420話 大樹の精霊、精霊の領域とは
というのも。この国の土地は、理由こそ不明だが徐々に痩せていっており、農作物の実りも悪くなっているのだとか。
アタシが見たハクタク村の畑の豊穣ぶりは、土地の衰退など微塵も感じはしなかったが。
実際に暮らしている住民が口にするのであれば、昔はもっと豊かに作物が実っていたのだろう。
マツリからカガリ家当主の座を強奪したジャトラが何故、魔竜と手を組んでいたのか。その動機こそまさにこの国の大地の衰退だったからだ。
過去に一度、この国を恐怖に陥れたのが魔竜だ。その力を利用する事には反対だが、マツリとて衰える土地をどうにかしたいという気持ちは常にある。
その想いが乗じ、マツリの口から思わず溢れてしまった言葉に対して。
「ええ、そうよ」
師匠は、何事もなかったように平然とした軽い口調でマツリの言葉を肯定していく。
つまりそれは、マツリやこの国が抱えた深刻な問題を。精霊樹一本で解決出来ると、師匠は言っているのだ。
「せ、精霊様っ? 私には、一体どうなったら一本の樹がヤマタイを救う事になるのかが皆目見当が付かないのですが……」
だが、多くの人間が問題解決に頭を悩ませ、かつての宿敵である魔竜にまで解決手段として利用した程だ。
それがたった一本の樹木で解決出来る、という言葉をマツリは俄かに信じ難く。
どうやったら土地の衰退を精霊樹が止め、もう一度大地を蘇らせるのか。師匠へと恐る恐る問い掛けるマツリだった。
勿論だが、アタシにも師匠の真意や精霊樹の効果は知らない。
もし……マツリが聞かなければ、アタシが背後から師匠を問い詰めていただろう。
気付けば師匠の返答を待っていたのはアタシやマツリだけではなかった。
先程まで自領の問題点について女中と話していたお嬢も、会話に参加していなかった他の連中もまた。師匠が如何なる方法でマツリの要望に応えるのか、注視されている中。
「それはね、私がこの周囲一帯を自分の領域だと認定するからよ。大樹の精霊である私の、ね」
「え」
合計し一四人分の視線に注目され、それでも平然とした態度は変わることなく。
あっさりとした口調で、とんでもない発言をする師匠。
「せ、精霊様っ? そ、それは……一体どういう意味でしょうか、この地を精霊様のものにするとは……」
「そ、そうよっ! いくら精霊様が力を貸してくれたから魔竜を倒せたからって、姉様に代わってカガリ領を治めるだなんて暴挙っ──」
精霊、という相手に恐縮していたマツリは言葉に困惑し、もう一度聞き返す程度に収まったが。
横にいたフブキは師匠の「自分の領域にする」という言葉を、カガリ領を丸ごと要求されたと認識したからか。
「……止めなさい、フブキ」
「止めないでよっ、姉様!」
感情的になってマツリよりも前に踏み出し。姉の制止を振り切り、師匠へと詰め寄ろうとしていた。
フブキの感情の昂りも当然と言える。姉マツリは簒奪者から当主の座を奪還したばかりだ。それを今度は精霊である師匠にとって変わられたら、フブキでなくても苦言の一つも吐きたくなるだろう。
もっとも……フブキがいくら精霊である師匠に詰め寄ったとしても、何が出来る訳ではないし。何も出来ないのは、フブキ当人が一番理解出来ている筈だ。
それでも、姉に代わって声を上げずにはいられなかったのだろう。
決して短くない時間、フブキと行動を共にしてアタシは。彼女という人物の姉想いの性格や感情的な気質を、これでもある程度は理解したつもりだから。
「ああ、勘違いしないでね。別に支配者という立場を代われ、と言ってるわけじゃないわ。単に私がこの地に根を下ろすだけの話よ」
どうやら師匠も、フブキの反応は自分の言葉の意図を曲解された事に即座に気付いたようで。
その誤解を修正しようと、勘違いした「自分の領域にする」という言葉の真意を説明し直していく。
「そ、それじゃ」
「丁度、前に守護していた地域を手離したばかりで。今の私は人間の世界での住処がない状況なのよ。だから、その証として精霊樹を一本植えさせて欲しい……という話」
背後で師匠の領域についての説明を聞いていたアタシは。
確かに、水の精霊はメルーナ砂漠のど真ん中に突然出現した巨大な湖を。
氷の精霊は、砂漠の国と黄金の国との国境にそびえ立つスカイア山嶺を「精霊としての領域」にしているという話を思い出す──と、同時に。
