421話 マツリ、精霊に願いを託す
ともかく、かの王国が大樹の精霊から契約を無効にされた……という事は。
「じゃ、じゃあ……あの国はこれから先、今までみたいに作物が豊かに実らなくなる、ッてコトかい?」
「まあ、そうね」
シルバニア王国は大陸でも一、二を競う程、天候に左右されず豊作が続いたことで。備蓄される農作物が豊富にあり、周囲の国家に食糧を少なからず供給している。
その事が戦乱渦巻く大陸の各国の中、常に「中庸」を主張する王国の立場を揺るがぬものにしていた大きな要因でもあった──が。
大樹の精霊の恩恵がこれより先得られない、となれば。当然ながら、今までのように豊作は望めなくなるかもしれず。
「そうか……じゃあ、これからランドルの商会も大変になるねぇ……」
丁度、滞在していた頃の出来事が話題に挙がっていた直後だけに。
精霊の恩恵が無くなった王国に暮らす、世話になったランドルを始めとした友人らの顔が頭を過ぎり。今後の王国の行く末が、ふと心配になってしまったアタシだったが。
その心配を、知らぬ間に顔に色濃く出してしまっていたのだろうか。
師匠は一度息を大きく吐いた後。
「でもね、アズリア。まだ私の魔力の残滓があるから、まあ……数年程度は変わらないでしょうけどね」
懸念で顔を曇らせたアタシの不安を取り除こうと。
契約が無効となった後も、数年は王国の土地がすぐに衰退する事はない、と補足してくれる。
「つ、つまりは──」
すると、アタシが会話に割り込み、話題が遠く離れたシルバニア王国との契約に移った事で。すっかり会話の輪から外れていた当事者であるマツリが、師匠とアタシの会話から自分が知りたかった情報を取り出せたからか。
「気の毒な話ではありますが、精霊様が離れる決心をしたその国に代わり。我がカガリ領の土地に、精霊様の加護を授けて下さる……という理解で、合っているでしょうか?」
「大変よく出来ました。そうね、その理解で概ね間違ってないわ」
師匠が持ち掛けた契約を承諾した場合、領地にどんな恩恵があるのか。自分の見解について、あらためて師匠に確認を取っていた。
さらに、つい先程。誤解から師匠に怒声を浴びせたばかりのフブキは。
「ちょ……ちょっと、アズリアっ」
「ん? 何だいフブキ、そんなコソコソと」
「さっきまでの話、あれ……本当の事なの?」
姉と並んで師匠に問い掛けるのではなく、わざわざ離れていたアタシの隣にまで駆け寄り。精一杯背伸びをしながら、何とか耳元にまで顔を近付け、小声でアタシへと話し掛けてきた。
「話って……アタシがお尋ね者だったってコトかい?」
「そうじゃなくて。精霊様と契約することで、豊かさが約束されるって部分よ」
「ん、そうらしいねぇ」
「ちょ、ちょっとっ? 一番重要な事を何でそんな曖昧な返事をするのよっ」
小声で囁くフブキの会話の内容は、師匠へのマツリの会話の内容とほぼ大差なく。
先程、アタシとの話題に挙がった王国に豊穣を与えた精霊の恩恵についてだった。
しかし残念ながらアタシは、大樹の精霊としての師匠をほとんど知らない。どれ程の能力があり、これまで精霊として何を為してきたか等を。
かろうじて理解していたのは。アタシに戦闘技術や魔術文字の知識を惜しみなく授け、「精霊憑依」まで快く受け入れてくれた度量の広さと。
かつて大陸を統一した「英雄王」にも、今のアタシと同じような……いや、それ以上の加護と支援をしていた過去がある事くらいだ。
フブキの質問への正解を持っていなかったアタシは、今の質問を答えるのに最も適した人物。
つまり、マツリと会話中の師匠を指差してみせた。
「大体、今の話がホントかどうか尋ねるなら。アタシじゃなく直接本人に聞いたらイイじゃないか」
「だ……だって、き、聞きづらいじゃない。わ、私さっき、怒鳴っちゃったから、精霊様に向かって……勘違いだったとはいえ」
ここでようやく、何故フブキが回りくどい真似をしてまでアタシに話を聞いてきたのか、理由が明らかになる。
師匠の言葉から生まれた誤解とはいえ、一度フブキは姉を庇うため、精霊である師匠に感情的な言葉を放ったばかりだった。
どうやらフブキは、師匠に反論した自分の行動に後ろめたさを感じていたようで。だから師匠との会話を避け、「精霊憑依」までしたアタシを相手に選んだのだろう。
アタシの推察が的を射ていたのは。
先程から、アタシに小声で語り掛けていたフブキが、何度となく姉と師匠の会話を気にしている事からも窺える。
「ま、安心しなよフブキ。少し意地悪に見えるかもしれないけど、アタシの師匠だからねぇ。決してこの国に悪い様にはしないハズさ」
だからアタシは、直前のやり取りを。不安を顔に出していたアタシを気遣った師匠を見習い。
同じく不安からか視線が泳いでいたフブキの肩に手を置いて、その原因を払拭出来るように言葉を選ぶ。
とは言え、アタシとしても大樹の精霊と契約を結ぶ事で、この地に何が起きるのかを完全に理解していたわけではない。だからいくら言葉を選んだとしても、最後はどれだけフブキとの信頼を深めていたかの度合いに賭けるしかなかったが。
「うん……わかったわ」
意外にも、最初に掛けた言葉でフブキは冷静さを取り戻し。
アタシに、師匠に、マツリにと常にどこか目移りしていた視線は。真っ直ぐに会話を続ける二人を見据えていた。
師匠が精霊樹をこの地に植える意味も、そして意味も。判断に必要な情報はこれで全部出揃った筈だ。
もうアタシが割り込む余地はない。ここから先、カガリ領をどうするのかを決断するのは、当主となったマツリの役割だ。
アタシもまた、フブキと同じく師匠と当主の二人へと視線を向けた。
一瞬の沈黙が場を支配する。
しかし、すぐにその空気は破られた。
「どうか精霊様、全ての条件を私は受け入れます。ですから……この、いずれは死を迎える土地に今一度、息吹を与えて下さいませ」
沈黙の中、目を閉じて思案していたのだろうマツリが真剣な表情を浮かべた次の瞬間。恭しく頭を深々と下げ。
精霊樹を一本生やし、カガリ領を精霊の領域とする師匠の提案を飲んだ。
「もう一度確認するけど。本当に……いいのね?」
「はい。何が起きても、決断をしたのは当主である私の責任ですから。精霊様に一切の悪意は向けさせない所存です」
「うむ、よろしい」
もし、領域となった事で領民に何かしらの悪影響が出たとしても。不平不満の声は当主として、マツリが受け止めるとも。
……もっとも。
アタシが滞在していた頃は、おそらくまだ師匠の領域であったシルバニア王都の住民は。見た限り、他の都市部と何ら変わらない生活をしていた記憶があるし。
水の精霊の領域である大きな湖もまた、付近の砂漠の民の水源や良き漁業場として活用されていたりする。
悪影響が出る可能性は限りなく低いと思われたが。
「さて、それじゃ」
持ち掛けた契約を済ませ、自慢げな笑顔を明らかにアタシへと向けていた師匠は。周辺一帯を見渡すように、何かを物色し始めている。
「……どの辺にしようかしらね」
おそらくは、自分の領域としての証でもある精霊樹を何処へ植えるか。一番、相応しい場所の選定のために。




