416話 アズリア、過去の因縁に向き合う
「し、師匠ッ……」
目の前にあった緑髪の美少女に、思わず今頭を悩ます葛藤を口に出してしまいそうになるアタシだったが。
言葉が喉から飛び出る直前で、思い止まる。
師匠である大樹の精霊は、人間とは違う高位の存在だったりする。そんな精霊に、人間同士の枠組みでしかない国の話をしたところで。首を傾げるのは容易に想像が出来たからだ。
「い、いや。何でもないッての」
「嘘ね」
だからアタシは目の前の師匠から顔を背け、強引に話を終わらせようとするも。
師匠は組んでいた腕を解くと、アタシの両耳の辺りへ手を置き。無理やり視線を自分へと合わせてみせる。
「だってアズリア、あなたの眼がもう顕著なくらい『何かある』って物語ってるもの」
「……ゔ、ッ」
どうやら、アタシは思っていた以上に。マツリとお嬢との交渉、つまりはカガリ領と白薔薇公爵領が交流を持つ事を歓迎出来ていなかったらしい。
過去に大陸との交流を絶った事が遠因で、この国の衰退は始まったのだとアタシは聞いた。ならば、お嬢の治める帝国領地との交易は、おそらくはカガリ領を良い結果に導くだろう。
そう、頭では理解しているのに……である。
「参った、ねぇ……そうまで真剣に見られたら、手を払ってまで黙ってる理由がないじゃんか」
「そうでしょう? だったら、とっととアズリアが頭でうじうじと悩んでる事、吐き出して御覧なさい」
アタシは、こちらの両眼の奥の奥……まるで心の内側まで透かして見るような緑髪の美少女の視線に。
一度は黙っていようと思った心が折れ、とりあえず今の心情を師匠に話してみようと決めた。
……アタシとしても、ただ黙ったわけでも思慮してたわけでもなく。頭の中で何通りかの可能性を辿った結果故の態度だったのだけど。それを「うじうじ」と師匠に評されてしまった事に、釈然としない気持ちが湧いてはいたが。
「……あいよ。それじゃ、少し長くなるよ」
この国と大陸との関係が途絶えて久しい事。
交流の断絶がこの国の衰退の原因の一つであった事。
しかしこの国全体を統治する「太閤」とやらは、大陸との交流を再開するよりも。魔竜を復活させこの国の衰退を止めようとした事。
そしてヘイゼルが抱いた懸念や、アタシが帝国に持つ感情を。出来るだけ短く、簡潔に説明してみせる。
「アタシとしちゃ……マツリやこの国が上手くいって欲しいッて気持ちはある。けど、同時に手を結ぶ先が自分が帰る気のない故郷ってのは……どうも、ねぇ」
「ふむ……ふむ。なるほど、なるほど。アズリアがそこまで深刻に悩んでた理由が少しは理解出来たわ」
すると師匠は指を一本立て、アタシの胸、心の臓の辺りを何度か指の先端で押しながら。
今のアタシを的確に分析してみせた。
「アズリア。あなた……まだ過去を完全に吹っ切れてないみたいね」
まさに師匠の指摘の通り。
「はは、ッ……そうみたいだねぇ」
故郷である帝国を出奔してから八年。大陸のあちこちを回り、様々な体験を積む事で。
帝国で生きてきた一六年、周囲に「忌み子」と嫌われ、虐げられてきた記憶を忘れようとしていたのかもしれない。
帝国を飛び出してから、傭兵稼業を選んだアタシは。率先して自分を虐げた帝国を敵側に戦い続け。
旅立つ際に手渡された黒い大剣に黒い金属鎧から、敵である帝国側、そして友軍双方から「漆黒の鴉」なる二つ名で呼ばれるようになり。
つい半年ほど前に起きたホルハイム戦役で、帝国軍を敗走に追い込んだ事で。アタシの中では、過去の因縁をこれで払拭出来たとばかり思っていた。
結果として、幼少期の思い出の大半はアタシの頭の記憶には残っていない。自分を遠ざけ、生活を別にしていた母親の顔も思い出せないくらいに。
