357話 アズリア、その手に握られた魔剣
──魔竜が吠えた、次の瞬間。
『たかが草木ごとき、我が毒霧で薙ぎ払ってくれるわっっ! かああぁァァァァっっ‼︎』
鉄を腐らせ、肌や肉を侵す魔竜の毒の吐息が草木の防壁に直撃する。
いくら大樹の精霊が、自分の名を冠する属性の防御魔法とはいえ。魔竜が言うように、生い茂った草木で構築された壁が毒霧に耐えられる光景が想像出来ない。
当然の如く、魔竜が大きく開いた口から盛大に吐き出された毒々しい色の吐息が。植物が織り成す防壁に触れた途端、草木が緑を失い、みるみる内に枯れ、朽ちて地面に崩れ落ちていく。
『くふふふ……どうだ? 貴様を守った壁が、我が毒によって徐々に朽ち果てていくのは?』
しかしながら。
「だからアズリア、さっき言ったじゃない。いらぬ心配はするな、って」
目の前の防壁が崩壊しているのに、余裕を含んだ笑顔を浮かべる師匠は全く表情を変えることなく。
指をパチンと弾くと同時に、自分の魔力を次々と毒霧に侵され朽ちていく草木の壁へと放つと。
「──蘇りなさい、私の可愛い植物たち」
師匠の言葉とは違い、一度朽ち果て地面に崩れ落ちた草木が活力を取り戻す事はなかったが。
その代わりに。地面からは次々と新しい草木や植物の蔦が、あり得ない速度で成長し。師匠を守る壁の毒霧で欠けた箇所を新たに補填していく。
毒霧で朽ち果てるよりも早い速度で。
『……な、っっ⁉︎』
結果、魔竜が口から放った毒の吐息は。草木で構築された防壁を打ち破る事は出来ず。
寧ろ、新たに生い茂った植物の数々が、師匠を守る壁をさらに強固にしていた。
『ば、馬鹿なっ……何だ、この再生速度はっ?』
側から見ていたアタシはまるで、魔竜が自身が負った傷を癒すための「逆転時間」を見ているかのような状況。
防壁を薙ぎ払うどころか、さらに突破が困難な状況に陥った事態に。
アタシとの戦闘では決して口にしなかった驚愕の声を発する魔竜。
「あらあら、大変。これで、ただでさえ攻撃を止めた防壁が、より分厚くなってしまったわね」
口元に手を当てて、驚く魔竜を嘲笑うような仕草を見せた師匠は、というと。
「え、ッ?」
アタシを一瞥し、視線を合わせた途端。パチリ、と片目の目蓋を閉じてみせる。
「も、もしかして、今の……アタシのために?」
これまでの戦闘でアタシは、魔竜が自らの身に発動した「逆転時間」の無限とも呼べる再生能力によって。何度か殺せる程の斬撃を浴びせてなお、魔竜を討ち倒す事が出来ずに苦戦していた。
アタシの前に姿を見せずとも、魔竜との戦い、その一部始終を把握していた師匠は。或いはアタシが苦しめられた再生能力を、ほんの僅かでも再現してみせ。魔竜に報復してくれたのではないか、と。
勝手な勘違いを、アタシは思い描いていたが。
その勘違いに回答をくれる代わりに、師匠はアタシに預けていた魔剣を指差しながら一言。
「何にやけてるのよ、アズリア。私がせっかく持ってきた魔剣で、とっととこのデカい蛇を倒してみせなさいな」
『で……デカい、蛇、じゃと⁉︎』
この国の伝承に謳われながら、巨大な蛇扱いされた事に憤慨する魔竜を他所に。
師匠は、アタシに魔剣を使い。魔竜を仕留めろという指示を出してきたのだ。
「は? ちょ、ちょっと待ってし、師匠ッ……こ、この魔剣を、アタシが使えってえのかいッ?」
「当たり前じゃない。何で手渡したと思ってるのよ、使わせるために決まってるでしょ」
「い、いや、だ……だってよ」
使え、と正当な所有者から言われたにもかかわらず、アタシは腕の中にある魔剣の柄を握る事をいまだ躊躇していた。
何しろ、今……アタシの目の前にあるのは、そこらの武器を扱う店や鍛冶場で売っているような武器ではない。
「コレ、本物の……大樹の魔剣なんだろ、ッ?」
「そりゃそうでしょ。大樹の精霊の私が、何で偽物を用意しなくちゃいけないのよ」
