364話 フブキ、自らの加護の根源を知る
だが。この場からの逃走を図るフブキの選択に、異を唱える声がした。
『本当に……それで良いのか、フブキ?』
突然、フブキの耳が拾った異論に。思わず姉の手を引いていた動きが止まる。
声を聞いたフブキの顔に浮かぶのは、まるで渋い木の実を口に含んだ時のような、何かに耐えている時の表情。
次の瞬間、フブキの感情が爆発し、言葉が飛び出す。
「い……いいわけないじゃない! でも、私には……力のない私には、これしか取る方法がないのよっ──」
一度、感情を吐き出した事で頭が少し冷え。異論を挟んだ言葉の主が一体誰なのか、をフブキは視線を凝らし、探していた。
フブキが聞いたのは、間違いなく女性の声。
しかも、どこかで聞いた記憶のある。
幸運にも、この戦場にいる女性の数は限られていた。姉であるマツリにユーノ、ヘイゼル。それに二の門を突破した後に遭遇したベルローゼ一行。
しかしその全員は今、魔竜が暴走させた炎の中だ。とてもではないが、異論を口に出来る状況ではなかった。
「……て、だ、誰よ、今の声はっ?」
しかもあり得ない事に。聞こえてきた声はどの人物にもまるで該当しなかったのだ。
間違いなく、フブキの記憶の中には聞き覚えがあると刻まれている声だ。だからこそ、フブキは異論を挟んだ人物の正体がどうしても気になってしまう。
フブキが足を止めてしまった、本当の理由は。
「私だって……誰かの犠牲で助かるなんて嫌だ! でも、でもっ……私には、他に何の手段も残っていないのよっ!」
一度は四人の領主らと武侠らの決意に後押しされ、この場を姉と一緒に後退し、逃げ出す決意を固めたフブキだったが。
やはり、他人を犠牲にして自分が助かるという選択への疑念を払拭することが、どうしても出来なかったからだ。
フブキが抱いた懸念に対し、先程聞こえてきた女の声が再び答える。
『あるじゃないか、フブキ。貴女には、どうにかする加護が』
「……え?」
謎の声がそう発言をした途端、フブキの身体の内側から突如として湧き上がってくる「何か」を感じる。
それは姉の持つ、カガリ家の炎の加護とはまるで真逆の、周囲を凍てつかせる氷の加護の魔力。
氷の加護──かつてフブキが忌み嫌っていた力でもあったが。
アズリアに護衛を依頼し、黒幕ジャトラと軟禁された姉の待つ本拠地までの道中では魔竜の眷属を凍結させ。
三の門の突破の際にはユーノと共闘し、加護を一時的にユーノに譲渡したことにより。「黒の獅子」とは真逆の純白の獣の姿、「白銀の獅子」へと変貌させた。
二つの経験によって今のフブキは、自分の中に秘めていた加護をそこまで忌み嫌ってはいなかった。
体内から湧き起こる魔力で、ようやくフブキは。二度、言葉を交わした相手こそが、自分の中にある氷の加護の意志である事を思い出した。
「……そっか、この声。これは、私の中にある氷の加護そのものだったんだ」
『ああ、ようやく妾の声を聞く事が出来るようになったのだな』
すると、フブキの持つ魔力の一部が勝手に漏れ出したか、と思った次の瞬間。その魔力が一人の高貴な衣装を纏った女性の幻影を描き出していく。
「あ、あなたは……っ?」
フブキが驚いたのも、無理はない。
この国に暮らす住人なら、一度は耳にした事のある八頭魔竜の伝承。
その語りの中に登場する、魔竜を封じた勇者と数人の仲間たち。
その一人「凍の女皇」カイの姿だったからだ。
カイは氷の魔法を得意とし、同じく仲間だったカガリ家の開祖でもある「焔の女皇」エレとは姉妹の関係だったが。カイはカガリ家ではなく、八葉の一角・シロガミ家の開祖ではなかったか。
