348話 アズリア、ただ一瞬の攻防で
真上から襲い来る魔竜の牙の勢い。それは、会話中も警戒を緩めていなかったアタシが、虚を突かれてしまった時の速度の再来。
足元を強く蹴って横へ飛び、勢い余って体勢を崩し。羽織っていた外套を翻しながら、地面を転がるアタシ。
直後、アタシがいた位置へと魔竜の上顎が降ってきて。鋭い牙が地面を大きく抉り取っていく。
『上手く避けたか……だが』
完全に牙による一撃を回避したと思っていたが。
「が……ぐ、ぅッ⁉︎」
横へ跳ぶ直前に、振り下ろされ迫る牙がアタシの頭を掠めたからか。
片膝を突いて立ち上がったアタシの額が割れたのか、真っ赤な血が噴き出し。流れ出た血が視界を遮っていく。
「ま、前が、見えねぇ?」
慌ててアタシは、大剣を握っていない側の腕で両眼に入った血を拭うが。その間、魔竜の動きを読む事が出来ない。
警戒を怠りなくとも不意を突かれる程の速度を見せた魔竜に、血を拭うまでの隙は致命的すぎる。
ならば、回復までの時間を稼ぐしかない。
「こ……このおッ!」
アタシは、頭から血を噴き出す直前。魔竜の牙を回避し、抉られた地面を目視した時の状況を頭の中で思い返し。
魔竜の頭部があるだろう位置へと、手にした大剣で真横に薙ぐ。倒すための一撃ではない、時間稼ぎの牽制が目的だった。
想定した通り、視界が塞がっていたアタシが横薙ぎに振るった大剣は魔竜に命中し。剣を握る手に衝撃が伝わってくる。
──の、だが。
「な……んだとッ⁉︎」
鉄同士を激突させた時のような衝撃音。
この魔竜が地面から姿を見せ、斬撃を浴びせた際には。鱗を簡単に両断し、肉を深々と斬り裂く事が出来ていた筈のアタシの大剣は。
鱗の表面で弾き返されてしまったのだ。
「し、しまッ……」
目に血が入り、不意に視界が閉さされてしまった事に焦り。魔竜が持つ特性をすっかり失念していたアタシ。
頭が八本ある魔竜は、一つの頭が倒されると。頭が持つ力と、敵の記憶を残った頭に継承し、より強さが増していくという特性。
いや、正確には忘れてはいなかったが。
これまて二本の頭とは違い、三本目の魔竜を倒したのはアタシではなくユーノらだったから。
一ノ首、を名乗る魔竜にもアタシは。今発動中の「九天の雷神」の魔術文字による一撃を浴びせていた事を、ようやく思い出したのだ。
牽制の一撃が弾かれる感触が手に伝わってくるのと同時に、もう一方の腕が目に流れ込む血を拭い終え。視界が回復すると。
大剣を弾いた魔竜が再びアタシに狙いを定め、迫って来ていた頭部を目の当たりにする。
『残念だったな、人間よ──最早、その刃は我には通らぬぞ』
「く、ッ……そおおッッ!」
今度は口を開かず、ただ頭部による体当たりを仕掛けただけだったが。
体勢を崩し片膝を突いていただけではなく、不完全な体勢で大剣を振るったのも相俟って。咄嗟の回避も出来ない状態のアタシは。
幅の広い刀身の大剣を、盾代わりに防御に使うのも間に合わず。
なす術なく、魔竜の頭部の突進を真正面から直撃を喰らってしまう。
「が、はあッッ⁉︎」
小さな小屋ほどの巨大な質量の魔竜の頭部がまともに激突し、アタシの全身に痺れるような衝撃と激痛が走り。
衝撃で両脚が地面から離れ、身体が浮き、真後ろへと身体が大きく吹き飛ばされてしまい。威力で身体が回転し、何度も地面に頭や肩、背中や膝を打ち付けながら。
土と砂煙を上げ、ようやくアタシは止まる。
「か、はッ……い、い……痛ってえぇぇぇ……ッ」
地面に倒れたアタシは、どうにか身体を起こしていくが。頭部の激突を受けた衝撃と、地面に何度も打ち付けられた事で、全身が激しく痛む。
「ぐ、ぷ……が、はッッ!」
腹を強く打ち付けたからか、喉の奥から熱い塊が込み上げ。口の中に鉄錆に似た味が広がる。
我慢出来ずに吐き出していくと、地面には真っ赤な血が。
「は、ぁッ、は、ぁッ……よし。まだ、腕も脚も動く、ねぇ」
だが、四肢の骨や腱はまだ無事だったようで、痛みはするもののどうにか動かせる状況だ。
吹き飛んだ衝撃で、毒霧に侵され錆が浮いた部分鎧のほとんどは破壊されてしまったが。
唯一、衝突を受けたクロイツ鋼製の胸甲鎧だけは原型を残し、装着された状態を保っていた。
「しょ……正直、胸甲鎧がなけりゃ……肋骨の数本はもってかれてた、だろうねぇ」
アタシは全身を襲う激痛に耐え、どうにか息を整えながら。四肢に力を込めて両の脚で立ち上がり、大剣を構え。再び戦いを継続する意思を見せる。
そのアタシの視線の先。魔竜はというと。
地面に倒れたアタシにさらなる追撃を行える状況だというのに。こちらが立ち上がるのを黙って見ながら、言葉を発した。
『──ほう、まだ続けるか。この無意味な戦いを』
魔竜が何故アタシとの戦闘を「無意味」と意味付けたのか。
『貴様が我に打つ手はこれで皆無。対して我はこの通り……貴様を傷つける手段などいくつもある』
それは、この攻防でも証明されたように。今のアタシは「九天の雷神」の魔術文字を駆使しても、鱗による防御を突破出来なくなってしまい。
もしくは。いまだ魔竜に見せた事のない、様々な魔術文字を試せば、或いは。鱗を突破し、傷を負わせる事は可能かもしれないが。
「いや……今さら、魔術文字を変えるのは無謀に等しい、ねぇ……ッ」
アタシは即座に、頭に浮かんだ幾つかの代替案を否定する。
つい直前の攻防でも、「九天の雷神」の効果を発揮し。雷を思わせる高速を超える高速で回避したにも構わず、牙が掠める程の魔竜の攻撃速度だ。
もし「九天の雷神」を解除し、こちらの移動速度が低下すれば。下手をすれば攻撃の余地を与えず、その速度を活かして一方的に殴られ続けるかもしれない。
そう考えれば、違う魔術文字に変更する選択をアタシは決断出来なかった。
この魔竜には、受けた傷を瞬時に再生する「逆転時間」なる暗黒魔術がある。
一方で魔竜は、といえば。ただその巨体をのたうち、暴れ回るだけでアタシに効果的な傷を負わせられるのだ。
『最早、貴様が我に勝つ方法など残されてはおらぬ。人間にしては賢しい貴様がそれしきの事……理解出来ていないはずはなかろう?』
魔竜の言う通りだ。
冷静に考えれば。
アタシの勝算はないに等しい。
「ぐ……ッ」
再び、頭に受けた傷から血がゴポッ……と溢れ出る感触に。傷から血が流れ、目を塞ぐ前に腕で血を拭ってみせる。
最初は、牙が掠めた程度かと思っていたが。予想した以上に頭の傷口は大きかったのかもしれない。
頭を拭い、自分の真っ赤な血がべっとりと付着した腕をジッと見つめながら。
口から不意に言葉が漏れる。
アタシの頭には。この時点で、確実に魔竜に勝利出来る手段が浮かんできていたのだ。
「……あの方法さえ、使えば」




