386話 アズリア、憑依した師匠の叱責
選択肢が与えられた直後、アタシが握る大樹の魔剣から、緑の光として放ち続けていた魔力が霧散していく。
これ以上、治療に費やすための魔力を無駄に浪費しないために。
「──そんなモン、決まってるじゃないか」
アタシが選んだのは、仲間の生命。
当然だ、魔術文字の入手や首飾りはまだ奪還出来る機会がいずれはある、これで最後の機会ではないだろうが。
誰の生命であろうが一度尽きてしまえば、蘇る事は決してない。
以前、師匠と「精霊憑依」を果たした際に、隷属種の吸血鬼に変貌した村人へ行使した蘇生魔法とて。亡者に堕ちかけた魂を掬い上げただけで、完全なる死者を復活させたわけではない。
「アズリア。決断したみたいだけど、もう一度聞くわよ……本当に、それでいいのね?」
「ああ。そりゃ、少しばかり目的にゃ遠回りになっちまう。エルナーシャや海魔族にゃ悪い……とは思ったけどさ」
仲間を救うと選択したばかりのアタシに、再び憑依していた師匠からの声が聞こえてくる。
口では「少しばかり」と控えめに表現してみせたが。実際にはこの選択でどれ程、本来の目的から遠ざかったのかは想像が出来ない。
もしかしたら、この機を最後にアタシに永久に機会が巡ってこない可能性だってある──それでも。
「仲間の無事のほうが、アタシにゃ大事だからねぇ」
後悔も未練もない、本心からのアタシの回答に。先程までの深刻そうな口調から一変、いつもの少女の声に戻った師匠は。
「ええ、アズリアならそう言うだろうと思ってたわ」
「……え。じゃ、じゃあ、さっきまでの問いかけはな、何だったんだいッ?」
「うふふ、それは、まあ。雰囲気ってやつかしら?」
何と、アタシがどちらの選択を取るのかを初めから想定していた、と言い出したのだ。
さすがは師匠、とは手放しに喜べない。何しろアタシの思考がすっかり読まれていたのだから。
裸を見られるよりも恥ずかしさが込み上げてきたアタシは、思わず憑依していた師匠に大声を出してしまう。
「とッ、とにかくッ! ユーノたちを助けるって決めたなら、急いで向かわなきゃ……だってえのッ!」
「はいはい、そうね。それに──」
これが実際に師匠と顔を合わせているだけなら、気恥ずかしさを悟られないよう視線や顔を逸らす事で済むのだが。
アタシの意識の中に、師匠がいる今の状態では。こちらの感情の機微も全て隠せずに知られてしまっていたにもかかわらず。
そんなアタシを宥める……いや、小馬鹿にするように遇らう師匠は。
「私からしても、これまでアズリアの無茶を助けてくれたという意味では、その者たちには感謝しているもの」
まだ顔見せすら済ませていないユーノらに「感謝」し、さらに「生命を救う」対象として見てくれている発言をした。
これがどれ程、稀少なことなのか。
魔剣と同じく、世界にたった一二体しか存在しない精霊は。その身に秘めた強大な魔力や、精霊にしか行使出来ない遺失魔法など……人間とはかけ離れた存在だ。
これまでアタシは、師匠以外に水の精霊に氷の精霊と、三体の精霊と出逢っていたが。
どの精霊にも共通して言えるのは、興味を示さない人間には限りなく冷淡な反応を見せる、というものだった。特に師匠は、アタシの知る三体の精霊の中でもその傾向が強い。
そんな嬉しい反応を示した直後。
師匠は続けざまに、今回の本拠地潜入の一連の流れについての叱責を始め出す。
「で、でもさ、無茶って……」
「あら? たった四人で敵の本拠地に突入して、中で盛大に暴れ回る作戦の、どこが無茶でないと言うのよ」
「ゔ……ッ!」
「はぁ……まったく。アズリア、初めて会った人間の街でひと暴れした時から、全然成長してないじゃない」
師匠が言っているのは、アタシと初めて遭遇したシルバニア王国は王都での出来事。
当時、水と食糧が尽き行き倒れになっていたアタシを助けてくれた商会長ランドルの一人娘・シェーラが誘拐され。その実行犯が王国貴族の一人と知り、単身その貴族の屋敷へと突入したアタシの行動についてだった。
──貴族の護衛を壊滅させ、シェーラを救出したまでは良かったのだが。護衛だった暗殺者や冒険者との戦闘でアタシもかなりの深傷を負い。
当然ながら襲撃後にその事を罪に問われ、アタシは追及を逃がれるために王都を離れる事になった。
師匠の一言で、アタシが一年ほど前の出来事を思い返していると。
「……あの時、私に一言掛けてくれてれば」
ボソリ……と聴こえてくる師匠の言葉。しかし、思い出に浸っていた時にあまりに唐突に、そしてあまりに小声だったため。
アタシは師匠の言葉の全てを聞き取ることが出来なかった。
「ん? 師匠……今、何か言ったよねぇ」
「別に、聞いてないならいいわよ」
完全には、師匠の言葉は聞き取れなかったものの。部分的に耳に入ってきた単語から、アタシは何を言っていたのかを推測してみる。
実は……シルバニアの王都を出てから後。ランドルとはホルハイム戦役の終結後の復興計画で、再会を果たしたのだが。
その時に、シルバニアの建国と大樹の精霊との関係を、彼の口から聞いていたのだ。
シェーラが誘拐されたと知った際。最初に大樹の精霊に相談を持ち掛ければ、或いは王都を退去せず。精霊界での訓練を続けていた未来もあったかもしれない。
だが「精霊憑依」の最中には、アタシの思考は師匠に筒抜けだったことが。すっかり頭から抜け落ちており。
「ほらっ! 急がないといけないんでしょ、だったら余計なことを考えてる暇はないわよ!」
何を呟いたかを推測するアタシの頭の中を透かして覗かれたからか。
勝手に憑依しているアタシの身体を操り、既に息絶えた魔竜の体内から移動を急かす。
これ以上、アタシが推測を進めないように、と。
「わ、わかったよッ! 急ぎたいのはアタシも同じなんだから……ッ」
だが、如何に憑依していた精霊が強大な存在と言えど。強引に動かせるのは顔を逸らしたり、足を一歩踏み出す程度が精々だ。
アタシは、移動を急かす師匠にさらに身体を操らせないために。
「おら──よぉッ!」
手に握っていた魔剣を二度、左右に払って。跳躍するために邪魔になる魔竜の肉を斬り落としていき。
次の瞬間、あれだけ弾力のあったにもかかわらず、息絶えた事で緊張を失い、ぶよぶよと柔らかくなった魔竜の肉を蹴って。
魔竜の胴体の内側から飛び出したアタシは、呼び止めたフブキの目の前へと着地する。
「待たせたねぇ、ッて……お、おい、フブキ?」
だが、ユーノらの救援にとアタシを呼び止めた当の本人はというと。
「……ひぇ、っ⁉」
しっかりと両脚で隣へと着地したアタシを一目見た途端に、何故か小さく悲鳴を漏らし。ペタリと地面に尻を着いて、呆然とした表情のまま座り込んでしまっていた。




