341話 ユーノ、もう一人の黒い獅子
一転、追い込まれた魔竜。
『ぐ、うっっ……血が、血が足りぬぅ……先の奴等を追い込むために力を使い過ぎたわ』
戦場に君臨していた魔竜の頭の一つ・一ノ首は、自らが流した傷の深さを魔力に変換する能力を駆使し。
先程、ユーノにも放った無数の追尾する炎の粒「獄炎蜂」と。己の血を触媒にし、眷属たる蛇人間を大量に召喚する「獄炎の軍勢」を使い。ベルローゼにカムロギ、ヘイゼルといった猛者を劣勢に追い込んでいったものの。
血を代償とした数々の能力は、行使すればする程に、魔竜の生命を確実に削っていたのだった。
『だ、だが……これ以上血を流すわけには、っ』
突貫してくるユーノの迎撃に、さらに増援として蛇人間を召喚出来なかった理由はまさに。これ以上、血を代償とすれば魔竜の生命維持に支障が出る程に、ベルローゼらが魔竜に刻みつけた傷は深かったからだ。
──それでも。
魔竜とてむざむざとユーノの拳が直撃するのを、ただ傍観していたわけではない。
『け……眷属どもよ、さっさとこちらへ来い! 我が人壁となれいっ!』
周囲にいた眷属たる蛇人間らを数体、己とユーノの間に割り込ませるように呼び寄せる。
元はカガリ家四本槍だったジンライとショウキを、眷属へと変貌させたにもかかわらず。ユーノの拳の前には敵ではなかったのだ。
実力が数段劣る蛇人間では、ユーノを足止め出来るのはほんの僅かだろう。
だが……魔竜は、その僅かの猶予が欲しかったのだ。
『まさか……我らを過去、地の底に封じた勇者の血を継ぐ者と再び対峙した時の最後の手段までも、今ここで使うことになるとはな』
そう言葉を漏らした魔竜は、大きな口を開いて息を強烈に吸い込むと。
魔竜が己の周囲に展開していた漆黒の炎までも、開いた口の中に吸い込み始める。接敵を遮る目的で燃え盛っていた炎を、自ら取り払うような行動に出たことに。
「──気を付けるんだよっユーノ! あの化け物、何か企んでやがるっ!」
背後から、魔竜の異変を見たヘイゼルが警告の声を張り上げた。
まさにユーノが接近しようとしていたなら、さらに燃え盛る炎の威力を強めるのが定石だというのに。真逆の行動、身を守るための漆黒の炎を自ら取り去ってしまうのは。何かしらの意図があるに違いなかったからだ。
そんなヘイゼルの声は、ユーノの耳にも届き。
「わかってるよヘイゼルちゃん!」
さすがに魔竜への突撃の最中だったが。背後に振り返り、顔を見て返答する余裕まではなかったが。
それでも片腕を高々と上げ、背後に手を振るくらいの反応を返していくユーノ。
勿論ながらユーノも、眼前にまで迫った魔竜の異変には気付いていた。
だが、そうではない。
ヘイゼルは肩を酷く負傷しており。周囲にもまだ、ユーノが仕留め切れなかった蛇人間は残っており、他人を気に掛ける余裕はない筈だった。
にもかかわらず、魔竜の異変を警告してくれた心遣いこそ、ユーノは嬉しかったのだ。
「──うんっ、ボク、がんばるよっ!」
嬉しさのあまり、感情が昂ったのか。ユーノの脚がさらに速度を上げる。
魔竜の命令で、目の前に立ち塞がってくる二体の蛇人間が両手の爪を伸ばしていたにもかかわらず。
足を一切止める事なく、速度も緩めずに蛇人間の鋭い爪の届く距離へと躊躇なく踏み込んでいくユーノにも異変が現れる。
突然、蛇人間らの目の前で。
ユーノの隣に、彼女と全く同じ姿をしたもう一体のユーノが出現したのだ。
『ば、馬鹿なっ!』
「ゆ、ユーノがっ……二人い⁉︎」
ユーノが二体に増えた、という予想だにしない目の前で起きた出来事に。
