382話 アズリア、魔竜への最後の一撃
一方で、毒霧を掻き消されて茫然としていた魔竜だったが。さすがにアタシが距離を詰め、懐にまで潜り込んだ事でようやく我に帰る。
『こ、このまま、我が……負ける、だとッ⁉︎』
すると今一度、毒霧を吐き出すための予備動作として息を大きく吸い込んでみせる魔竜だったが。
当然ながら、そのまま口から放ったとしても。アタシが握る大樹の魔剣で、先程と同じように毒霧を浄化すれば良いだけだ。
しかも先程、吐息を放った時に顎の傷が完全に開き。今、毒霧を吐けば真っ先に斬り裂かれた顎が霧に触れ、腐り溶けて落ちるのは己の身だ。
ならば。
アタシが魔竜の喉元を斬り裂くため、魔剣を振りかぶる腕はその程度では止まらない。
「は、ッ! 最後の悪足掻きがそれかい?」
──その時だった。
魔竜との戦闘の余波に巻き込まれないよう、離れていたフブキが再び警告の声を張り上げる。
「アズリアああ! 早く倒さないとっ……また何かとんでもない事にぃっ!」
そう言えばフブキは、ユーノらに任せた戦場からやって来た際に。三体目の魔竜の最後の悪足掻きである大爆発に巻き込まれた、と言っていた。
おそらくは同じ事を繰り返さないか、それをフブキは危惧しての警告なのだろうが。
「安心しなさい、アズリア」
アタシの身体に憑依していた大樹の精霊が、フブキの懸念を即座に否定する。
聞きたかった、その理由までも。
「あの魔獣の喉元からはそこまでの魔力の高まりは感じない。もう一度、同じ吐息を浴びせかけるつもりみたいね」
「……それを聞けて、ホッとしたよ」
フブキが警戒する自爆、または自爆に類する最後の手段ではなく。攻撃する意思が魔竜にはまだある、ということを知り。安堵したと同時に。
毒霧を吐くための口は、アタシが魔剣で両断したばかりであり。今、毒の吐息を放てば先に傷を負うのは魔竜なのに。
一体、何をしようというのかという疑問。
次なる魔竜の行動に、ほんの僅かだけ警戒を強めたアタシだったが。
「うん? 顎を……閉じた?」
毒霧を吐くための口を開けるのではなく、無理矢理に閉じ始めたのだ。縦に両断され、上下四つとなった顎を。
続けて魔竜は喉元に溜めた毒を、吐き出すのではなく逆に腹へと飲み込んでしまう。
『ご! ぐ、ぎぎぎぎギギギギィィィィ⁉︎』
直後、口を閉ざした状態のまま。苦悶に満ちた声を漏らしながら、こちらから視線を外してのたうち回り始める魔竜。
「は?……え、えっと」
側から見れば、自分の毒をわざわざ飲み込んだ事で苦しんでいるようにしか思えない。ますます魔竜の行動、その意図が全く読めずに困惑の声を漏らすアタシだったが。
次の瞬間。
地面にのたうつ魔竜の胴体部、鱗と鱗の隙間から。口から放たれたのと同様の、毒々しい色の煙が噴き出してくる。それも一箇所ではなく、複数の箇所から。
『た、絶えず、身体から毒を噴き出し続けていれば、剣風で毒を吹き飛ばす事は出来ぬ……こ、これなら、我を斬れば毒の餌食よ……』
魔竜の言葉で、ようやく「毒霧を飲み込む」という意図こ読めなかった行動の目的をアタシは理解した。
絶えず身体から毒霧を放出し続ける事で、攻撃を仕掛ける人間は確実に毒を浴びる。攻撃と防御を兼ねた行動だということに。
だが、見れば。毒霧を噴き出している魔竜の鱗もまた、表面がドロリ……と溶解し始めている。考えてみれば、毒の影響を一番間近に受けているのが鱗だ。
このまま全身から毒霧を放ち続ければ、いずれは鱗が溶け、己の肉をも溶かすだろう。