その女傑が幻影とはいえ、今フブキの眼前に姿を現したのだ。
『如何にも。妾こそが、主に氷の恩寵と加護を与えし、凍の女皇カイである』
腰まで伸びる銀髪に、見るものを黙らせるような冷たい雰囲気。そして整った顔立ちは、まさに「凍の女皇」の異名を冠するに相応しい外見。
フブキが本来、カガリ家の血統として発現すべき炎の力とは真逆のカイの影響を見せたのは、まだ幼い頃。
初めての力の発現から一〇年程が経っていたが。凍の女皇の姿を見たのは、これが初めてだったのだが。
「け、けど……これまで、姿はおろか、声を聞いたこともなかったのに……?」
あまりにも突然の顕現、そして伝承との邂逅に面食らってしまい。言葉を失っていたフブキだったが。
何とか我に返ると、恐る恐る目の前の女皇と思しき幻影に話し掛けていくと。
その口から発せられる返事もまた、どこか高圧的な口調だった。
『戯け。だから言うておろう? 妾の姿をようやく見れるように、主の心が成長したのじゃ、と』
「心、あ……そ、そういうことね」
フブキの疑問に、姿を見せた女皇は「心が問題だった」と告げたのだった。
やはり「忌み子」として城で軟禁されていた生い立ちから、フブキが自分の能力を受け入れられなかった過去こそが。早くして能力を発現しておきながら、女皇の姿を見る事が叶わなかった理由だ、と。
『尤も……主の前に姿を見せたあの女戦士、彼奴も理由の一つであるのは間違いないが、な』
「アズリアが? え? ええっ?」
さらに言葉を続ける女皇は、意外な人物が関わっている事をあっさりと言ってのける。
確かに、数々のカガリ家が抱えた腕利きの武侠らを次々に討ち倒し。噂に聞いた最強の傭兵団すら退けたのは、大陸からやって来た女戦士だった。
「……も、もしかして、アズリアも魔竜を倒した勇者の仲間の誰かの血を受け継いでる……とか?」
これまでの会話の流れから、フブキはもしや……と思い。頭に閃いた事をそのまま女皇へと口にした。
目の前には、魔竜を倒した勇者の仲間の一人・凍の女皇カイが現れたのだ……だったら、と。
現にアズリアはこれまでに二本の魔竜の頭を倒している。
ならば、もしや……アズリアは魔竜を倒した勇者の血を継承しているからこそ。大陸から魔竜を倒すために再び現れたのではないか、と。フブキは考えたわけだが。
『……戯け。そんなわけがなかろうよ』
あまりに根拠の薄いフブキの仮想を、冷たい口調で即座に否定する女皇。
だが、次の瞬間。否定したばかりの口の端が吊り上がり、呆れたような笑みを浮かべながら。
『まあ……いくら、八つに力を分けた頭とはいえ。四本目の頭を相手に、単騎で互角に渡り合うだけの実力ならば。そう誤解しても可笑しくもない、かの』
「……え? ちょ、ちょっと待ってよ! だ、だって、あの魔竜は、確か三体目のはずじゃ──」
この時、女皇との会話で初めてフブキは知る事となった。
一番、魔竜との戦闘を望み、戦いを希望するだけの相当の事情もあったアズリアが。何故、ユーノやヘイゼル、かつて敵として剣を交えた傭兵に戦場を任し、姿を眩ませたのか。
「ま、まさかっ……魔竜はあの一体だけじゃなかった……ですって?」
──その理由を。
アズリアの姿がない事に、ようやく合点がいった。
確かに、魔竜の頭が一体だけでも。ユーノやヘイゼル、ベルローゼといった実力者が総掛かりでようやく倒せたのだ。
そこにもう一体、同じ力……もしくはそれ以上の力を持つ魔竜が参戦していたとしたら。結果は真逆となっていただろう事は、フブキにも容易に想像が出来た。




