391話 アズリア、負傷者らを癒す
その時、地面に接していたファニーとセプティナが察知したのは。馬の嗎き、僅かな地面の揺れと、そして地面を踏み鳴らす蹄の音だった。
「──ま、まさかっ⁉︎」
何者かが戦場に接近してくる気配に、二人は鳴き声と蹄の音のする方角に顔を向けると。
「はぁ、はぁッ……まだ生きてるかい、みんな」
そこには、ファニーやセプティナが知る女戦士が立っていたのだ。
まだ蹄の音は戦場に到着するには程遠い位置から、だというのに。
「──え?」
だが、二人が戸惑い、言葉を失うほどに驚いていたのは。想像していたよりも到着が早かったからではない。
目の前の女戦士の、戦場の風になびく髪が真っ赤ではなく。草葉を想像する緑色に変わっていたからだ。
◇
「な、何……呆然としてんだいッ?」
負傷者が待つもう一つの戦場へと戻る際に、迎えに来た二人の姉妹を駿馬に乗せ。アタシは馬へと騎乗せず、自前の二本の脚で駆けていたのだったが。
ユーノらの容態が気になり、道中、フブキらを追い抜いて先に戦場へと到着してしまった。
そんなアタシを出迎えたのが、お嬢の護衛をしていたファニーと女中の二人だった……のだが。
「おおーい、ッ……」
「うん、駄目ね」
何故か、二人はアタシを凝視したまま、口を大きく開けて驚き、動きを止めてしまっていた。
アタシが二人に眼前にまで歩み寄り、顔の前で開いた手を振ってみせるが。呆然としたまま何の反応も示さない。
「見なさいなアズリア、二人はどうやら……あなたの髪の色に驚いたらしいわよ」
「え? あ、そ……そっ、か」
最初は、馬の接近よりも早くアタシが到着したことに腰を抜かしたのかと思ったが。呆然とした二人の視線は、憑依中の師匠が言うようにアタシの頭に向けられていた。
精霊と同化し、その力を得る「精霊憑依」により。アタシの髪の色は今、鮮やかな緑へと変化しており。
おそらく、いつもの赤髪しか知らない二人は。突然の髪の色の変貌に、アタシをアタシだと認識出来ず困惑したのだろう。
アタシは二人を我に返すため、両の手の平を勢いよく叩き合わせてパンッ!と大きな音を鳴らす。
「「──は、っ?」」
「ほら、いつまでもぼーっとしてんじゃないよッ」
両手を打ち鳴らした音で、ようやく我に戻った二人は。早速、負傷者たちの切迫した現状をアタシに訴え始める。
「そ、そうですアズリア様っ、誰か……誰かベルローゼお嬢様を治療出来る方を知りませんか? お嬢様が意識を戻せば、負傷者の治療に役立つはずです、きっと……」
「あ、アズリアっ! カサンドラが……カサンドラがこのままじゃ死んじゃうっ?」
見れば、負傷し寝かされていた武侠らは、まともな治療を受けた様子はなく。この場にはお嬢以外に、治癒魔法の使い手がいない事を再確認したアタシは。
「待て待て、落ち着けって、二人とも」
アタシの身体に必死に縋ってくる二人を、落ち着いてもらうために一度引き剥がす。
しかし二人は、縋る手を払われたのをアタシも治療が出来ないと勘違いしたのか。いよいよ、悲壮感が漂う表情に変わるが。
「今のアタシなら、お嬢もカサンドラも、それにアンタらも含めて負傷者全員を治してやるさッ」
この発言は、落胆した二人を安心させるための嘘ではない。
アタシは一度、師匠との「精霊憑依」を果たした際に。亡者に変貌しかけた大勢の村人を全員救ったのを憶えていたからだ。
問題は、負傷者がまだ一箇所に集められていなかった事だが。
「……出来るよねぇ、師匠?」
「あはっ、誰にものを言ってるのかしらアズリア?」
少しばかり挑発的な言葉になってしまったが、アタシは戦場に散らばるユーノら負傷者の全員を治療出来るのか否か、を。憑依中の大樹の精霊へと確認していくと。
「私は生命を司る大樹の精霊ドリアード。可愛い弟子の手助けをした人間の一〇人や一〇〇人程度、絶対に助けてあげるわよ」
「師匠にそう断言してもらえると、心強いよ」
早速アタシは、生まれてから三度目となる魔法の発動のための準備を開始した。
本来、魔術文字を右眼に宿し生まれたからか、通常の魔法を使う能力が完全に抜け落ちてしまっていたアタシだったが。
これまでに二度。最初は師匠との「精霊憑依」で。二度目は、手に握った者を支配しようとする魔杖の力で。アタシは魔法を使う幸運に恵まれた。
さすがに三度目になると、魔術文字を行使する時と魔法の発動時の魔力の使い方の違いにも慣れ。
アタシの頭の中と、身体に宿る大樹の精霊とで膨大な術式を構築した事で。
ファニーとセプティナの二人に「任せろ」と声を掛けてから瞬時に、魔法を発動する準備は完了した。
詠唱も、予備動作もなく。
「……いくよッ」
両腕を広げると、三体目の魔竜との戦場全体に淡い緑の光が拡散していく。
いつもアタシが魔術文字を使う時の猛々しい魔力とは全然違い。母性を感じさせるような温かい雰囲気を漂わせた魔力に。
全身至る箇所に火傷を負っていたファニーは、痛みがス……ッと引いていく感覚を味わっていた。
「な、何? この……緑色の、ひかり、あったかい……」
「間違った表現かもしれないが……まるで、親しい人間の傍らにいるような……」
実はセプティナは元は拾われた孤児で、母親の顔を知らない。
が故に、全てを包み込む温かさの雰囲気を「母親」と瞬時に結び付ける事が出来なかった。
だが──これでまだ、魔法の発動直前。
「この場の全ての魂を癒せ────世界樹の雫」
ホルサ村の多数の村人らの生命を救った、精霊のみが行使出来る治癒魔法が発動した瞬間。
負傷者へと降り注いだ緑色の光が、火傷や肉体の損傷箇所をみるみるうちに癒やしていく。
「え? 火傷と痛みが……消えた? あっと、いう間に……」
そして当然ながら、魔法の対象は倒れていた負傷者だけではない。仲間や忠誠を誓った者を癒やして欲しいと願ったファニーとセプティナもまた、魔法の対象に含まれており。
ファニーの全員に刻まれた火傷が、緑の光に包まれた途端。信じられない速度で消えていき、戦闘の直前のような肌へと再生していた。
そして。
癒されたファニーが続けて驚きの声を上げた。
「……う……う、うぅっ……っ……」
「か、カサンドラがっ⁉︎ 目を開けたっ!」
鎧の破片が突き刺さり、手の施しようのなかった傷口が、魔法で再生したために身体から勝手に抜け落ち。
全身に負った火傷が回復したカサンドラが目を開け、意識を取り戻したからだ。
勿論、セプティナが背負っていたお嬢の身体にも緑の回復の光は降り注いでいた。




