342話 ユーノ、魔竜を挟撃する
分身体を顕現させ、ほぼ同時に二体の蛇人間を吹き飛ばしたユーノは。
「こいつで──」
「……きめるっっ!」
一直線に魔竜に迫らず、申し合わせたように左右に分かれ。弧を描くように魔竜に接敵し、魔竜の両側面からの挟撃を狙っていく。
対して、狙われた魔竜はというと。明確な敵意を向け、間近にまで接近していたユーノが突如として二人に増えた事に。
未だ理解が追い付かず、困惑を隠せずにいたが。
『な、何故っ……二人に増えおった? し、しかし、今はそんなことよりっ──』
それよりも深刻な状況だったのが、迫る黒い獣の少女を迎撃するための準備が完了していなかった事だ。
寧ろ魔竜はその点にこそ焦り、困惑していた。
本来の機動力に加え、ベルローゼが意識を失う直前に発動した「絶対障壁」に守られたユーノは。身体を包む漆黒の炎をただ放っただけでは捉えられず。誘導、追尾する炎「獄炎蜂」でも倒す事は出来なかった。
ならば、回避出来ない至近距離まで敵を惹き付け。防御の障壁を打ち破る圧倒的な破壊力を示すしかない、そう魔竜は考え。「奥の手」を発動させるため、己の血を触媒として激しく燃え盛る黒い炎を喰らっていたが。
まだ炎を喰らっている過程の途中だったからだ。
しかも、黒い獣は左右から拳を振り上げ、襲い掛かってきていたのだ。このままでは準備が待ち合わず、ユーノの攻撃を浴びてしまう。
それを同時に迎撃し、準備までの時間を稼ぐには。残された僅かな瞬間、魔竜は思考を巡らせ、方法を模索する。
『ぐ、っ……な、ならば残っている炎を使う以外、方法がない……か』
そして、魔竜の頭に閃く一つの方法。
術者が受けた傷と痛みをそのまま威力に返還する暗黒魔術「憤怒の獄炎」で生み出した漆黒の炎。
まだ開いた鼻や口から吸収し切れていなかったその炎を、ユーノに向けて放つ。それ以外に手段がない。
当然ながら、準備中の「奥の手」の威力は吸収し切れなかった炎の量だけ低下するのは避けられないが。それでも……魔竜は判断を下す。
『焼き尽くせ──獄炎蜂』
まだ魔竜の体表で燃え盛る炎から、再び無数の炎の粒を生み出す暗黒魔術が発現する──が。
既に、大半の炎を魔竜が喰らっていたためか。現れた炎の数はつい先程、ヘイゼルやカムロギまで巻き込もうとした一〇〇を超える数には到底及ばす。
炎の粒の数は、精々が二〇あるかないか。明らかに発動の規模が弱まっていた。
『ぐ、ぬう、ぅぅぅ……この状況では、これが限界か、だが!』
想定を下回る結果に、苦々しく表情を歪める魔竜だったが。何もしなければ、ただ左右両側面から迫る黒い獣の少女に殴られるのを黙って待つのみな状況だ。
魔竜がこれより放つのは、あくまで時間稼ぎ。接敵させない事が目的であり。敵を倒すためではない、そう割り切って。魔竜は生み出した二〇個ほどの炎の塊を左右に分割し、撃ち放っていった。
『この距離ならば避けられはせぬ! どちらが偽者だか分からぬが……障壁ごと打ち破ってくれるわ!』
そう叫んだ魔竜は、左右のユーノに炎か直撃する瞬間の一挙一動を見逃さぬよう、注意深く観察していく。
敵である少女が二人に分裂したものの、実際に一人の人物が突然二人に増えるなど、あり得ない話だ。左右どちらかの少女が偽者……もしくは幻覚に違いない。
意識を失い倒れたベルローゼの防御障壁の効果を受けているのは、本物の少女のみ。そもそも、偽者には障壁を張る必要がないのだから。
ならば偽者、もしくは幻影は炎を防ぐ術などなく、直撃すれば黒焦げになるのは確定だろう。
どちらか本物かを見抜けた段階で、発動を短縮した「奥の手」を本物の少女に向けて放つ。
──それこそが、魔竜の描いた展開だったが。
「で?」
魔竜から勢い良く放たれ、眼前にまで迫る「獄炎蜂」の漆黒の炎にも。ユーノは顔色一つ変える事なく、寧ろ余裕を表す笑みすら浮かべ。
一切、突撃速度を緩めることなく、握った拳から指を一本だけ立て。不規則な軌道を描く炎に狙いを定めると。
無言のまま、指を覆う籠手の装甲が黒い塊となって高速で撃ち出される。
