419話 大樹の精霊、対価の意図
一息、師匠が言葉を区切った途端。
「……ゴクリ」
続く回答を待ち緊張するマツリの横で、フブキが息を飲んだからか喉を鳴らす。
姉がジャトラに支配下にあった頃の気苦労を知っていただけに。
もし、精霊が求める代償が理不尽なモノならば、自分が身代わりになる覚悟までしていたフブキだったが。
「この地に私の樹を一本、立てさせて欲しいのよ」
「……え?」
師匠の口から出た「樹」という単語に、二人は思わず目を見開き。次に互いの顔を覗き込んでから、周囲を見渡して今言葉に出た樹木を探していく。
しかし、この場所が魔竜との戦場にはならなかったとはいえ。戦闘、そして最後の盛大な自爆の余波で、周囲の木は大半が薙ぎ倒されていたが。
一本、まともに立っていた樹木をようやく視線に捉えたフブキが。
「き、木って、あの?」
「そうよ。まあ、種類と大きさは違うけど」
当然だが、後方で師匠とマツリとのやり取りを聞いていたアタシにも。師匠の対価の意味は理解出来ていなかった。
勿論、師匠は大樹の精霊だ。木、一本への考え方がアタシらとは違い、人間一人分の価値を見出しているのかもしれない。
だからこそ。魔竜が炎を吐き、暴れ回った事で無数に薙ぎ倒された木を一本でも多く、復活させたいのだろうか。
「樹? 樹だって……あれ?」
などと師匠がマツリに求めた対価の意味を、何とか理解しようと思考を巡らせていると。
アタシの頭の中に、とある記憶が引っ掛かる。
それは、大陸の中央部にあるシルバニア王国の王都にて。師匠と初めて──ではなく、二度目の遭遇をした時の事だ。
「そういや、師匠に遭った時も、確か──」
二度目の遭遇で、右眼に魔術文字が宿っている事を見抜いた師匠は。アタシを都市の中に直立していた大きな樹へと案内し、精霊界へと連れて行かれた。
王都と精霊界とを繋ぐ出入り口となっていた樹、その名前は。
「精霊樹だッ!」
「精霊樹……っ!」
師匠に聞いた樹の名前を、アタシが勢いよく叫ぶと同時に。
同じ「精霊樹」という名をボソリ……と口にしたのは、マツリであった。
「ま、マツリ? 何で……アンタが精霊樹を知ってるんだい?」
アタシは普通に驚く。というのも、先の師匠とのやり取りで推察するに。おそらくマツリは、これまでに精霊と出会った事がない。
幼少期に敵勢力からの襲撃を受け「炎の加護」に覚醒した、というのはフブキから聞いた話だったが。
もしかしたら、覚醒の時に火の精霊に遭遇した可能性も考えはしたが。
つまり、アタシが経験したように精霊界を訪れた機会がなかったにもかかわらず。出入り口である精霊樹の事を知っていたからだ。
同じく声を揃えたアタシを、こちらと同様に驚く反応を一瞬だけ見せたマツリだったが。
「そ、そうでしたっ……アズリア様は、精霊様の寵愛をっ」
これまでの師匠との会話、伝説の魔剣を授かった場面、そして「精霊憑依」を果たした事で。
アタシと大樹の精霊との関係を察したのか、驚きの表情が即座に納得した顔に変わり。
「い、いえっ……私はアズリア様と違って、書物が好きで目を通した文の中に、精霊様が住まう世界について書かれていたので」
「……ふぅん」
精霊樹と師匠が説明しようとした矢先。アタシとマツリが声を揃え、言いたい事を先に答えてしまったようで。
言葉を遮られ、師匠の機嫌を損ねてしまったかと懸念したが。
「精霊樹の事をよく勉強してくれているのね、説明が省けて助かるわ」
腕を組んだ姿勢のまま、感心したような笑顔を浮かべ。マツリを真っ直ぐ見据える師匠。
その姿と表情からアタシはこの時、自分の心配が杞憂に終わり安心しかけた──その時。
「なら、精霊樹を立てるという意味も。当然……理解してくれているわよね?」
「え? え……えっ?」
柔らかな物腰や笑顔は変わっていなかったものの、マツリに対しての問い掛けは決して優しい内容ではなかった。
困惑したマツリは、師匠の目線をまともに受けて何も出来ない状態だった。
窮地の姉を救おうと、横にいたフブキが代わりにアタシをキッと睨むような鋭い視線を送り。師匠が求める回答を引き出そうと試みるも。
「せ、精霊樹を立てる意味って……そんなのアタシも知らないッてえの……」
何しろ、師匠の問いに対する解答をアタシも持ち合わせてはいない。
精々、アタシが精霊樹について知っている事といえば。樹の幹に空いた大きな穴を潜って精霊界へと行けた結果であって。
精霊樹そのものが立てられた意味など、師匠の口から聞いた記憶はアタシにはなかったからだ。
いや、本当に聞いた事がなかったのか。
聞いた事を忘れているのではないかをアタシは懸命になって、再び記憶を端から辿っていく。
「そういや……何で師匠はあの二人の重要な話に割り込んだんだっけ……?」
こうしてアタシが思い出したのは、師匠に対するマツリへの回答となる記憶ではなく。
あの二人──カガリ領当主・マツリと白薔薇公爵領を統べるお嬢が。互いの海路を繋ぎ、新たな交易を開始する対話にて。互いの領地が抱えた問題が、交易を締結するのを困難にしていた……という事だが。
カガリ領には帝国までの航海に耐え得る頑強な船がない。
お嬢の領地、白薔薇領はホルハイム戦役の敗戦の影響で、港を整備出来ない。
遠巻きに話を聞いていた師匠は、「話がある」と二人に迫ったわけだが。それはどちらかの問題点に手を差し伸べるためではなかろうか。
──だが。
「いや……でも、精霊界に連れて行かれても、そりゃ確かに珍しい鉱石なんかは見つかるかもしれないけどさ」
いくら考えてみても、精霊界への入り口を作ったところで。二つの国が抱えた問題が解決するとは、アタシは想像出来なかった。
師匠に身体と魔力、そして知識を鍛えてもらっていた時、精霊界で透き通る樹木や見た事のない鉱石等の数々を目にしたが。精霊界から許可なく持ち出す事を、アタシは固く禁じられていた。
帝国との貿易を優位に進めるため、精霊界から素材を持ち出すのを解禁するのだろうか。
今、思いついたのがその程度だった。
いや、正確には。
もう一案、頭に閃いてはいたのだが。
マツリの、いやカガリ領の元にない頑強な帆船。その建材に精霊樹を使わせるつもりだったのではなかろうか、と。
しかし師匠は「大樹の精霊」であり、象徴とも呼べる精霊樹に斧を入れる事を許可するだろうか。
もし──許可するとしても、大樹の精霊の用意した樹に手を出す提案を、人間側からするべきではない。アタシはそう思い、浮かんだ案を即座に頭から消したのだった。
「……おっと、と……危ね、ッ」
一方で、直接大樹の精霊から質問を投げ掛けられていたマツリもまた。
独力で精霊樹を一本立てると言った師匠の真意を、何とか見つけようと思案していたが。
「せ、精霊様の力が宿った立派な樹が、徐々に痩せ衰えていくこのヤマタイの大地に、植物が実る力を取り戻させてくれる……とか、ですか?」
あくまでマツリが目を通した文献から得た知識は、精霊樹という名前と。大樹の精霊から生み出されるという事だけで。
後は知識ではなく、マツリの願望が混じってしまっていた。




