383話 アズリア、最初で最後の懇願を聞く
──だが。
魔剣を振り上げ、真上へと大きく跳躍したアタシの相手は。過去に一度、この国を恐怖に染めた伝説の魔物・八頭魔竜だ。
掲げた大剣の刃を何の躊躇いもなく振り下ろすアタシへと、両断されていた筈の上下の顎を強引に開いていく。
『た……たとえ再生を封じたくらいでっ、簡単に討てるとお、思うなあぁあああああっ⁉︎』
伝説、と呼ばれた魔獣の最後の意地なのだろうか。鋭く伸びた無数の牙を迎撃のために伸ばそうとする魔竜だったが。
『──な? が、が……ごぉっっ⁉︎ 』
突然の出来事に驚愕の声を漏らす。アタシを噛み砕くために強引に開いた上下の顎へと、何処からか伸びてきた樹木の蔓や枝が絡み付き。顎を拘束すると同時に、アタシの斬撃で両断した傷口を完全に開いていった。
勿論、樹木を伸ばしたのは。アタシに憑依していた大樹の精霊の仕業だ。
大樹属性の魔力を周囲に拡散した事で。こちらが意図していなくても勝手に成長した植物が、敵である魔竜を拘束したのだ。
そして、拘束は大樹の精霊の認識でさらに強化される。
「悪足掻きはそこまでよ。そろそろ大人しくアズリアの一撃を受けて貰うわよ」
『が、あ……っっ──』
本来の顎の力ならばいざ知らず、骨まで両断され、まともに噛み合わせる事すらままならない今の魔竜の顎では。
大樹の精霊が伸ばした植物の拘束を強引に振り解く事は不可能に等しかった。
毒霧を掻き消され、本当に最後の手段だった牙での迎撃すら封じられた魔竜の視線に映るのは。
迫るアタシと、振り下ろされた緑に輝く魔剣だった。
次の瞬間、その刃が魔竜の頭部は目と目の間、眉間の部分へと直撃した。
その一撃は頭を守る鱗を簡単に叩き割り、肉へと刃を沈ませていく。
『……ま……待て、にん、げん、っ……』
その時、魔竜の両の眼がギロリと魔剣を振り下ろしたアタシへと向けられたのだが。
今、まさにアタシの渾身の一撃を喰らっている最中の魔竜の眼に宿っていたのは、敵意や殺気といった感情ではなく。
何かを懇願しようとする、敗北を悟った者の感情であった。
「あ? ここまできて、情けなく命乞いでも……するつもりかい?」
『そ、そもそも、何故に……我の生命を、た、断つつもりなのか……?』
「──ん?」
魔竜の言葉に、アタシはふと冷静になって考えてみた。
そう言えば、カガリ家騒乱の黒幕であったジャトラの裏で暗躍していた「一ノ首」を名乗った三体目の頭とは違い。目の前にいる四体目は、増援に召喚されただけ。アタシの知る限りでは、まだ討ち果たすべき悪事を何一つ行ってはいなかった。
「そ、それはっ……?」
同じく、魔竜の訴えを耳にしていた二人の姉妹は。
アタシと同様に、目の前の魔竜が倒されるべき理由を見出せなかった事に。明らかに動揺し、言葉を失ってしまう。
『か……過去に、悪事を働いただけで……わ、我のそ、存在を悪と、決め付けるのか、人間はっ!』
アタシとて、単騎で飛び出した挙げ句に。自分一人の力だけでは決して魔竜の無限の再生力を撃ち破る事は出来なかったであろう。突如として戦場に師匠が現れていなければ、こうして追い詰められる立場は逆転していたかもしれない。
もしアタシが、この国の伝承にある竜の魔剣を握った立派な勇者であったなら。今、眉間に減り込ませた刃を引き、魔竜の懇願に一度は耳を貸したであろう。
「ごちゃごちゃと……煩い、ねぇッ!」