魔竜とヘイゼルが揃えて、驚愕の声と面食らった表情を浮かべてしまう。
「いっっくぞおおぉっ! どうじこうげきっ!」
ヘイゼルの返答に振り上げた腕に、突貫している速度の勢いを乗せて。割り込んできた蛇人間に巨大な籠手で出来た拳を振り下ろしていく。
当然、爪が届く距離にユーノが入った時点で、蛇人間もまた爪撃を放つのだったが。黒曜石にも似た材質で出来た籠手は、爪を粉砕しながら。全く衰えない拳が蛇人間の胸に直撃し。
ユーノの拳の一撃をまともに喰らった蛇人間の身体は、地面に何度も激突しながら遥か遠くにまで吹き飛ばされていった。
と、同時に。もう一体のユーノはというと。
高速で駆ける勢いを利用し、地面を蹴ったばかりの脚を。もう一体の蛇人間へと伸ばして蹴りを放っていく。
これまでの「鉄拳戦態」だと、装甲を纏うのは両腕のみ。一撃目と同じく咄嗟に蛇人間が爪を伸ばした場合、脚も傷付いてしまっただろうが。
髪と肌を黒く染める「黒の獅子」だと、両脚にも魔力で形成した脚冑が装着されている。
だから、拳と同様にユーノの勢いの乗った蹴りは蛇人間の爪撃を弾き返しただけでなく。鈍い凶器と化した足先が腕を圧し折り。蛇人間の腹へと減り込んでいき。
先に一体目の蛇人間を吹き飛ばした方向と左右逆に、蹴り抜いた敵の身体を吹き飛ばしていく。
一度たりとも足を止める事なく。
立ち塞がった二体の蛇人間を進路から排除したユーノ。
『わ……ほんの僅かな時間すら稼げないのか、つ、使えない者どもが、っ!』
一方で、予想していた足止めすら叶わず、明らかな苛立ちと狼狽の態度を露わにする魔竜。
それもその筈、口から吸い込む行動はいまだ継続中であり。何かしらの魔竜の奥の手を実行するための準備は、まだ完了したようには見えなかったからだ。
「あ、あれは何だ? まさか……この期に及んで、幻影の類いか何かか?」
「……い、いえっ、少なくともアレは幻影の類いではないようです」
二人よりも少しだけ冷静に状況を見ていたのは、カムロギとセプティナだったが。
それでも、突然ユーノが二人に増えた不可解な現象を「魔法による幻影だ」と結論付けたカムロギに対し。
自分もまた月属性の魔法と、幻影を駆使しての戦術を得意とするセプティナは。
「見てください。二人の足元には、影が」
セプティナが指を指し示した先は、ユーノではなく、足元の地面だった。そこには、はっきりと魔竜の炎に照らされた影が、二体のユーノそれぞれから伸びていた。
「魔法で生み出した幻影ならば、足元に影は映らないからです。もっとも、私たちも魔法の対象ならば別ですが……」
「な、なるほどな……」
セプティナの言いたい事を、言葉の先を聞かずとも理解したカムロギ。
元来、幻影とは視覚を惑わす対象……つまり敵に対して使うものであり。味方であるセプティナやカムロギ、ヘイゼルを魔法の対象とする事はあり得ないからだ。
ユーノが今、見せたのは──分身体。
それはただ、目にも止まらぬ程に俊敏に動いたことで、視界が気配や魔力を誤認する「残像」とは根本から違う。
今ユーノが発動している「魔戦態勢」により、神経速度や身体能力上昇の効果を限界以上まで酷使し。魔力の残滓をその場に輪郭として残すことで。残像ではなく、実際に影響を及ぼすことが出来得る実体を作成することが出来る戦技。
実兄である魔王は、この分身体を同時に四体まで出現させる事が可能だが。
まだまだ未熟なユーノは「黒の獅子」となった状態で、ようやく分身体を使えるようになる。