この世界に一二本しか存在しない、各国の王族が所持しているのと同格の、伝説の魔剣の一振り。故にまだ魔剣を所持していない国の王らが、こぞって魔剣の在処を金と人員に糸目を付けず探索している……とも噂されている。
正真正銘の、本物の大樹の魔剣・ミストルティン。
かつてはアタシと同じく、大樹の精霊に教えを受け。大陸を統一する偉業を達成した「英雄王」クレウサ。彼がその達成に振るっていた、とされる魔剣でもあった。
海底の沈没船で、亡者と変貌したかつての英雄王と剣を交え、討ち倒す事に成功したアタシではあったが。
魔術文字のさらなる知識と研究のため、数々の文献を読み漁った事で。英雄王の数々の偉業は充分すぎるくらい頭に入っていたりする。
そんな偉大な人物が、魔剣の前の所有者なのだ。
兄弟子と比べアタシには。眼前の魔竜を倒す以外に、そんな大層な魔剣を持つ目的がない。
師匠は何かをアタシに期待して、魔剣を手渡したのかもしれないが。
残念ながら。
アタシは勇者でも英雄でもないし、その気もない。
突然目の前に魔剣を差し出され、「使え」と言われたところで。アタシでなくても、剣を握るのを躊躇うだろう。
そんなアタシの心情をまるで読み切ったかのように、呆れたような口調の師匠は。
「……安心しなさいな。使っていいのは、今回だけ。別にアズリアを魔剣の所有者に選ぶつもりはないわ、今はまだ」
「あ、ッ……そ、そうか、そういうコトかい」
そう。
あくまで、アタシに魔剣を使わせてくれるのは。無限に再生する魔竜、という脅威を前にアタシが苦境に陥っていたから。困難の打開策のため、たまたま大樹の精霊が用意したのが大樹の魔剣だっただけで。
英雄王に授けた時のように、アタシが魔剣の所有者に選ばれたわけではない。
師匠の一言で、アタシは「魔剣の所有者」という言葉の重圧から逃がれる事が出来。些かの躊躇いもなく、手渡された魔剣を握り締める。
「か、軽ッ?」
魔剣を握った瞬間に、あまりの軽さに声を漏らしてしまう程の違和感。
腕に抱えていた時には、長剣相応の重量があったにもかかわらず。手にした途端に、まるで何も持っていないような感覚に襲われるくらいに、剣が軽かったのだ。
普通であれば、武器が軽いという事は取り扱いが容易いという利点だ。
「さて、と……魔剣、どんな感覚なんだろうねぇ」
魔剣を握ってから数度、空中に剣を走らせ。いつもの大剣との感覚の違いを確かめていたアタシだったが。
武器が軽量なだけあり、いつもの感覚で腕に力を込めると。目にも止まらぬ高速の剣閃が、次々とアタシの目の前の空気を斬り裂いていく。
「う……うおおぉ? こ、この軽さ……こりゃ慣れるまで、少し時間が必要かもねぇ、ッ」
だが同時に。あまりの軽さに勢いのつき過ぎた剣が、握っていた手から離れ落ちそうになったことか。
感覚の違いに、アタシは戸惑いを隠し切れなかった。
これまで、鉄より遥かに重いクロイツ鋼製の、しかも人の身長程の巨大な大剣を。力任せの我流の剣術で振り回してきたアタシとしては、武器の重量を感じないことが長所ではく。
寧ろ、重量を全く感じない取り扱いの頼りなさを短所に感じていたからだ。
それでも。
「成長促進」
生命を司る大樹属性の魔力を生物に注ぎ込み、一時的にその生物や植物が持つ成長速度を爆発的に上昇させる効果の魔法。
問題は対象であり。基本的に大樹属性の魔力が通っていない場合には効果が発揮する事はなく。また、たとえ効果があっても無理に成長速度に手を加える時点で、生物本来の寿命や、植物などの場合は大地の魔力までをも著しく損ねてしまう。
故に、飢饉など食糧難が起きた、等。特別な理由がない限り。通常の農作物を育てるためにこの魔法の使用は、強く禁じている国家や都市が殆どである。
ちなみに生命力を損なう、という代償は通常の術者が使用した場合のみに適用されるため。大樹属性の魔力の根源である大樹の精霊が使用した場合、代償を支払う必要もない。
第1章でのシルバニア王国との契約とは、つまりこの魔法による無限の豊穣が約束されていた事である。




