417話 ベルローゼ、領地が抱えた問題
今話の主な登場人物
ドリアード 大樹の精霊 世界に一二体しか存在しない精霊の一人
マツリ 八葉の一角・カガリ家当主 フブキの姉
ベルローゼ 帝国は白薔薇公爵その人
セプティナ ベルローゼ直属の女中……だが実は
感情が表情に出てしまっていた事にようやく気付いたアタシは、思わず頬が羞恥で熱くなる。
「経験を重ねて口が回るようになっても、素直に顔に出るところも私は好きよ、アズリア」
「あ、う……ッ」
師匠の言葉が、アタシの推察をまさに裏付ける事となり。
言葉に詰まり、頬だけでなく耳まで熱を帯びてしまったアタシは。最早、顔を師匠へ向けておくことが出来なくなってしまう。
自分が揶揄われた事に、少し腹立たしい気持ちこそあるが。
アタシが顔を背ける直前、目に入ったのは。腕を組みながら何度も小さく頷いていた師匠の、実に満足そうな笑顔だった。
ふと、アタシの気持ちの中に湧き上がっていた鬱屈とした感情が。今の師匠との会話で、すっかり晴れている事に気付く。
もしかしたら師匠は──マツリとお嬢との交渉を見て、胸中に複雑な感情を抱いてしまったのを気遣い。言葉を掛けてくれたのか、と深読みをするアタシだったが。
「ふふっ、アズリアの可愛い反応が見れたところで」
だが、アタシが頬を熱くし、羞恥で顔を背けた事により会話を終えた師匠は。
続けて、二国間の交流に向けての話を続けていたマツリとお嬢に、無造作に近付いていく。
「ま、待てって、師匠ッ……そっちは」
「いいからいいから、私が用事があるのよ」
二人の対話の邪魔をしないように、というアタシの制止もまるで耳を貸さずに。
◇
「だけどベルローゼ様、こちらは今すぐに海路を再開……というわけには」
「無論、わかってますわ。それに私も出迎えるに辺り色々と準備というものがありますわ」
「この国の外海の荒波に耐え得る船を建造するのに、二年……いえ、一年ほどは必要かと」
長らく実権をジャトラに奪われていたとはいえ、さすがは先代当主の娘だけあり。ヘイゼルが指摘していた船の問題もマツリは把握済みだった。
しかし、大陸の技術や知識も無しに果たして長い海路を渡る頑強な構造の船が完成出来るのか……その点が疑問ではある。
一方、お嬢はというと。
横に控えていた女中に、この国から交易のための船を受け入れる港の話をしている最中だった。
「そう言えば、セプティナ? 我が白薔薇領の最西端にあるアマリナ港、アレは使い物になる状態かしら」
「いえ、お嬢様。アマリナは戦役直前に大荒れになった天候のせいで半壊した、と報告が来ておりました」
アタシが記憶している限り、大陸の最北端に位置する帝国でまともに機能している港などなかった筈だ。
今、お嬢と女中との会話に挙がったアマリナという地名も聞き覚えがない。おそらくはアタシが帝国を出奔した後の八年の間に、侵略した周辺の小国の港街なのだろう。
しかし、女中の話では。どうやら港は悪天候の影響を受け、使い物にならない状態のようだ。
「ならば帰還後、すぐに港の修繕に人を割かねばならないわね」
「お言葉ですがお嬢様。それは……難しいかと」
当然ながら、マツリとの交渉が上手く成立すれば一年後にはこの国から交易のための船が複数回訪れる事となる。
お嬢がこの国から帰還後の方針を口にするも。横に控えていた女中は顔を曇らせ、首を横に振って否定的な反応を返したのだ。
すると、発言を否定されたのが意外だ、という表情を浮かべたお嬢は。
「……どういう事か説明しなさいな、セプティナ」
マツリとの対談で初めて横にいた女中へと視線を向けた事で、セプティナもまた自分の失言に気付き。
お嬢の視線を避けるかのように後方に跳び退き、膝を折って地面に座り込み頭を下げた。
「も、申し訳ございませんお嬢様、出過ぎた発言をっ──」