だが、それでも。
お嬢の事だったり、初恋の相手だったり。帝国での記憶が完全に消えてはいなかったのだ。
「アタシは何の未練もないと思ってるのにさ、頭の中から中々出ていってくれないんだよ」
「だから私は言ったのよ。アズリアを一から鍛え直す前に、過去の記憶を消してあげるって」
そう。
アタシが何故、大樹の精霊を「師匠」と呼んでいるか。それは、シルバニア王国で初めて遭遇した時、アタシの右眼の魔術文字を見抜いたからか。
一日の長さが一〇日分となる精霊界で、体術の基礎や魔力容量、未知なる魔術文字の知識など。アタシの二五年間を遥かに上回る稀少な経験を積ませてもらったのだが。
苛烈が過ぎる訓練を始める直前に。師匠がアタシに問い掛けてきたのが、まさに今口にしたのと同じく。
『もし、辛い過去があなたの足枷になりのなら。精霊である私なら頭から消す事も可能だけど──どうするの、アズリア?』
悪意や代償などはなく、純粋な善意からの大樹の精霊の提案。
故郷を飛び出したばかりのアタシならば、悩む事なく首を縦に振り、記憶を消去して貰っていたかもしれない。
悩みに悩んだ結果、アタシは拒否したのだ。
「ねえアズリア。もし、今からでも過去の記憶を消したいと思ったのなら──」
そして師匠は再び、精霊界でアタシにしてきたのと同じ質問を聞いてきたのだ。
生憎と、アタシの気持ちは悩んだ当時と違い、既に決まっていたため。師匠の問い掛けを最後まで聞く事はせず。
「気遣いありがとな、師匠。でもアタシの過去は、アタシ自身が解決しなきゃいけない問題なんだ」
過去の記憶を消す、という師匠の提案をアタシは跳ね退けた。
消されて惜しいと感じる記憶ではない、しかも記憶の消去など師匠でなければ出来ない所業だが。それでも過去の記憶の精算を他人頼みにするのは、アタシらしくないと思ったのだ。
「そう……なら、仕方ないわね」
提案が断られた瞬間、師匠がふと物哀しい表情を浮かべたのをアタシは見逃がさなかった。
一瞬、弁解をしようと思ったが。次の瞬間には師匠は笑顔に戻っており、先程の表情へ追及するのは直感的な危うさを覚える。
それはまるで、虚撃に釣られ、相手の攻撃範囲に踏み込んでしまった時のような。
「そ……そうだ、ッ!」
このまま話題を続けていると、不意に先程師匠が浮かべた憂いの顔に触れてしまうとも限らない。
アタシはわざと声を上げて話の流れを強引に断ち切り、次なる話題を口にしていく。
「でも、精霊に人の眼を覗き込んで気持ちがわかる能力あるなんて、アタシは知らなかったよ」
アタシが選んだ話題は、本題であったマツリとお嬢とが交流を締結する事ではなく。
先程、アタシの眼の奥を覗き、口にしなかった心情を見事に的中させてみせた件についてだった。
人の心理を読み取る「心の声」なる魔法もあるにはあるが。先程の師匠は無詠唱で魔法を使った様子は見られなかった。
ならば、精霊という存在に備わっている元来の能力だとばかりアタシは思っていたのだが。
「あら? そんな能力、私にあるわけないじゃない」
「へ?」
そんなアタシの言葉を、いとも簡単に否定してみせる師匠。
予想が外れたことに、思わず目が点になる。
「だ、だって師匠、さっきアタシの眼ぇ覗き込んで、マツリとお嬢のコト見抜いたんじゃ……」
「大体、そんな能力が私にあるなら。一々アズリアの本心聞き出すためだけに意地悪するわけないでしょ」
魔法も、能力も使っていないのにアタシの心情を的中されられた、ということは。
つまり師匠は、顔を見た程度で丸分かりなくらいに、アタシは心情を顔に出していたと言っているのと同じ意味だったから。




