422話 アズリア、精霊樹の降臨を見届ける
今、アタシらがいるのは三つの門で閉ざされた城壁の最内側だが。周囲には主要な建物がない、ある程度開けた場所であったが。
しばらく辺り一帯を歩き回っていた師匠は。
時に爪先で地面を削ってみせたり、時にはその場に屈み込んで地面に手を当てたりと。不思議な動作を繰り返していた。
「だけど、ありゃ何をしてるのかねぇ……?」
疑問に思ったら本人に聞け、と先程フブキに説いたばかりのアタシは。自分が吐いた言葉に従い、芽生えた疑問を師匠へとぶつけていく。
「な、なあ師匠ッ……何、やってるのか、聞いてもイイかい?」
「え? ああ、これはね。地面の下に流れてる魔力を調べてるのよ」
「魔力の、流れ──あ、そっか」
地面を触る動作を続けながらの師匠の返答に、アタシはある結論に達した。
立派に成長すれば、シルバニア王都にあった精霊樹のように。この世界と精霊界とを繋ぐ入り口が開く……とあっては。
成長にはさぞ大量の魔力が必要となるに違いない。だから師匠は、地面の魔力が大きな場所を探していたのだろう、と。
しかし、自分なりの結論に辿り着き、またもや表情に出ていたのか。アタシの顔を凝視していた師匠が一言。
「……あのねアズリア。何を想像したのか知らないけど。私を事情も理解出来てない馬鹿だと思ってる?」
「え? そりゃ、どういう意味だっての?」
すると、地面を触った時に手に付着した泥や砂をパンパンと両手を叩いて払い落としながら。呆れた表情で一度溜め息を吐いた後、呆れた理由を説明し始める。
「言葉通りの意味よ、まったく。言っておくけど……大地が痩せ衰えていくって聞いたのに、その魔力を消費しようとする程、私は馬鹿じゃないわ」
「──あ」
師匠の説明を聞いて、ようやくアタシは自分が導き出した回答が間違えていた事を理解する。
確かに師匠が言う通り、アタシの推論ならば。精霊樹が成長するために必要な膨大な魔力を、周囲一帯から吸い上げてしまい。大地を豊かにするどころか、より一層衰退を早めてしまう結果になるだろう。
「考えてみりゃ、そりゃそっか」
「むしろ逆よ、逆。今、私は立てた精霊樹が大地の魔力の流れを阻害しない場所を選んでるんだから」
だから師匠は、先程のアタシの推論とは真逆の発想。
この地の魔力をこれ以上消耗させないため、魔力の流れを確認し続けていたというわけだ。
説明に納得したのと、間違えた答えに至ってしまった気恥ずかしさで。再び師匠の地面の魔力を調べる動作を黙って見守ることにしたが。
ふと、ある地点に辿り着いた途端。師匠の足がピタリと止まる。
「──ふむ。ここが一番、条件に合ってそうね」
そう師匠の口から言葉が漏れた、次の瞬間。
つい先程まで何もなかった緑髪の美少女の胸の前の空間に、一本の若木の苗が突如として出現した。
師匠は、現れたばかりの苗木を手に取ると。さほど力を入れている様には見えない動作で、手にした苗木を地面へと植えていく。
「それにね、成長のための魔力……って心配が、そもそも不要なのよ。見てなさいなアズリア」
すると、後方で樹を植える様子を黙って見ていたアタシへと振り返った師匠は。片目のみを可愛らしく一瞬閉じて、合図のような動作をしてみせると。
今、地面に植えたばかりの苗木がみるみる伸び始め、枝や幹が大きく膨らんでいき。
通常であれば五年、一〇年は必要とされる樹の成長が、アタシらの目の前で急速に起きたのだ。
樹の表皮が剥がれ、生え変わるのを繰り返していたためか。木や枝が折れる時の破砕音や、潰れて壊れる際の破壊音などが絶え間なく周囲に鳴り響く。
「えええぇぇええっ⁉︎」
「な、何だいこりゃ⁉︎」
「い、いきなり木が、立ちやがった……だって?」
