361話 アズリア、癒された孤高の心
魔法で生成された木々の枝に斬り裂かれながら、負った傷をいまだ再生する様子を見せない魔竜を指差し。
「どうやら傷を癒すのは一瞬に見えても、その能力を発揮するには若干の集中が必要だったみたいね」
「……え?」
そんな師匠の言葉に、思わず呆気に取られるアタシ。
まさか。
単騎で戦っていた時には、あれ程に脅威であった無限の再生能力に。「再生を発揮するには一定の時間を要する」という欠点があったとは。
アタシは、傷が再生されても急所への致命的な痛みまで軽減は出来ない、と何とか勝機を掴み。そのため、より深く、魔竜の身体を斬り裂くため。一撃を放つ毎に力を溜める時間を挟んでいたのだが。
まさか、その猶予こそ。魔竜に利を与えていたとは。
先程までの冗談のような会話から、途端に内容が一変し、アタシの取った戦術が裏目に出ていた事を知ったのもあったが──それよりも。
「あれ? アタシ……魔竜の再生の話、師匠に話したか、ねぇ?」
何故か師匠が、魔竜の再生能力の事を知っていたという事に驚いてしまったのだ。
師匠が戦場に登場してから、今し方まで。
魔竜が発動中の「逆転時間」の効果、つまり瞬時にどんな傷をも再生し、塞いでしまう能力について。まだ一度も話した事も、再生する場面を直接見たわけでもないというのに。
「……あのねえ」
すると師匠は、少し呆れたような、こちらを責めるように細めた目線をアタシへと向け。
「アズリアが、私が渡した魔術文字で無茶をしでかした時からずっと。あなたに何が起きたか、側にいなくてもしっかり見てきてるわよ」
「な……なるほどぉ」
「逆転時間……厄介な魔法だけど」
魔竜に発動していた儀式魔法、その名称までを見事に的中させたのだった。
離れた場所から逐一アタシの動向を把握していた、と聞くと。どこまでが冗談なのか、分からなくなるが。
今、こうして師匠が。この場に現れてからでは知り得る事のない情報をハッキリと口にすると。「アタシを見ていた」という言葉の信憑性がいや増すというものだ。
「私とアズリア、二人掛かりなら……この通り。何の障害でもないわ」
「……ああ、そう言われると。ホントに師匠と二人で出来そうになっちまうねぇ」
故あって単騎で戦っていたアタシだったが。やはり何度も傷を再生され、自分の攻撃が徒労に終わるのを見せつけられ続けた事に。心が削られない筈がなかった。
いくら無駄に終わった連続攻撃こそが、勝機を見出すのに繋がっていたと自分を慰めても。
だが。
師匠が隣に立って、一緒に戦ってくれるだけで。これまでの削られた心がみるみる修復され、元通りに回復していくのが分かる。
まるで、魔竜の見せる再生能力のように。
「出来そう、じゃないの。やるのよ、アズリアと私で。それとも……もう戦えないくらい疲れちゃったかしら?」
「は、ははッ、冗談言うなって師匠。アタシは、まだ戦えるってえのッ!」
一見、挑発じみた言葉も。師匠の口から聞くと、心に鞭を入れられたような、より一層戦意を後押ししてくれるのが不思議だ。
思えば、この国の地を踏んでからというもの。到着して護衛することとなったチドリやフブキや、合流を果たしたユーノは。アタシを頼りにし、一行の指揮役という立場に収まっていた。
いや、思えば。
故郷である帝国を出奔し、傭兵稼業で名が売れるようになり。
極めつけは、ここ一年での出来事だった。砂漠の国では元・四天将のコピオス率いる魔族の大侵攻を止め。ホルハイム戦役で昔馴染みの傭兵団と一緒に、侵攻してきた北の軍事大国を撃退したことで。いつの間に「漆黒の鴉」という異名が広まっていた。
それからというもの、傭兵仲間もアタシに一目置くようになり、他人の信頼を得る事が多くなってきた記憶がある。
他人に頼られるのは、それはそれで嬉しい事ではある……が。アタシは、自分が他人の上に立つような器でない事を重々理解しているつもりだ。
だからこそ、常にアタシを未熟者扱いし。時に厳しく導き、時に優しい言葉をくれる。そんな師匠が隣にいてくれるのが、こんなにも心強く、心地良い。
「……だけど」
師匠に手渡された魔剣を握る手に、思わず力が入る。
今、魔竜を攻め立てている「大樹の刃」に加わろうと魔剣を構えるアタシだったが。
同時に、四体目の魔竜に勝利するためには──あともう一手、何かが足りないと感じていた。
その時だった。
「じゃあ、今は少しだけ息を整えて待ちなさい、アズリア。合図をしたら一緒に攻撃を仕掛けるわよ」
「……え?」
突如、師匠の開いた手がアタシの顔の前で視界を遮り、攻撃に踏み出すのを制した。
その意図が読めなかったアタシは、驚きのあまり何故攻撃を制したのかを問い質す。
「な、なあ師匠ッ、魔竜を休ませずに攻撃すれば傷が再生しないって、今言ったばかりじゃんかよ」
「いいから待つの。もう少しなんだから」
アタシの疑問に、何かを待っているように。師匠の焦点は、アタシでも魔竜でもない箇所へ向けられていた。
「──来たわよ」
そんな師匠が言い放った言葉と同時に。
目の前で「大樹の刃」の枝に斬り刻まれていた魔竜の身体が、突如として炎に包まれたのだ。
最初こそアタシらへ反撃に、三本目の魔竜の頭のように炎を発したのかと思ったが。
『こ、この炎はっ……ただの炎ではない、だとぉ? う、うおおおぉおおお身体が焼けるっっ⁉︎』
その魔竜が、まさかの困惑の反応を見せる。その時点で、この炎が魔竜が発したのではないと理解すると。
一体、この炎は誰が放ったのか。少なくとも、その炎が魔竜を焼いている以上は、魔竜を敵と見做している事は確定だが。
アタシは師匠が見ていた方向に目を凝らし、炎を放った人物を探すと。
「あ、っ……アズリアああ!」
「よ、よかったっ……」
視界の先にいたのは、二人の人物。
ここまでの護衛対象だったフブキと、その姉マツリの姿だった。
「な……何でアンタらが二人だけでこんな場所にッ? 護衛してたナルザネらは一緒じゃないのかい?」
だったが、どこか二人の様子に違和感。
そもそも二人は、ユーノやヘイゼルに任せた三本目の魔竜の戦場にいると認識していた。それだけではなく、ナルザネを始めとしたカガリ家の武侠も他に多数、戦場にはいた筈だ。
今回の騒動の首謀者たるジャトラは排し、カガリ家の正当な当主に返り咲いたマツリが単独で歩き回るのを。配下であり護衛していたナルザネらカガリ家の武侠が、おいそれと許す筈がない。
「ゔっ……皆様は……皆様はぁっっっ……」
そんなアタシの疑問に、二人は言葉ではなく。
突然、目から涙を流し始めたのだ。
「な、何があったんだい……二人ともッ?」
そう言えば……と、アタシは思い出す。
今、戦闘を繰り広げている四本目の魔竜が「魔竜は倒された」と告げた事実と。ユーノらが向かった先で起こった大きな爆発を。