「ちょ……ちょっと待てよ、師匠ッ?」
「何よアズリア。今、説明の最中なんだけど」
アタシは、師匠が既に領域を持っていた事を耳にしていた。
何故、シルバニア王都に立派な精霊樹が生えていたのか。それは師匠とシルバニア国王が過去、土地の豊穣を約束する代わりに国土一帯を領域とする契約を交わした……と。
「な、なあ? だってさ、師匠の領域はシルバニア王国なんだろ。過去に王様と契約したって」
「……ああ、その事ね」
契約の話を教えてくれたのは、過去シルバニアに滞在した際に世話になったグレイ商会長のランドルだ。
もっとも、話を聞いたのは王都に滞在し、師匠に鍛えてもらっていた時ではなく。その後しばらくしてホルハイム戦役が終結し、終戦後の復興のために再会した時に、であったが。
「アタシゃ精霊じゃないから知らないけどさ、領域ってのは二つ三つもその……契約出来るモンなのかい?」
ふと抱いた疑問を口にしたアタシに対し、こちらへと振り返った師匠は。
質問には答えずに、少女の容姿に全く相応しくない妖艶な笑みを浮かべながら。
「ふふ、精霊に興味があるの? そうね……アズリアなら良い精霊になれるかもしれないわね」
「……じょ、冗談だろ? アタシゃ、ただの人間だってえの」
「あはは、もう。そんなに驚いた顔して、冗談よ────今は、ね」
人間が精霊になるなどという、実に馬鹿げた冗談を言ってのけた師匠だったが。
妙に師匠の真剣味を帯びた表情が、冗談を口にする雰囲気ではないと感じ取ったアタシは。愛想笑いを浮かべながらも、師匠の意図が理解出来ずに一歩後退りしてしまう。
「そんなに心配しないでも、あの国王との契約はとっくに無効にしてあるわ。だから今の私は領域がない状況なのよ」
さらに驚きの言葉を師匠が口にした。
何と、大樹の精霊としてシルバニア王国と結んだ契約は既に無効となっていたのだ。
「は? な、何で契約をッ?」
「決まってるじゃない。アズリア、あの国の馬鹿な貴族とかいう連中が……あなたを咎人扱いしたからよ」
突然の告白に動揺したアタシに。師匠が返答として語ってくれたのは、アタシが滞在していたシルバニア王国を出る理由となった事件だった。
世話になった商会長ランドル、その一人娘シェーラを見染めたどこぞの貴族子息が強引に彼女を拉致されてしまう。
どうにか場所と犯行に及んだ人物を特定したアタシは、単騎でシェーラが軟禁されていた貴族の屋敷を強襲し。貴族の私兵を全員討ち倒し、貴族子息の手からシェーラを取り返した……のだが。
当然ながら親である伯爵はアタシを許すつもりはなく、賞金を懸け捕らえようとした。その行動を予想していたアタシは、シェーラを救出した翌朝には王都を急いで出立していたのだが。
「いや……賞金首じゃなくなったのはランドルから聞いてたけどさ。裏じゃそんなコトになってたんだねぇ……」
再会したランドルから、確かに一度はアタシは犯罪者扱いとなり賞金が懸けられはしたそうだが。即座に取り下げられた、とは聞いていたが。
まさか犯罪者扱いを取り下げられた背景に、師匠が関与していたのは初耳だった。
◼️農業と土地の衰退
ヤマタイの土地の衰退の理由、それは連続した農業により土の栄養分が枯渇したからである。
大陸では統一王クレウサが土地の枯渇を防ぐために「同じ作物を二度連続で育てない」「四年に一度は畑を休耕する」「草木を焼いた灰を肥料として畑に撒く」等の政策を農民らに徹底させていたのと。大樹の精霊による加護があったため、大事には至っていないが。
海を隔てた地域には精霊の加護が届かないため、ヤマタイやコーデリア島は徐々に土地が衰える危機に陥ったのだ。
ラグシア大陸の主要な栽培穀物は「麦」であり。収穫した麦粒は挽いて粉にし、パンとして広く提供される。
大陸中央から東部の比較的に肥沃な土地では麦や各種野菜が、砂漠地帯の多い西部では乾燥に強く太陽の光が必要な「王黍」や果実が多く栽培され。寒冷で日照時間の少ない大陸北部では、痩せた土地でも育つ「岩薯」を主食としていたりするが。
そんな農作地を耕すのは人力もだが、牛や馬が良く使われていた。暴角牛や人喰馬など良く似た魔獣も存在するが、農耕用に手懐けるのは難しく、また一度暴れ出したら農民や農地に多大な被害が出るので使われていない。