先程も同じ炎の迎撃に使用し、味方を救ったばかりの「黒鉄の礫」は。
迫る一〇の炎のうち、三個を貫通・粉砕した指弾は。そのまま一直線の軌道で、魔竜の鱗へと突き刺さっていく。
『な、っ⁉︎』
ようやく絞り出した苦肉の策を、いとも簡単に対応され。しかも目的である足止めと時間稼ぎを果たせなかったことに、魔竜が驚きの声を漏らすと同時に。
またしても無言のまま、ユーノはまだ装甲を纏っていた指をもう一本立てて。炎に向けて狙いを定める素振りを見せ。
再び「黒鉄の礫」を発動する。
二度目ということで不規則な軌道に目が慣れたユーノは、五個の炎を迎撃する事に成功し。目的を果たした指弾は、一発目と同じく魔竜の鱗へと突き刺さった。
『……ば、馬鹿、なっ?』
魔竜に戦慄が走った。それは、既に半数以上の炎が迎撃され、足止めに失敗したからではなく。
左右両側面にいた、敵である少女が。同じように籠手から魔法を飛ばして、大半の炎を迎撃してみせていたからだ。これではどちらが本物で、どちらが偽者なのか魔竜には見分ける事が出来ない。
準備のための時間を稼げず、どちらかに攻撃対象を絞る事も出来ない、となれば。魔竜の当初の算段は完全に崩壊し。
僅かに残った炎も、次のユーノの「黒鉄の礫」で完全に迎撃され。接近するための懸念が一つ残らず消え去った。
巨大な魔竜の胴体部を、左右から挟み込むように。風を切り裂く速度で接敵した二人のユーノは。
「いくよっ──」
突進の速度の勢いを両の腕に乗せ、激しく回転を続ける左右の双拳を。目の前の魔竜の身体目掛けて、激しく打ち付けていったのだ。
ベルローゼらが散々魔竜に刻み付けた数々の傷で、剥き出しとなった肉ではなく。敢えて鱗の上から。
「……いくよっ、これがっ!」
「ボクと分身体の、どうじこうげきっ──」
何故、傷口ではなく鱗を殴ったのか。それは先程、炎を迎撃する際に放ち、鱗に突き刺さっていた「黒鉄の礫」を狙ったからだ。
「「くらええええええっ!」」
あくまで高速で突撃し、その勢いを乗せた一撃を魔竜に浴びせただけなのだが。
ユーノの強烈すぎる拳が、左右同時に叩きつけられた衝撃に加え。鱗に刺さった指弾が楔の役割を果たして。二箇所の鱗が、まるで薄い木の板を叩き割ったようにいとも簡単に砕け散る。
今、ユーノが放った一撃は「星震撃」。
大層な名称ではあるが、要は「黒の獅子」に変貌し、爆発的に向上した身体能力で高速で突撃。そのまま拳を叩き込むだけの原理だったが。
高速で駆ける時の身体の揺れが、拳に振動として伝わり。殴った時の拳の衝撃をさらに拡大し、増大させる効果として働く。
結果として拳を受けた物体は「壊れる」のではなく、粉微塵に「砕ける」。そう、今ユーノの両拳を受け、粉々に破壊された魔竜の鱗のように。
だが、ユーノの攻勢はこれには留まらなかった。
「……まだ、おわりじゃないよ」
ユーノがそう口にした、その瞬間。
「こぶしよまわれっ!」
鱗の粉砕を合図に、両腕に装着していた巨大な籠手が轟音を立てて回転を始め。
砕けた鱗の破片と「黒鉄の礫」の指弾を巻き込みながら、激しく回転する両拳が魔竜の胴体部に減込んでいく。
すると巻き込んだ破片や指弾が拳の回転で肉を抉り、傷口を大きく拡げる思わぬ援護となっていく。
しかも、それが二箇所同時に。
「獄炎蜂」
「憤怒の獄炎」で奈落から召喚した漆黒の炎の欠片一つ一つに、生命力を感知しその目標を追撃する特性を付与し。複数個の炎を一斉に放出、四方から追尾する炎を浴びせる暗黒魔術。
出現させる炎の数は術者の魔力許容量に依存し、人間の術者であればおそらくは三〇が限界だろう。
小さな粒だからと油断するなかれ。元が「憤怒の獄炎」の炎のため、一つの威力でも鉄製の盾を半分ほど溶かし、鎧を貫通し、中の身体を焼き貫く程である。
「憤怒の獄炎」より派生した魔法と同時に、炎属性にも非常に効果が似た「火炎蜂」という攻撃魔法が存在するが。
実は「火炎蜂」の原型は奈落の瘴気の影響を取り除き、人間が使用出来るようにした魔法であったりする。




