365話 フブキ、凍の女皇との邂逅
だが同時に、フブキの胸中には沸々と。憤りの感情が込み上がってくる。
「だ、だったらっ! 一言残してくれてもいいじゃないのよっ……ねえ姉さ──」
フブキは自分の憤りに共感し、同意を得ようと。手を引いていた姉マツリへと視線を向け、顔を覗き込むと。
「え?……ね、姉様が、動いてない?」
思わず、そう口にしてしまう程にマツリの表情は微動だにしていなかった。
最初は、突然の女皇の出現に驚いていたのかと思ったが。見れば、目蓋には瞬(まばたき一つ見受けられないのはさすがに違和感を覚え。
「そ、そういえばっ⁉︎」
その違和感が、フブキに現状を思い出させる。
そう、今はまさに。魔竜の頭部が盛大に爆ぜ、魔力の奔流と爆発の炎が迫っていた真っ最中だった、という事を。
なのに、である。
微動だにしない姉から目線を外し、周囲を見渡したフブキは。
マツリ同様に、二人を庇うために人壁を組んでいた武侠ら。そして、迫り来る爆炎そのものまでもが動いていない。
そんな異様な状況を知る事になる。
「……な、何これ? 何で、姉様も武侠たちも、爆発までが止まってるの……?」
何よりフブキが驚いているのは。人も炎も、視界に映るあらゆる物が動きを止めている世界の中で、自分一人だけが何故か動けている状態。
不思議がるフブキは、他に何か、この異様な影響を免れている存在を探そうと。首を左右に振り、周囲一帯を隈無く見ていくと。
唯一、フブキ以外で動けていた存在を発見した。
凍の女皇・カイ。
『ほほほ。何を慌てておる? もしや不思議に思わなんだのか、妾と主が呑気に会話に興じていたのを』
「……と、いうことは」
高貴な衣装、その袖で口元を隠しながら。玉を転がすような声で、慌てて周囲を見渡すフブキを小馬鹿にするような笑いを漏らしていた女皇。
まるで周囲の時間が止まってしまったかのような異様な状況にも、眉一つ動かさずに。逆に笑いを浮かべる女皇の態度に、フブキは何かを確信した。
「──この現状。凍の女皇……あなたの能力なのね」
『ほほほ、その答えは半分正解、といったところかの』
「半分、ですって?」
『そうじゃ』
今、この状況を作り上げたのは間違いなく女皇である、という確信。
だが、フブキがそれを口にした途端。指摘を受けた女皇は、口元を隠していた手を伸ばしフブキを指差してみせた。
『癪ではあるが……妾だけでは、ここまで広範囲の時間を凍らせは出来なんだ。この力の発現は、主の魂があってこそじゃ』
「じゃ、じゃあ。これは、私の加護の力でもあるって……事?」
フブキは、女皇の言葉を聞いた後。その言葉の意味を噛み締めるようにもう一度、動きが停止した周囲を見渡してみせる。
シラヌヒまでの道中に一度、奇襲し地中に潜った魔竜の眷属への対処に。フブキは氷の加護の力を発揮し、広範囲の地面を白く凍結させた事があったが。
今、発揮した能力は。見た目に分かりやすく大地を凍りつかせはしないものの。凍結させた対象は地面ではなく、人と炎。効果は間違いなく、今の状況こそが上位。
「こ……この能力、ならっ」
フブキは、女皇の声に呼び止められ、姉を連れ後退するのを躊躇った事を思い返していた。
周囲の時間を止める、というとんでもない力ならば。一度は諦めざるを得なかった、自分らのために犠牲になろうとした武侠を救えるかもしれない、という願望を。
今ならば、本当に実現出来るかもしれない、と。
強烈な想いを目に宿らせながら、フブキは真剣な表情で女皇の幻影を見据えながら。
「お……お願い、女皇様、皆んなを助けて──ううん、違うわね」