「そ、そこまで……するかよッ」
最初に苦しみ、激しく悶えていたのも。自らの毒で身体の内側を焼かれていたからなのだ、と。アタシは初めて理解し、同時に魔竜の覚悟に戦慄を覚えたが。
「それだけ相手も手段を選んでいられないくらい、追い詰められてる……ということよ」
「な……なるほど、ねぇ」
またしても、アタシの心の平静を守ってくれたほは憑依している師匠の言葉だった。
確かに、無限の再生能力が封じられている今。毒霧による影響、溶けた鱗や焼かれたであろう喉は元には戻らない。
追い詰められた魔竜が、己も深傷を負う方法を選んだという事は。言い換えれば、その手段しか残されていないという事に他ならない。
……しかも、である。
アタシの持つ大樹の魔剣には、魔竜の毒霧を浄化する能力が兼ね備えられている。
どのような方法であれ、アタシに向けられた攻撃の手段が毒である限りは。決してアタシに届く事はないのだが。
「アズリアには剣の浄化作用もある。このまま相手が毒で自滅するのを待つ、のも良策なんだけど──」
そう告げた師匠が、アタシの視線を魔竜から逸らしていく。
その視線と意識の先には──フブキがいた。
「このまま毒霧を撒き散らされたら、フブキやマツリまで巻き添えにしちまう……ッてコトかい」
「そういう事ね。もちろん、毒を浄化するのに専念すれば防げるとは思うのだけど」
防御に専念、ということは。魔竜にトドメを刺すための攻勢の手を止めなくてはならないという事だ。
だが、魔竜が毒霧で深傷を負うまでは確定でも、自滅するまで毒霧を噴き出し続けるかは不明だ。
だからこの場面でアタシが守勢に回るのは本末転倒、まさに魔竜の思惑通りになってしまう。
そんなアタシの視線を察したのは、フブキの魔力を消費して姿を顕現させていた「凍の女皇」カイ。
「こちらの心配など無用じゃ──ほれ」
カイが右手を払うと、無防備だった二人の姉妹の前に氷の壁が現れた。突如として出現した氷は分厚く、その癖に背後に立つ三人の姿がくっきりと映る程の透明度の。
なるほど、氷がどれだけ毒霧に耐え得るかは不明だが、遮る壁があれば即座に毒に触れる懸念はない。
「あ、ありがてぇ! コレでアタシは魔竜に集中出来るってモンだッ」
師匠とアタシが抱いた懸念が解決したことを知り、フブキらに向いていた視線を魔竜へと戻した。
最早、剣を振るうのを躊躇する全ての懸念は取り払ったからだ。
「悪かったねぇ、魔竜……アンタの思惑に乗ってあげられなくて、さあッ!」
そう言葉を言い放った直後。周囲の状況を俯瞰する保護者の役割や、師匠と再会した不甲斐ない弟子ではなく。
一介の戦士としての顔や眼へと変貌したアタシは。
再び、握っていた大樹の魔剣に意識と腕の力、そして魔力を残らず集中していき。
「見せなさいな、アズリア。大樹の魔剣の持つ、本当の威力を」
瞬間、魔剣を構えたアタシを中心とする一帯が緑の光に包まれ。光を浴びた地面からは小さな草花が無数に芽吹き始める。
そればかりではなく、大剣相当となった魔剣の刀身には。血の発動をしていないというのに、勝手に「生命と豊穣」の魔術文字が浮き出ていた。
そもそも「生命と豊穣」の魔術文字は、大樹の精霊がアタシに譲渡したものだ。
そして魔剣の所有者も同じく大樹の精霊。魔剣と魔術文字の二つが、所有者の元に揃ったのだから何ら不思議な事ではないのだが。
「ああ──任せなよ、師匠」
アタシが必殺の一撃を放つため、緑に輝く魔術文字の浮かんだ魔剣を振り上げた。




