415話 アズリア、味の記憶を懐かしむ
アタシの一言に、ヘイゼルは呆れた顔を浮かべながら言葉を返す。
「そりゃまあ……根に持つって言うか。誰が思うんだよ、ただの人間が一隻丸々船を真っ二つに叩っ斬るなんてよぉ……」
アタシが二つの魔術文字を発動させる「二重発動」を使い、大剣で真っ二つにしてみせた帆船こそ。
大陸で「海ならば最強」と名を馳せているコルチェスター海軍の、他の国とは比較にはならない頑強な構造の軍船だったからだ。
その時の情景を思い出していたからか、ヘイゼルがアタシから一、二歩ほど後退り始め。ジトっ……と冷たい視線を向けてくる。
「あんたが乗ってた小さな船ならともかく……あたいが乗ってたのは、世界で一番頑丈なハズの軍船が元になってたってのにさあ」
意気揚々(いきようよう)と魔王領を船で出発したアタシとユーノだったが。
一向に大陸は見えず、来る日も来る日も釣った魚ばかり焼いて口にしていたからか。船上で自由に身体を動かせない不満と食への不満が重なり、苛立ちが最高潮に達していた時のヘイゼルとの遭遇だったのも。一見、船を破壊するという暴挙の理由だ。
勿論、海賊をみすみす船ごと逃がし。仲間を補充して再び襲撃されては厄介だ、という算段もあったし。アタシらが救援した時点で、商船の乗組員のほぼ全員が殺害され、商船をまともに操縦出来るだけの人員がいなかったという事情もあったのだが。
敢えてそこまで説明する必要はない、寧ろ元海賊のヘイゼルには多少の畏怖を抱かれているくらいが。丁度良い関係を維持出来ると思ったアタシは。
「確か……あの時は長い間船の上で身体が鈍ってたんだよ、だから身体を動かしたくてねぇ」
「何だよ、その理屈は……ああ、今思い出しても腹立たしいったらないよ」
海の王国は、大陸から離れた大小様々な島に建てられた国家だ。故に、大陸の国々との交流には船という移動手段は必須であり。だからこそ船の構造や機能性を、海の王国の人間は常に追及した結果だ。
何を隠そう、アタシがユーノと一緒に魔王領から操縦し。ヘイゼルらがこの国まで辿り着いた小型の帆船だったが。
実は海の王国の王都に着港した時には、長い航海を経て様々な箇所が痛んでいたのを見兼ねて。海軍お抱えの船工らがアタシの船を修理・補強を施してくれていたのだ。
ユーノが無事、ヘイゼルと協力してこの国まで辿り着けたのは、その補強があったからと言えるのだが。
「と、とにかくっ……いくら上の連中が交流する、って息巻いてもさ。大陸まで辿り着く船がないんじゃ、当分は何もないんじゃないか、って話さ」
「なるほど、ねぇ」
アタシの知る限り、ここ一〇〇年は大陸との交流を断絶していたこの国では、遠距離を船で移動するための頑丈な構造の船を製作する必要がなくなり。
結果、ヘイゼルの言うように大陸までの航海に耐え得る船が姿を消してしまったのだろう。
「勿論、我々からも大陸にはない技術などを提供出来る準備を整えるつもりです。ベルローゼ様、どうかご検討をっ」
「むぅ……そ、それは確かに……検討する価値はありますわね」
海を渡る専門家であるヘイゼルの話を聞いて、アタシは。必死になって関係を繋ごうと説得を続けるマツリと、思案するお嬢の二人の様子を眺めていた。
確かにマツリが言う通り。この国には大陸にない慣習がいくつも見受けられた。
その中でもアタシが印象深かったものが。
白くふっくらと煮上がった甘いコメと、アタシも何度もこの身を斬られた片刃剣の二つである。
大陸でごく一般的に主食として扱われているのは小麦を挽いて粉にし、捏ねて焼いてパンとして食べるのが普通だが。
この国で食されているコメは、実を挽かずに白い部分を取り出し鍋で煮て、甘くふっくらと仕上げて食されていた。