伝承に謳われる「凍の女皇」カイに、深々と頭を下げて懇願するフブキ。
まだ爆炎が完全に到達していない今ならば、人壁となった武侠らを救えるかもしれない。いや、既に炎に飲まれたユーノやヘイゼルらの生命も助かるかもしれない。
だが、頭を下げてからフブキは気付いた。
つい先程、女皇が告げた言葉の意味を。
周囲の時間を止めてみせた凄まじい効果を発揮出来たのは、女皇一人の能力ではないと言っていたではないか。
その言葉を思い返したフブキは、力を貸して欲しいと深々と下げた頭を起こした後。
「……お願い、女皇。私と一緒に、皆んなを助けてくれないかしら」
真っ直ぐに女皇と目線を合わせながらも、一時も怯む事なく。
目の前に存在するのが、幻影にもかかわらず。先程まで姉の手を掴んでいたのとは逆の手を開き、女皇の目の前に伸ばし。
今度は敬称を省いた言葉で、力を貸して欲しいと協力を申し出たのだ。
すると女皇は、差し伸べられた開いた手と決意を秘めた目線を向けたフブキを見て。満足気に二、三小さく頷きながら。
『ふむ。引き留めたのは、やはり正解じゃったな』
「──え」
そう口にしながら、腕を伸ばしたフブキに応えるように触れていく女皇の手。
当然、魔力による幻影である以上は開いた手を握り返す事は出来なかったが。
「こ、これ……は」
女皇の手の部分が触れた箇所から、これまで感じた事のない強い魔力がフブキの中に流れ込んでくる感覚。
同時に、魔力で出来た女皇の輪郭が、徐々に朧げになっていく。にもかかわらず、薄れゆく女皇の表情には充足した笑顔が浮かんでいた。
『その意気や良し、じゃ。やるぞ、妾と……我が氷の魔力を引き継いだ主とで、な』
「で、でも、どうやってこの状況を?」
女皇が力を貸してくれるのを快く承諾した、そこまでは良いが。フブキの頭には、爆炎が既に間近に迫る絶望的状況を打破する手段がまるで浮かんでこない。
すると、目の前の幻影が消えていく最後の瞬間。女皇がフブキに一つの解決策を提示した。
『簡単な話じゃ。妾と主の魔力で、魔竜の炎を抑え込み、いつものように凍りつかせればよいだけじゃ』
「は──え、ええええっっっ⁉︎」
軽い口調ながら、とんでもない発言をしてくれる女皇。
何故なら、魔竜の魔力の暴走は。猛者であるカムロギとユーノの二人掛かりですら止める事が出来なかった。それを、いくら伝承に謳われた女皇の助力があるとはいえ、フブキ一人で対峙しろ……と言うのだ。
「で、出来るわけないじゃない! そ、そんなことっ──」
さすがに無茶苦茶な注文であり、方法だ。目を大きく見開いて異議を口にしたフブキだったが。
『いや、出来る。妾は信じてるぞ』
フブキが最後まで弱音を吐き終える前に。言葉を被せ、笑顔のまま否定していく女皇は。
消えゆく幻影の腕が動き、フブキの胸元を指差して見せる。
『妾の加護を嫌い続け、それでも妾の姿を見せられるまでに成長した、フブキ……主とならば、な』
それが、女皇が残した最後の言葉となり。今度こそ完全に、フブキの目の前から幻影は姿を消してしまう。
とはいえ、女皇の姿を取った魔力は元々フブキの内側から溢れ出た魔力だ。幻影が消え、霧散した魔力はフブキの身体に吸収されていくのだが。
「……わ、私が、この手で、この氷の加護で、あの爆炎を……止める?」
女皇が消えた事で、もうじき停止した周囲の時間も動き始めるだろう。
消えゆく直前の女皇の言葉の意味を、まだ完全に納得していなかったフブキは。
それでも頭の中で、何度も最後に残した言葉を反芻し。周囲が動きを取り戻すまでの僅かな猶予で、どうにか言葉の意図を理解しようとしていた。
いや、理解しようとしていた筈だった。




