346話 アズリア、戦場に起こった異変
ユーノらの勝利を確信する言葉をアタシが吐いたその直後、アタシの眼に飛び込んでのは。
遠く離れた位置からでも認識出来る程、空高くにまで昇る漆黒の炎の柱。
巻き起こるのは爆発に似た轟音。
「──な、何だありゃあ⁉︎」
次の瞬間、離れているにもかかわらず地面を伝い響く衝撃と、顔や肌に感じた大気の震えを感じ。
咄嗟に握っていた大剣で顔を守るよう構えながら、アタシは何が起こったのかを把握しようとする。
確か、あの方角こそ。ユーノやヘイゼルらが魔竜と交戦していた場所ではなかっただろうか。
その位置から、戦場で何か大きな戦況の変化が起きた事だけは確定なのだが。何が起きたのか、黒い炎の柱だけで推察することが出来ない。
だが、ここから直視出来る程の勢いの炎が。もし戦場にいるユーノらに向けられたものだとしたら。
「あ、あの炎の勢い……マトモに喰らったら無事じゃ済まねぇぞ……ッ」
目の前の魔竜に「ユーノが勝つ」と吐いた手前。離れた戦場で起こった事態に、驚きを隠せなかったアタシだが。
そんなアタシの懸念を他所に。直後、魔竜の口から苦々しい口調で漏れた言葉とは。
『……口惜しいが、貴様の言葉が真実となった。どうやら一ノ首は敗れたようだ』
「じゃ、じゃあ……あの炎ッてのは」
上空に昇った炎の柱の意味、それは三本目の魔竜がユーノらに倒された事だと理解し。
一瞬、頭に浮かべた最悪の状況が杞憂に終わった事に、思わず胸を撫で下ろし、大きく安堵の息を吐く。
「は、はははッ……やって、くれたねぇ……あの連中はッ!」
あまりに気を緩めたからか、息を吐いたアタシの胸から今度は笑いが込み上げてくる。
幼少期から、右眼の魔術文字の影響で常人とは一線を画した怪力を持っていたアタシは。一六歳の頃に帝国の傭兵学校で、自分の持つ戦闘力を認識して以来。
他人に戦いを任せる、という気持ちをどこかに置いてきてしまっていた。
だからこそ。ホルハイム戦役の最終局面でもアタシは、これまで一緒に戦ってきた雷剣傭兵団の連中を街に置き去りにし。街に接近していた紅薔薇軍に単騎で突入したのだ。
自分の力を信頼している、というよりは。
きっとアタシは他人を信用しきれてないのだ。
そんなアタシがユーノやヘイゼル、それに無理やり後を追ってきたモリサカや、つい直前まで敵だったカムロギ。その全員に戦場を「任せた」のだったが。
どこか他人を信用していなかったが故に、勝手に胸に湧いた「杞憂」という名の雲を。ユーノらは「勝利」という風で吹き払ってくれたのだ。
「どうだいッ! アタシの仲間の力を甘く見た結果が、コレだよッ!」
嬉しさのあまり、アタシは大剣を握っていない側の手を握り締めながら。魔竜へと仲間の勝利を誇るような台詞が、口から自然と出てくる。
仲間……というよりは。同じ八頭魔竜という魔物の首同士なのだ。三本目の首が倒れたのだから、余程口惜しいに違いないと。目の前にいる魔竜を見上げながら、だったが。
にもかかわらず、目の前の魔竜は何故か口端を吊り上げ、嗄れ声で笑いを漏らし。
『く……ふふふふふ、一ノ首も朽ちたか。これは想定外だが、面白い……実に面白い展開となったわ、くふふふふ』
「な、何を笑っていやがるッ? 同じ魔竜が死んだってのによ!」
同じ首が倒れた事を悼むどころか、倒された事をどこか願っていたような素振りすら見せていた。
負け惜しみ、なのだろうか。
アタシが指摘してもなお、こちらを嘲るような笑い声を止めない魔竜に対し、大剣の切先を向けるも。
『人間、貴様も見たであろう、空高く噴き上がった漆黒の炎を』
「あ、ああ……そりゃあれだけ盛大に巻き起こったんだ。見てないわきゃないだろ」
『あの炎は、一ノ首が息絶える直前に発したであろう、戦場全てを焼き尽くす程の威力を誇る一ノ首の奥の手よ』
何故に魔竜が嘲笑っていたのか、その理由が説明されていくと。
先程までユーノらが勝利した事に高揚していたアタシの胸中には。突如として暗雲が立ち込め、不穏な空気が漂い始める。
まさか。
先程アタシが見た空を突き上げる勢いの炎が、今まさに目の前の魔竜が告げたばかりの「戦場を焼き尽くす炎」だとでも言うのか。
『……尤も。一ノ首がその獄炎を放っていれば、我も貴様も炎の範囲の内だ。当然、只では済むまい』
「だから、アンタは魔竜が倒されたんだ……って、判断したんだね」
『察しが良いな、その通りだ』
その炎が実際に放たれていたとしたら。アタシと四本目の首がいるこの戦場すらも炎の範囲内だ、と言う。
確かにそれは「戦場を焼き尽くす炎」に違いない。
だが。目の前の魔竜の説明に反して、実際にアタシに届いたのは。耳を劈く音と、大気の震えと衝撃波程度だった。
離れた戦場で、魔竜やユーノらが死闘を繰り広げている最中。無数の魔法や戦技、そして魔竜の炎が飛び交っただろう。
一ノ首──三本目の魔竜は口から強烈な「炎の吐息」に加え、より威力を増した漆黒の炎を操っていたし。
カムロギには魔剣「黒風」を駆使した飛ぶ斬撃、そして何よりアタシに傷を負わせた脅威の秘剣「天瓊戈」まである。
あの場にいて、アタシを追ってきたお嬢もまた。大陸にある五柱の神々を祀る教会全てから「聖騎士」の称号を得ただけの実力者であり。アタシの知らない数々の神聖魔法を使い熟すに違いない。
それに何よりも。
アタシが戦場を任せたユーノが、海の王国の大騒動の際に見せた変貌を。今まさに発揮しているかもしれない。
その威力の余波すら、感じ取る事が出来ないくらいのアタシとの距離──にもかかわらず。
空高く伸びる炎の柱、あれだけは衝撃が届いたのだから。あの炎が尋常ならざる威力を発揮したのは、アタシにも容易に想像が出来た。
つまり、その炎は発動しなかったのだという事実。
『──それと、もう一つ』
ここまで睨み合い、敵対する同士というのに言葉を交わしていたアタシと魔竜だったが。
そこで一旦言葉を区切った魔竜が、さらに口角をニヤリ……と吊り上げ。邪悪な笑みを浮かべた直後だった。
口を開いた魔竜の頭部が、上顎に生やした鋭い牙を以って。頭上から突然、アタシへと襲い掛かってきたのだ。
「はッ! 霧の毒が効かなくなったら直接攻撃かいッ、いよいよ手がなくなってきたねぇッ!」
油断はしていなかった。
今のアタシは「九天の雷神」の魔術文字を発動していたため、魔竜が広範囲に撒き散らした毒霧を無効化し。さらには、雷を思わせる高速での移動が可能となっていた筈だった。
しかし。
何の変哲もない、ただの攻撃だったのに。アタシは反応が一瞬遅れたのだ。
「──ち、ぃッ⁉︎」
回避が間に合わない、と判断し。構えた大剣で襲い掛かってくる牙を受け流し、迎撃しようと試みる。




