408話 アズリア、精霊の嫉妬心
「──は?」
師匠が口にした言葉に、一瞬だけ頭が真っ白になったアタシは。
思わず真顔に戻り、今の言葉の真意を訊ねるかのような一言が口から漏れる。
だが、アタシが向けた疑惑の視線を。あいも変わらず涼やかな態度で受け流した師匠は、笑みを浮かべた表情を変えずにアタシの問いに答えた。
「だから、言葉の通りよ。アズリア、あなたが使った魔法の代償は全部、私が肩代わりしておいたのよ」
「え? じゃ、じゃあ師匠、ッ……アタシも、他の連中も、寿命は縮んでないッて……コトかい?」
「そうよ。そう言ってるじゃない」
アタシは唖然とした。
なんと今、イチコら六人を蘇生させた魔法「世界樹の果実」の代償であった、三〇年分の寿命。
一度きりの魔法の発動とだけ見れば、あまりに重過ぎる対価を。支払う、と覚悟を決めたアタシの元に次々に仲間らが集い。「代償を分割する」という驚きの提案をヘイゼルが閃き、七人全員がその案を承諾した。
だが、アタシの心の中には。
たとえアタシを含む八人で、三〇年という魔法の代償を分割し、支払った事で。代償の結果、即座に命運が尽きるという結末は防げたかもしれないが。
それでも。
本来、生きていられる人生の長さを。代償を支払ったことで、三年……いや、五年は縮めてしまったのは間違いなく事実だ。と、そうアタシは思っていたのに。
これまでの葛藤や罪悪感は、今の師匠の言葉によって。一切の無駄になってしまったからだ。
本来ならば、命運の一切が削れていなかった事を喜ぶ場面なのだろうが。
頭を悩ませていた原因が、突如として消えてしまったのだ。今は歓喜や安堵よりも、喪失感が先にアタシの心を占拠していた。
膝立ちの体勢のまま、呆然としていたアタシへ。
小柄な少女の身体で胸を張る師匠は、勝ち誇ったような表情を浮かべ。
「あ、気にしなくていいわよ。人間と精霊は生きる時間が違うの。今まで数百年生きてきた私にとっての三〇年なんて、大した時間じゃないわ」
太古の時代にのみ存在した魔術文字を研究する過程で、文献や伝承に残っている記録では。精霊が生きてきた年月は一〇〇年や二〇〇年ではなく、さらに長い時を生きている。
それが真実ならば確かに、三〇年の代償など微々たるものなのだろうが。
言葉の表面だけを捉えれば、お嬢が口にしそうな印象だが。おそらくは、アタシに罪悪感を覚えさせないための師匠なりの心遣いなのだ。
だが、アタシは同時に。
精霊とは、人間に過度に干渉をしてはいけないという決まり事があるという師匠の言葉を思い出していた。
今回、アタシの元へと突如として出現した大樹の精霊が。敵対していた四体目の魔竜に直接力を振るわなかったのも。精霊が課した決まり事故なのだ。
ならばこそ。
その人間を蘇生させるための代償を、人間であるアタシから肩代わりをする行為もまた、人間への過干渉にはならないのだろうか。
「な……何で、そこまで、ッ?」
「何で、って言われても……そうね、強いて理由を言うなら──」
問い掛けたアタシの言葉に、師匠はふと視線をアタシの頭上辺りを彷徨わせる。
咄嗟に答えることが出来ず、おそらくは解答を考えていたのだろう。
一息の間の後、どうやら的確な答えを思いついたらしく師匠が口を開く。
「アズリアのために集まったあの仲間たちと同じ……いえ、それ以上に。あなたのために何かをしてあげなきゃ、そう思ったから……かしらね」
「し、師匠……ッ」
アタシは師匠が何を言っているのか、意味を飲み込めなかった。
海を隔てた大陸より離れたこの国まで、アタシを探し当ててくれただけでなく。
八頭魔竜、という強大な魔物と互角以上に戦うための力にと。伝説の一二の魔剣の一振り、大樹の魔剣・ミストルティンをアタシへ授けたのだ。
無論……一時的に、であり。後で本来の所有者である大樹の精霊に返却するつもりだが。
さらには、膨大な魔力を有する精霊を身体へ宿す「精霊憑依」まで、快く了解し。こうして人間の知識では到達出来ていない、精霊の魔力による蘇生魔法まで行使してくれる──という破格の恩恵。
それだけの事をしてくれた、にもかかわらず。師匠はまだ「アタシの力になりたい」と考えてくれていた気持ちに。
アタシの眼に、熱いものが込み上げてくるのを感じていた。
「な、何言ってんだよ……むしろ、今回の魔竜との一戦、師匠にゃ貰いっぱなしじゃないか。なのに……ここまでしてくれるなんて、ッ」
「もう……だから、前から言ってるじゃない」
その時、アタシの身体の内側を満たしていた膨大な魔力がふ……と消失する感覚。
と同時に、背後にいた筈の師匠の姿が霧散した。
「え? お、おいッ……師匠──」
会話の最中に起きた突然の現象に。驚きのあまりまだ膝立ちの体勢のまま、周囲を慌てて見渡すアタシだったが。
不意にアタシの顔の前に現れた、背後からの二本の細腕によって抱き締められてしまう。
「落ち着きなさいな、私よ」
先程までの、魔力で作られた実体のない姿であれば。頭に回された腕や、後頭部に当たる感触は決してあり得ない。
という事は。
今、アタシの背後に立ち。背中から腕を回している師匠は紛れもない本物であり。アタシの「精霊憑依」は解除されたのだと理解した。
先程感じた魔力の喪失感は、アタシの身体から師匠がいなくなった事が原因だったのだ。
「私はいつだってね。アズリアの一番でありたいのよ」
自分が置かれている状況を把握し、冷静さを取り戻したアタシの頭を自分の胸に抱き寄せる師匠は。
続けてアタシの眼の下にそっと指を伸ばして、眼窩に溜めた涙を拭う。
「どうせ泣くなら。私の命運を削った事を悲しむのでなく、アズリアに注いだ寵愛に感動して涙を流して欲しいわね」
「な、泣いてなんか、ないだろッ……」
泣いた、と言われ。思わず強がってみせたアタシだったが。実際に涙を拭かれてしまえば、誤魔化し以外の何物でもない。
師匠が背中に立っていてくれてよかった、とこの時アタシは思った。もし、目の前に師匠の顔があり、泣き顔をまじまじと見られていたなら。
きっとアタシはこれからしばらく、師匠の顔を正面切って見られなかっただろう。
だからこそアタシは、決して後ろを振り向かないようにしながら。
「でも……あ、ありがとな、師匠。何から何まで、こんなアタシの世話を焼いてくれて、さ」
「そりゃあね。私のことを師と仰いでくれる可愛い弟子のためだもの」
ここでようやく師匠に、これまでの数え切れない助力への感謝の言葉を口にする。
せっかく師匠から涙を拭って貰ったばかりだというのに、言葉を口に出した事にさらに感極まってしまい。再び目に涙を溜めてしまってはいたが。