アタシも何度もコメを口にしたが。薄味ながら噛むとじんわり口の中に優しい甘味が広がり、パンのように魚や肉と一緒に食べると他の味を一層引き立ててくれる。
「……アタシはパンより、コメのほうが好きかもしれないねぇ」
八年、旅を続けて保存食を口にしてきたアタシはコメを食した感想を踏まえ。パンとコメ、どちらが好みであったかを小声で呟いてみた。
街で焼き立てを食べるならともかく、保存食としてのパンはカチカチに堅く、噛み切るのも難儀し。一緒に作った食汁で戻しながら食べてもボソボソとした食感だったりするのだが。
その点コメは、そのまま持ち運び湯で煮るのも良し。一度柔らかく煮たコメを握り固めても一日程度は保つ。しかもモリサカから聞いたのだが、煮る前のコメを鍋で薄く焦げ色が付くまで焼き、そのままポリポリと食す事も出来るのだという。
パンとコメ、どちらかと言えば旅の保存食に適しているのはコメなのではなかろうか。
もし、マツリの提案を機に。大陸にもコメを育てる慣習が広がってくれれば。アタシが大陸に戻ってもコメを食べ続けることが可能となる。
ヘイゼルが「交流は困難」と判断し、その理由も聞いた後ではあったが。アタシは心の中でマツリを応援していた。
「だけど、交流するのがお嬢とだからねぇ……アタシとしちゃ、何とも複雑な心境だよ」
一方で、マツリとお嬢との対話が上手くまとまれば。カガリ領が交流を開始するのは、アタシが二度と戻らぬと決めて出奔した帝国という事となってしまう。
アタシが兵士養成施設に在籍していた頃や、故郷を離れた後の傭兵稼業の頃から。帝国領の東部に隣接する東部七国連合とは元々関係が険悪だった上に。
魔王リュカオーンの望まぬ勧誘のせいで、大陸を離れる事となった直前。終結したホルハイム戦役で隣接するほぼ全ての国家と、関係が悪化してしまっている状況だ。
つまり、お嬢の領地である白薔薇公爵領にいくらコメが広まっても。今の大陸の状況では、他の国にコメの栽培法やコメ自体が流通する可能性は……低い。
思わずアタシは、この場に居合わせた魔竜と共闘した仲間らの顔を見渡してみる。
もし、お嬢の代わりにマツリの希望に沿う様な交渉が可能な人物がいないか、と考えたからだったが。
「ん? どうしたの、おねえちゃん?」
「だけど、コレばかりはどうにもならないよねぇ……」
「どうにも?」
アタシの視線に目敏く反応したユーノだったが、彼女はこの国と同じく大陸とは離れた魔王領の出身だ。
高額の賞金を課せられたヘイゼルは寧ろ、マツリが交流を希望する国家とは敵対する立ち位置にいると言ってもよい。
ここにはいないが、カサンドラら獣人族三人組は。確か、海の王国でも有数の大商会・グラナード商会と契約した冒険者ではあるものの。今回の問題を解決するには、三人では少々力不足で。
つまりはこの場には、白薔薇公爵領の統治権を持つお嬢に代わる人間は存在しなかったのだ。
「そりゃ、冷静に考えて。国同士の決定権なんて持ってる人間がこんな場所にそうそういるわきゃないんだよねぇ……」
当然と言えば当然の結論にアタシは至った。長らく交流が絶たれた、しかも海を隔てた国に何を目的に、そんな権力者が訪れる必要があるというのか。
そう考えれば、お嬢の存在こそが異例過ぎるのだ。
マツリの希望が叶うかもしれない、という嬉しさと。条件を満たすのが二度と帰らぬと決めた生まれ故郷しかないという葛藤。
二つの感情が入り混じった溜め息を吐くアタシ。
──すると。
「何をそんなに悩んでるの、アズリア? 似合わない深刻そうな顔して」
息を吐き、下を向いた視線の先に。腕を組んでアタシの顔をジッと覗き込んでいたのは、「師匠」と呼び慕っている大樹の精霊だった。