突然、樹が巨大に成長した状況に。さすがに会話に参加していなかった他の連中、カムロギやその仲間、そしてユーノやヘイゼルも一様に驚きの反応を見せ。
全員がただ唖然とし、樹が急速に成長し続ける様から目が離せなくなってしまう。
「キレイな……緑の葉が、こんなに」
気が付けば、空高く成長した樹の頭頂部は、地面にいるアタシらからでは確認出来ない程に。
地面に植えた時には、指一本程度の太さしかなかった幹は。今やこの中で一番体格が大きいアタシですら、両腕を回しても足りない程の太さへと成長し。
その幹から四方八方へと伸びた枝木と、枝から生い茂った緑の葉で空は覆われ。今アタシらが立っている位置から空を仰ぐことが出来なくなっていた。
それ程の巨大な樹が、アタシらの目の前に突如として出現したのだ。
全員が驚くのも当然だろう。
そもそも、植物を急速に成長させる「成長促進」の魔法でも、短縮出来るのは精々一月程度の期間であって。
本来なら数年を必要とする、苗から巨木にまでの過程を一瞬に短縮する等という効果を発揮するのは「成長促進」では到底不可能だ。
そう、人間が開発し、人間が発動する……という前提ならば。
「笑ったり叱られたりしてると、つい忘れちまいそうになるけどさ。師匠って、ホントに精霊なんだよなあ……」
先に、カムロギの仲間六人の失われた生命を復活させた蘇生魔法もそうだ。
人間よりも高位の存在、世界にたった一二体しか存在しない精霊だから扱える力ならば。数年、数十年は必要とする樹の成長を一瞬にまで短縮する事が可能なのだろう。
「……あ。音が、止んだ」
成長止まらぬ樹から鳴り響いていた破砕音が、突如として停止した。
それはつまり、樹の成長も止まったという合図なのだろう。
「さ。私の可愛い精霊樹、新たに領域となったこの地に、大樹の精霊の恵みを与えて頂戴」
師匠がそう告げた途端、目の前に大きくそびえ立った精霊樹の根本から。無数の緑色の光の線が現れ、地面の四方へと奔る。
光の線が描くのは直線ではなく、一本ですらない。曲線を描いたかと思えば、途中で二つ、三つに先端が分離し。周囲一帯に広く拡散していく光の線。
「こ、これ……は?」
「この光は、精霊樹の魔力の根よ」
「魔力の、根……ですか」
師匠の説明に、この場の全員が納得をする。確かに言われてみれば、光の線の軌道はまさに草木や樹木が地面に張る根、そのものだったからだ。
さらに師匠は光の線、つまり精霊樹の根についての説明を続ける。
「そうよ。樹が私の恩恵を届けるには、一度地面に魔力の根を張る必要がある。だから大地の魔力が復活するには、あと数日は懸かるでしょうね」
「……は? あと数日で、ですって⁉︎」
その言葉に食い付いたのは、フブキだ。
「じょ、冗談、でしょ?」
「本当よ。大樹の精霊の私が言うんだもの」
大地が痩せ衰えていく、と何度も聞いてはいるが。
アタシが知る限りでは「大地の宝珠」の魔力が封印され、大地の精霊すら正常に機能していなかった魔王領に比べれば、まだ作物が実っているだけ良い状態だと思うが。
それでもこの国に暮らす人間としては、深刻な問題なのだろう。
「う、嘘でしょ……この国がずっと抱えてきた、根幹の問題がっ……」
その感情が、これまでの経験の積み重ねが。精霊の恩恵やアタシらの信頼よりも、「信じられない」という気持ちを先に行かせてしまうらしく。何度も何度も師匠へと確認をするフブキだったが。
「精霊様のお力添えがあるにせよ、あと……数日で、どうにかなるっていうの……よかった……よかった、ゔっ……うううぅぅっ」
自分の内側の「信じられない」感情をようやく消し去る事が出来たのか。
フブキは両膝から地面に崩れ落ち、口を押さえながら身体を細かく震わせ。両の眼から大粒の涙を流してしまう。




