376話 アズリア、魔竜の命綱を断つ
地面を、そして魔竜の体表を凍結させた「凍結する刻」に加え。右眼の魔術文字までも同時に発動していた……つまり。今のアタシは「二重発動」を使っていたのだ。
負担の大きな「九天の雷神」に続けて、今度は「二重発動」と。凄まじい量の魔力を短い間に消費していた筈のアタシだったが。魔力が尽き掛けた時に現れる異常は、不思議とまだ感じない。
原因は分かっている、握っていた魔剣だ。
右手に握られていたのは、店売りの稀少金属で打たれた魔剣などではなく。大樹の精霊の所有物である伝説の魔剣・大樹の魔剣。
握っているだけで魔剣から流れ込んでくる膨大な量の魔力が、「二重発動」で大きく減少したアタシの身体を満たしてくれていたのだ。
上下の顎を両断され、口が使い物にならなくなり、逃げる魔竜を追うように。
振り抜いた魔剣の刃を、手首を返して捻り。魔竜が逃げる方向へと大きく跳躍するアタシ。
「逃げるんじゃないよ、魔竜ぃッ! アンタはアタシがこの魔剣で殺してやるッ!」
対して懸命に逃げながらも、距離を縮められていた魔竜の表情は。口が裂けているために声を発してはいなかったが。
アタシと魔竜、互いの視線が交錯した瞬間。
明らかに、これまで人間相手に見下すような態度から一変し。回避し切れないアタシの攻勢に焦燥と困惑の反応を見せる。
その魔竜を完全に捉え、再び魔剣を放ったアタシ。
狙うは先程と同じく頭部……ではなく。地面から長く伸び、頭部とを繋ぐ胴体部のど真ん中。おそらく、急所中の急所である心の臓がある位置へと。魔力に反応し、緑に輝く刃を突き立てるため。
斬撃、ではなく。一度、後方へと剣を握っていた腕を引き、力を溜めてから。息を大きく吐き出すと同時に腕と、鋭い魔剣の切先を伸ばして。目にも止まらぬ高速の刺突を繰り出した。
魔剣の先、いや解放された圧倒的な暴力は。直前に大きく斬り裂いた口と喉元の真下に位置した胴体部、その鱗をスゥッ……と貫通し。
鱗だけでなく、肉や骨すら何の抵抗もなく魔竜の胴に沈んでいき。魔術文字の効果を最大限に突撃した勢いから、刺し貫いた傷に魔剣を握る腕までもが、肘の辺りまで減り込んでしまい。
魔竜の背面部からは、緑の光が漏れ出すのが見えた──刺突が太い胴体部を貫通し切った何よりの証拠。
──しかし。
「ち、いッ……外した、かよッ?」
アタシは直感的に、心の臓を捉えられなかったと判断し、舌打ちをする。
傷口を斬り開く斬撃とは違い。刺突の場合は貫通した剣閃が急所を貫いたかどうかを、剣を握る感触で判断する以外ないのだが。
あまりに魔剣の重量が軽すぎるのと、切れ味が良すぎるのが逆に仇となり。感触で判断する事が出来なかった。
魔竜のような巨大な体躯の魔獣を相手にする場合は特に、斬撃を浴びせて外からでも急所の位置を露わにしておく事が重要だったりする。
それでも……魔竜とて生きているには違いない。生物が心の臓を貫かれでもしたら、一目で理解出来る程に反応を示すには違いない。
しかし、魔剣諸共アタシの腕まで肉に減り込ませた魔竜は、心の臓を潰されて苦悶する様相を見せなかったのだ。
今の刺突が深傷なのは疑いようもなかったが。
同時に、アタシの動きも止まってしまった。
「剣を、返し……やがれぇぇッッ!」
仕掛けた攻勢で致命傷を与えられなかったのは口惜しかったが。攻撃に固執し過ぎれば、逆に大きな隙を作り、手痛い反撃を喰らう可能性がある。
顎を両断し、牙での噛み付きこそ封じたものの。長く伸ばした胴体部を振り回して、腕を取られたアタシを地面に叩き付ける……等の反撃を。
それに、魔竜の身体に深々と突き刺さった魔剣と右腕は。下手に魔竜が肉を収縮すれば、抜くのが困難になってしまう。
魔竜が力を込める前にアタシは。胴体部を両脚で踏み込みながら、渾身の力を込め、傷口から魔剣と右腕を引き抜いていくと。
思い切り胴体部から剣を抜いた勢いを利用し、踏ん張っていた両脚で鱗を蹴り。大きく後方へと跳躍し、一旦魔竜との距離を空けていった。
仕切り直し、アタシが再び力を溜める間が欲しかったという意図もあるが。
──もう、一つ。
「……さあ、やってみせろよ」
少しばかり不安定な姿勢から、空中で何とか体勢を立て直してしっかり両脚で着地し。
そう呟いたアタシは、魔術文字が刻まれた手の甲へと魔力を注ぎ込みながら。距離が空いた魔竜を見据えていく。
攻撃が途切れた、ということは。魔竜もまた「逆転時間」を発動し、与えた傷を塞ぐ猶予が生まれたという事でもある。
迷う事なく魔竜は、己が持つ魔法の恩恵を受けて。両断された顎と、胴体部に空いた穴を再生しようと試みる。
……しかし。
『──っっ⁉︎』
驚愕の表情。大きく両の眼を見開いてみたものの。続いて「何が起きたのかが理解出来ない」といった焦りと困惑の反応を見せる魔竜。
当然である。これまでどんな深傷すら瞬時に塞がり、傷口を再生していた「逆転時間」の効果が一切現れていなかったのだから。
だが、どれ程に焦って何度も傷口を見ても、先程の攻勢でアタシが浴びせた傷は再生しなかった。
この間、一瞬とは言い難い時間が流れていた。何なら、アタシが再び攻勢に打って出てもおかしくない程の隙。
それでもアタシは攻撃を仕掛ける事なく、驚き、戸惑う魔竜の姿を眺めていた。
己の身に起きた異変、その原因がアタシにある可能性にやっと至ったのか。ようやく魔竜はこちらへと睨むような視線を向ける。
敵意や殺意というよりは、寧ろ恨みがましい感情の込もった視線を。
「何をした……そう、言いたそうな眼をしてるねぇ、魔竜」
だが、睨むだけで一向にその場から動こうとしない魔竜に対して。
アタシは手の甲で白い輝きを放ちながら発動中の「凍結する刻」の魔術文字を見せつけていく。
「実はアタシも何が起きてるか、理屈は分かっていないんだけどねぇ……一つだけ確かなのは」
言葉の通りだった。
あれだけ対策に苦戦し、結局自力では打ち破る事が出来なかった魔竜の「逆転時間」が、何故に効果を発揮しなかったのか。
魔竜が師匠の魔法による束縛を強引に解除し、こちらへ襲い掛かり。二人の姉妹が巻き添えになるのを避けようと、アタシが二人から離れた際。
隣にいた師匠が一言だけ、アタシに言葉をくれていたのだ──それが。
「あの化け物が傷を再生する時に使うのよ。返してもらった氷の精霊の力をね」
アタシは師匠の言葉の通り。魔竜が「逆転時間」で傷を再生しようとした瞬間。
手の甲に刻んだ「凍結する刻」の魔術文字の効果を、魔竜に浴びせたのだった。
……その結果が。
「この魔術文字が、魔竜。アンタの無限の再生能力を封じてるんだ──ってコトさね」




