそうですが……何だか、複雑な気持ちです……」
自分の領地は確かに救われるものの、カガリ家の領地外の土地の衰退は変わらずと師匠の口から聞かされ。
フブキを落ち着かせながらも、困惑の表情を見せていたマツリ。おそらくは、精霊樹の恩恵が届かない領地の外を思っての憂いの感情なのだろう。
その時アタシは、何故に師匠がマツリとお嬢、互いに統治する領土を持つ二人の会話に割り込んでいったのか。
精霊の意図を、初めて理解出来たのだった。
「も、もしかして師匠は、最初からコレが狙いで、ッ……」
アタシだけでなく師匠も、マツリの決意を聞いていた。
この国を八つの領地へと分割し、「八葉」と呼ばれる八つの家が統治する支配構造。マツリが当主であるカガリ家を、その八葉から。この国の支配構造から離れるという決断を下したのだが。
カガリ家が八葉から離脱した、という事実が広まり。この国を統治する支配層に知られれば。当然、ただでは済まないだろう。
過去、隣接する他の八葉からの侵略があったとフブキから聞いていたように。
今、まだ魔竜との交戦の損害が癒えない内に。離脱の話を聞き付けた他の八葉が、攻撃を仕掛けてくるかもしれない。
だからこそ師匠は。先手を打ってカガリ領を丸々、精霊が守護する場所として認定するために。マツリに「精霊との契約」を持ち掛けたのだ。
そしておそらくは、お嬢が統治する白薔薇公爵領との関係を結ぶよりも前に。
一連の師匠の行動、その意図をアタシは勝手に想像し。師匠へと視線を向けると。
丁度こちらを見ていたのか、マツリと言葉を交わしていた筈の師匠と目線が合い。
「んふふ、どうアズリア? 上手くいったでしょ?」
それ見たことか、と言いたそうに得意げに、歯を見せた笑顔を浮かべてくる師匠。
見た目だけならば、今の師匠はアタシよりも遥かに歳下の少女の姿をしているだけに。
そんな少女の顔で得意げな笑顔を向けられると、いくら精霊という正体を理解してはいても。少しは苛立ちもするのだが。
今回ばかりは、魔剣にフブキの加護、ユーノらの負傷の治癒にイチコらの蘇生。駄目押しにマツリとの契約と精霊樹の提供──とくれば。
「……ああ。さすがは師匠、畏れ入ったよ。もう今回は助けられてばっかしだねぇ」
一度、マツリとお嬢との会話に割り込むのを「邪魔」と言い切ってしまった手前。
マツリの懸念を全部取り除いてくれた師匠の提案には。アタシもただただ兜を脱いで、師匠と呼ぶ存在にあらためて敬意を抱かずにはいられなった。
「でしょ? ならもっと褒め讃えなさいなアズリアっ」
「い、ッ⁉︎ いつの間にッ?」
すっかり感心していたアタシだったが。師匠は感謝の言葉や態度だけでは飽き足らなかったのか。
瞬きをした途端、師匠はマツリの前からアタシの眼前に立っていたのだ。
先程まで目線は合っていたものの、まだアタシとの距離は開いていた筈だったにもかかわらず、だ。
「う、嘘だろッ? アタシゃ、さっきと違ってずっと見てたってのに……全然、師匠の動きが見えなかったぞ……」
マツリの目前へと迫った時は、アタシも然程注意を払っていたわけではなかったため。師匠の動きを不思議に思いはしなかったが。
今は違う。
これでもアタシは非戦闘員であるマツリとは違い、強敵との連戦で生き残る程度の実力はあると自負していた。
そのアタシが、移動の瞬間。初動や動きの軌道をマツリの時に続き、またもや確認する事が出来ず。こちらの懐へと難無く踏み込んできたのだから。
「だって」
「お、おいッ? 何で手を掴むんだよッ!」
困惑の感情を隠せないアタシだったが、そのせいで反応が遅れ。間近にまで迫った師匠の手が伸びて、手首を掴まれる。
そのまま師匠に掴まれた手を引っ張られ、進む先には精霊樹が。
「ねえアズリア。まさか私が、ただこの地を救うためだけに精霊樹を生やしたとでも思ってるわけ?」
「い、いやッ? そ……それ以外に理由なんかッ──」
師匠から問い掛けられた理由に、アタシは一つ思い当たる事はある。いや……あるにはあるのだが、決して師匠に知られてはならない理由があった。
アタシが想定した理由とは、まだカガリ領が精霊樹の恩恵によって救われるよりも前の状況での推論。この国に、大陸までの長い海路を耐え得るだけの頑強な船がない、という問題の解決のため。
精霊樹を船を建造するための木材として利用する、という禁断の発想だったからだ──が。
「ふう──ん」
さすがに口には出来ないため、頑なに口を閉ざしているアタシの顔をジッと覗き込む師匠。
動揺する心を何とか鎮め、アタシは心を強く持つ。もし師匠が「心を読む」魔法を使いでもしたら、口を閉ざそうが無駄に終わってしまうからだ。
「……ふぅ。わかった、もういいわ」
すると、師匠の口から溜め息が一つ漏れたと同時に、凝視していたアタシの顔から目を逸らした。
どうやら追及を諦めてくれたようだ。アタシは禁断の発想を師匠に知られずに済んだ事に、ホッと安堵していたが。
「どうせアズリアのことだから、あれだけ立派な樹なら良い木材になるんじゃないか……なんて考えてたんでしょうけど。違う?」
「──ぶッ、ッ⁉︎」
安心した途端に、師匠からまさにアタシの頭に一度は浮かんだ通りの発想を言葉にされ。
安堵した心の隙間、思いもよらず不意を突かれ。不覚にも激しく動揺し、噴き出してしまったアタシ。
「な、ななな、な、何の話だってんだいッ?」
だが、どうやら師匠の口調から察するに確定ではない。アタシは何とか否定をしようとするも。
動揺した今の心理状態では、何をしても慌てふためき、余計に師匠の疑惑を深めるだけだった。
「……わかりやすすぎるわよ、アズリア」
現に、連続したアタシの態度と反応に。師匠は呆れたような表情を浮かべている。