だが、アタシは逆に魔剣を握る腕にさらなる力を込めて。肉に沈んだ刃をさらに深く減り込ませ、頭蓋へと届かせた時点で。一度、魔剣を止める。
『き──き、きっ、貴様あっ?』
頭蓋へと魔剣が触れたことに、明らかに魔竜の声に焦りの色が滲み出た。
魔竜もまた、攻撃が止まったのはアタシの意思であり、頭蓋が割られるかどうかをこちらに握られているのを理解した、と……そう思っていたが。
続く魔竜の言葉から、アタシの考えが間違っていたのを思い知る。
『しょ……所詮は人間の基準で我を悪と断定し、せ、正義の刃を振るったつもりか、わ、笑わせるなぁぁぁっ!』
「……おいおい、誰が正義だってえ? アンタの期待に沿えなくて悪いけど。アタシは悪だよ、紛れもなく……ねぇ」
アタシに生命を握られている今の状態を本当に理解していれば、挑発的な言葉が魔竜の口から出るという事はあり得なかった。
それに、魔竜はもう一つ勘違いをしていた。それはアタシが、大義名分や義憤に駆られて魔竜を倒そうとする正義の味方だと断じた事だ。
魔竜の勘違いを正すための証拠を突き付けようと。
アタシは魔剣を握っていた右手ではなく、力を送るために柄に添えていた左手を懐に入れ。とある物を手に取り、魔竜へと見せつけていく。
『そ、それはっ⁉︎』
「この石版は、アンタらが隠し持ってたモノさ」
アタシの手にした「とある物」とは、これまでに二度、遭遇した魔竜から入手した石版の欠片を二つ、繋ぎ合わせたものだ。
しかも石版には、不完全ながら魔術文字と思しき文字が記されていた。
「そもそもアンタと戦った理由……それは、ね。アンタが所持してるこの石版が欲しかっただけなのさ」
『だ……だったら、その石版を──』
「必要ないね」
アタシが戦う目的を知った魔竜は、この期に及んで交渉を持ち掛けてきた。いや、追い詰められた状況だからか。
石版をこちらへと譲ろうと条件を提示してきたが、魔竜の言葉に被せるようアタシは条件を跳ね退けていく。
「今、この場でアンタを倒しちまえば、こちらの欲しいモノ全部が手に入るんだからねぇ」
そう言い放つと同時に、アタシは一度止めていた魔剣に再び力と魔力をゆっくりと込めていくと。
刃が達していた魔竜の頭蓋に、亀裂が走っていき。魔剣の刃がさらに深く、魔竜の頭の中へと沈み始めた。
『ま……待てっ、に、にんげ──』
その時、魔竜の懇願の声を掻き消すように。大樹の魔剣が放っていた緑の光が一瞬にして膨れ上がる。
アタシの中に「精霊憑依」で宿っていた師匠が、自らの所有物である魔剣へと魔力を注ぎ込んでいたのだ。
「さあ、とっとと決めちゃいなさいな、アズリア」
一瞬、アタシの頭の中には、この国を訪れてからおよそ半月ほど。これまでの出来事と光景が、凄まじい速さで浮かび上がり、流れていくのを感じた。
アタシが関与するより以前から続いていたこの闘争も、これでようやく終結する。
その感慨深さに、思わずアタシの顔が綻び、自然と口角が上がってしまう。
「──じゃあな、四本目」
アタシと魔竜の頭部の周囲の大気が渦巻き、咆哮を発しながら。魔剣の刀身だけでなく緑の光までもが刃となって。
『……が、ぁぁっ⁉︎』
堅い頭蓋を瞬時に叩き割り、内側にあったぶよぶよと柔らかい脳漿を撒き散らしながら。
光を纏い巨大な刃を形成した大樹の魔剣は、ついに魔竜の頭部をも左右真っ二つに両断していく。
それはまさに、魔竜の生命を断つ一撃。