「謝罪は後になさいな。それよりもまずは、何故……港の修繕が難しいのか、その理由を述べなさい」
アタシの知っているお嬢であれば、自分の意見を否定された時点で癇癪を起こし。鞭を取り出し、否定的な意見を発した彼女を何度も打ち据えただろう。
だが、予想に反してお嬢は感情を昂らせる事なく。恐縮し、後ろへと下がった女中の反論に耳を貸そうとしたのだ。
「お、おい嘘だろ、ッ……あの高慢なお嬢が、他人を、しかも女中を許したってのかよ……ッ?」
正直、アタシは驚いた。
戦闘の最中など緊急時ならいざ知らず、平時の際に見せたお嬢の態度に、だ。
「わかりました、それでは──」
しかし、当人であるセプティナは。お嬢が見せた態度にも、アタシのように驚く様子もなく。
片膝立ちの体勢のまま、下げていた頭を上げてお嬢を真っ直ぐに見据えながら。問題点についてを一つ一つ発言する。
「まず一つに、予算が足りず。もう一つは修繕のための人員が集められない事です。領地を離れてはいますが……おそらく、状況は改善されてはいないでしょう」
「な、何故です? 私が知る限りでは金や人が不足するような事は何一つ起きてないでしょう!」
「……原因は、ホルハイムでの敗戦です」
「は?」
発言を許され、女中の指摘した問題点に疑問を覚え、今度は感情を露わにして反論するお嬢。
確かに、白薔薇公爵領は下手な小国よりよほど広大であり。統治するための財力、人員共に「不足している」と言われれば。それは反論するのも当然だろう。
しかし、女中の口から続け様に発せられた不足の理由。
それは、アタシも参戦していた半年ほど前の大きな戦争、ホルハイム戦役の名前だった。
「た、確かにあの戦争で、我が帝国は敗れはしましたが。我が領地からは兵を派遣してはいない、だから敗戦の影響は受けなかった……そう報告を受けてましたわっ」
「お嬢様の言う通り。白薔薇領は表向き、あの敗戦で大した影響を受けませんでした」
「だ、だったら何故っ?」
実際、アタシが最後に帝国から奪還した黄金の国側の都市・エクレールに侵攻してきた軍は。確か……紅薔薇の旗を掲げていた、と記憶しているが。
少なくともアタシの記憶には、あの戦争に白薔薇の軍勢が参戦していた事実はない。
まあ……お嬢自らが使者となって、砂漠の国に援軍要請をしていたのは。アタシもアル・ラブーン国王「太陽王」ソルダとの謁見に同席したから知ってはいるが。
あの戦争の終盤も終盤。
エクレールに接近する紅薔薇軍を率いていた「焔将軍」の二つ名で呼ばれるロゼリア将軍とアタシは対決し。得意としていた強力な火属性の攻撃魔法によって瀕死の重傷を負いながらも、何とか勝利を拾う事が出来たが。
思えば、倒したロゼリアに止めを刺そうとしたその時に。
突然、ロゼリアの影から現れた謎の人物によって、アタシは攻撃を阻止され。ロゼリアを逃がしてしまったのだ。
「問題は、あの戦争で帝国がコルチェスターと敵対関係になってしまった……という事です」
公爵家当主であり、援軍要請のための使者まで務めたお嬢よりも。何故か女中であるセプティナが内情に精通していたのか。
──実は。
今でこそ、領地を飛び出したベルローゼに同行している女中だが。
まだベルローゼが公爵家の当主を継承する以前は、前当主──ベルローゼの祖父であるリヒャルド公爵の執務にも関与していただけあり。ある程度は帝国の内政事情にも精通していた。
そしてセプティナという女中の正体。
彼女は青薔薇公爵クオーテが、領地内の身寄りの無い孤児を養子として育てた「十二姉妹」の一人であり。
帝国に並び立つ他の薔薇の内情偵察のため、女中に扮し真正面から潜入している人物でもあった。
だからこそ、ベルローゼが理解していない問題点を指摘することができた……という事情があったわけだが。




