371話 アズリア、八頭魔竜の真実を聞く
だが、魔術文字の事を聞き出そうと迫るアタシに対して。
幻影の女性は、開いた片手を突き出してアタシがそれ以上前に出るのを制する。
『まあ急くな。まずは名乗るのが先じゃ』
「……はッ?」
どうやら、魔術文字の知識への手掛かりを少しでも欲していたあまり、アタシは冷静さを欠いていたようだ。
「そ、そうだね。まずは互いに、名前を教えるのが先だよね。アタシはア──」
『いや、そちらの紹介は既に主から聞いておる』
アタシが名乗ろうとすると。幻影の女性は直前に動きを制したように、もう一度手を伸ばして言葉を途中で制し。
女性の横にいたフブキへチラッと視線を向けると。
「……え? わ、私っ?」
女性の視線に気付いたフブキは、アタシと幻影の女性を交互に見ながら驚いた表情で。
「わ、私っ、アズリアのことを喋ってはいないわよっ?……い、いや、べ、別に隠す必要は全然ないけどっ」
「ああッ、わかってるよ」
焦りからか言葉が乱れながらも。手を左右に振りながら、自分が情報の出処である事を強く否定するフブキ。
「……アタシも同じようなコト、経験したからねぇ」
通常なら、この時点ではフブキの話の信憑性などないと思われるが。アタシの推察通り、女性の正体がフブキが秘めた「氷の加護」だとすれば。
アタシも、所持する魔術文字に宿した意思と頭の中で会話をする、という経験をしただけに。
フブキが否定する気持ちとその意図を、アタシは痛い程理解していく。
フブキとのやり取りが一段落付いたところで、幻影の女性が互いの自己紹介を再開する。
『それで、じゃ……異国から来た勇士アズリアよ。妾の名はカイ。遠い子孫であるフブキに、氷の加護を授けし者よ』
「フブキが子孫ってコトは、やっぱりアンタはとっくに──」
『その通りじゃ。妾の寿命はとうに尽き、肉体は滅んでおる。今は子孫の中にこうして意識だけを残しておるのみの存在』
カイ、と名乗った幻影は。やはりアタシの想定の通り、フブキの持つ「氷の加護」の根源とも言える人物だった。
これでアタシの疑問の一つが解決したのだが。これで疑問が完全に氷解したわけではない、まだ聞きたい謎は残っているのだ。
「だけど、アタシとフブキが行動を同じくしてから、それなりに時間が経ったのに。アンタの姿を見たのはコレが初めて……ッてのはどういう理由だい?」
『それは許せ。まあ……何しろ妾とて、姿をこうして顕現出来たのがつい今し方なんじゃからの』
カイの内容に、思い当たる節がアタシにはあった。
本拠地までの道中にて、地面に潜んだ蛇人間ごと凍結させるという凄まじい威力を誇るフブキの「氷の加護」だが。
黒幕に軟禁されていたフブキが生命からがら逃げ出し、迫る追手に深傷を負わされ捕らえられた時に。氷の加護を使った痕跡がまるでなかったように。
フブキが「忌み子」と呼ばれていたのを知るまで、加護の力をアタシらの前で積極的に見せていなかった。それどころか、自分の持つ加護を忌み嫌っていた言動まであった程だ。
アタシらと行動を共にした事で、心境の変化があったのか。これまでと違いフブキは「氷の加護」の能力を発揮する事に何の躊躇も見せなくなったのだが。
確かに、カイからすれば。子孫に引き継いだ能力を本人が嫌っているならば、姿を現すどころではないだろうから。
「そ、そうだったの、かいッ……」
『妾がこうして子孫の魔力を使い、姿を見せることが出来たのは。一つは妾の力を受け継いだ本人が十全に受け入れた事。そして、もう一つは──』
これまた、アタシが想定した通りの解答をしてきたカイだったが。どうやら、想定とは別にもう一つ理由があるというのだが。
何故かカイは、アタシを指差し──より、正確に言えばアタシの右眼を指差しながら。
『古の術式……魔術文字を宿した者に、妾が授かりし力の一片を返還するため、じゃ』
「ん? 魔術文字の力を返す……だって?」
アタシは思わず、会話に出てこなかった筈の師匠へと視線を向けてしまう。
それまで七年程、大陸中を回ってかき集めた魔術文字の知識……それよりも深い、未到達の知識をアタシに惜しみなく教えてくれたのが、何を隠そう師匠……いや大樹の精霊だ。
知識の伝授だけではない。別れ際には実際に、まだアタシが持っていなかった「生命と豊穣」の魔術文字まで譲渡してくれたのだから。
これまでの旅の記憶を振り返れば、師匠が授けてくれた「生命と豊穣」の魔術文字がなければ。アタシはとっくに道中の何処かで生命を落とし、その屍を晒していただろう。
思わず過去の記憶を頭に浮かべていたアタシだったが。
そんなアタシの視線を向けられた師匠は、これまでフブキの尻を撫でていた時と表情を一変、真剣な顔を見せ。
「そっか、八頭魔竜……懐かしい言葉ね。とはいえ、私は関わってないから、深い事情は知らないけど」
どうやら、師匠は魔竜の存在を知っていたようだ。しかし、先程アタシに大樹の魔剣を手渡した時には、魔竜を知る素振りなどまるで見せてはいなかった。
という事は、師匠の知る「魔竜」とは。今、この国で暴れ回る魔竜の事ではなく。伝承に残る「八頭魔竜」という伝説の魔獣の事なのだろう。
「で。あなたが同時、セルシウス……それに、イフリートとエギドナから加護と魔剣を授けられた人間たちなのね」
『お初にお眼にかかる。確かに妾は、この国の全てを喰らわんとする魔竜を討つため、三体の精霊様に力を借り受けた人間の一人じゃ』
今、師匠の口から出てきた単語。そのうちの一つ「セルシウス」とは。
砂漠の国から黄金の国の国境に立ち並ぶ高い山々、スカイア山嶺を越える際に遭遇した氷の精霊の事だろう。
だが、後の二つは。名前こそ炎の精霊と竜の精霊である、という知識以外に知り得る事は何一つない。
『妾は元々、氷属性の魔法の扱いに長けていた魔術師じゃったが、それでも魔竜には徐々に通用しなくなった』
「倒した相手の能力を克服する……あの能力は、確かに厄介だよねぇ」
──思わず口から漏れてしまったが。
三体目の魔竜が、アタシの渾身の大剣を鱗で弾いた能力こそ。まさに今アタシが口にした「致命の一撃への対策を継承する」点だ。
それだけカイの氷属性の魔法が強力だったのだろうが、八本の頭を持つ魔竜との戦闘の連続では却って仇となってしまったのだろう。
『そんな妾を見兼ねてか、目の前に現れたのが……氷の精霊ともう二体の精霊様、というわけじゃ』
だが、続いてのカイの言葉があって。ようやくアタシは、当時の事情を少しばかり垣間見えることが出来た。
フブキが使う「氷の加護」とはつまり。カイが氷の精霊から借り受けたとされる精霊の魔力、その一端なのだと。
そしてフブキの姉・マツリが幼少期から扱うのは「炎の加護」……おそらくこちらは炎の精霊イフリートのものだ。だとするならば、カイが告げた「魔剣」とは。
一二の魔剣の一振り、竜の魔剣のことなのだろう。
「……過去に、そんなコトがあったんだねぇ」
世界に一二体しかいない精霊の三体が、魔竜を倒すために力を貸した出来事にも驚くが。にもかかわらず、地の底に封じ込めるしか方法がなかった魔竜の生命力にも驚いていたアタシは。
師匠と幻影、腕を組みながら二人の会話を聞き、思わず感心し、油断し切ってしまっていた──が。




