325話 アズリア、発動した暗黒魔術の正体
肉や鱗を再生し、傷口を塞いでいた間。完全に目の前の魔竜は無防備な状態を晒していた。
本来であれば、そんな隙だらけの魔竜に続けざまに大剣での斬撃を浴びせるところなのだが。
「じょ、冗談じゃ……ねぇぞッ……」
アタシがこれまでに魔竜に与えた傷は、相当に深いものだった。しかも一箇所ではなく、複数の箇所。
それが、身体が光り輝いた一瞬で全ての傷が再生・回復し。雷撃を放つ前の、傷一つ負っていない状態に戻ってしまったのだから。
ただ斬られた傷を塞いだのとは違い。失った鱗や肉を再生し、深々と開いた傷を瞬時に回復する治癒魔法を。何の代償も無しで使えるなどという話は、アタシの知識にはなかった。
だが見たところ、瞬く間に複数の深傷を塞いだ魔竜には。何らか代償による不利益を負った様子はない。
つまり、あり得ない事が目の前で起きていたという事実に加えて。アタシの今までの攻撃は、全くの無意味な行動とされてしまったためか。
思わず、攻撃を仕掛けるという選択肢が頭から吹き飛んでしまっていた。
『くふふ……どうだ? 先程までの威勢が何処へやら、消沈したように我には思えるが』
「う、うるせえッ!」
そんなアタシの動揺を、こちらの心の中をまるで読んだかのように逆撫でしてくる魔竜の言葉に。
アタシは大きな声を張り上げ、拒絶し。忘れていた大剣での攻撃を再開することしか出来なかった。
『……くふふ。先の魔法はな、我の周囲の時間のみを過去へと戻して、傷一つなかった我のあるべき姿へと戻してみせたのよ』
「時を……戻した、だと?」
『ふむ。まあ、理解出来ないのも無理はない。時間を操るなど、人間の魔術では到底届かぬ領域である故』
だが、アタシが大剣を構えて攻撃を仕掛けていたにもかかわらず。
魔竜は余裕の態度で、こちらの攻撃に対抗する素振りを一切見せず。アタシに先程発動させた「逆転時間」の効果についての説明を始める。
傷を回復させた魔法の詳細を聞かされたアタシだったが、だからといってやるべき行動に変わりはない。
「だ、だがッ! 傷を回復させたのなら、もう一度同じ傷をアンタに刻んでやるだけだってえの!」
我ながら悪役じみた台詞を、自然に口から吐き出したアタシは。
頭上高くへと掲げた大剣に力を込め、傷が塞がったばかりの魔竜の胴体部へと。その刃で渾身の一撃を浴びせていく。
当然、雷撃を自在に操る「九天の雷神」の魔術文字の影響下にある今のアタシは。
攻撃を仕掛けてから、大剣の刃が魔竜を捉えるまで一連の動作を、目にも止まらぬ速度で実行する。
高速で放たれたアタシの斬撃は、先程と同様に魔竜の堅い鱗を難無く両断し。鱗に守られた肉をも深々と斬り裂いていく。
ここまでは、魔竜が穴から飛び出してきた時を再現したような一方的な展開。
「コレならばッ──ゔ? え、ッ?」
だが、今まさに目の前で起きた現象に。アタシは言葉にならないような驚きの声を発してしまう。
斬り裂いたばかりの裂傷が、傷の周囲が強く光り輝いたかと思った次の瞬間。先程、治癒の過程を見ていたように、肉や鱗の傷がみるみるうちに再生していったからだ。
『驚いてくれて何よりだ。しかし……これで頭の悪い人間でも理解出来たのではないか? 絶望しろ、と言った我の言葉の意味が……な』
反撃を危惧したアタシが、一度後方へと飛び退き、声を発した魔竜へと向き直るも。攻撃を仕掛けてくる気配はなく、ただこちらに勝ち誇ったように口を歪め、笑みを浮かべていただけだ。
魔竜が先程、口から取り出した謎の球体を噛み砕き、内部に閉じ込めてあった瘴気で儀式魔法を発動させたのは。
アタシの攻撃で全身に負った深傷を癒すためか、と思っていたが。先程発動させた「逆転時間」なる暗黒魔術は。どうやら、ただ代償無しで身体を癒すだけの効果には留まらないようだ。
「な……なるほど、ねぇ……ッ。恐るべき再生能力を持続させる、ってのがさっきの魔法の効果、かい」
『ほう、理解が早くて助かる。ならばこれも理解出来るだろう……いくら貴様が攻撃しても、無意味だという事が、な』
「……ぐ、ッ」
アタシは歯を噛み締め、魔竜への苛立ちの感情を隠そうとするも。反論のための言葉が頭に思い浮かばず、そのまま口を噤んでしまう。
確かに……魔竜の言う通りだ。
巨大な身体に堅い鱗を持つ魔竜に、有効な打撃を与えるには。攻撃を繰り出す側のアタシも、相当の消耗を強いられてしまう。
なのに魔竜は、「逆転時間」の効果で受けた傷を次から次へと元通りに再生してしまうのだから。
そうなると分が悪いのは、元来ならば優勢な立場の筈の、攻撃を仕掛けているアタシという事となり。
目の前の魔竜は、魔法の効果で傷を再生しながら。ただアタシが消耗し、動けなくなるのを待つのみ。
そう考えると、ただ闇雲に攻撃を放っても魔竜の策略に嵌るだけだ。
「く、そッ!……どうすれば、あの再生を止められる? いや、それより──」
しかし打開策を考えようにも。アタシは今、魔竜の身体に効果を及ぼしている「逆転時間」なる魔法の詳細について、何一つ理解していなかったりする。
分かっているのは、時間を操る事で代償無しで肉を大きく斬り裂いた深傷すら一瞬で再生する、恐るべき治癒能力と。瘴気を発動源とする暗黒魔術、という二つの事だけだ。
まだ知らぬ魔法の詳細を、ただ一度の戦闘で暴いてみせろ、というのは。いくら何でも無茶が過ぎる。
ましてや調査の対象となるのは、魔竜という強大な敵なのだから。
最初に頭に浮かべた、魔竜に効果を及ぼす暗黒魔術の弱点を探し出す案を、アタシは諦め。
「あの再生能力を無視出来るくらい、強烈な一撃をどうやって叩き込むか……のほうがよっぽど建設的な話、かねぇ」
もう一つの案。
魔法の詳細を理解しなくても、今のアタシでも可能な方法を選択することにした。それは、アタシが放てる最大の威力を魔竜へと叩き込み、再生が追いつかないだけの損傷を与える……というものである。
下位魔族の中でも、肉体再生を持つ事で有名で。アタシも一度や二度、戦った経験のある岩巨人や食人鬼だが。
強烈な一撃で生命を絶つ事が出来れば、それ以上傷が再生する事も、蘇ってくる事もない。
「だけどコッチの案もさ。問題っちゃ問題は、あるんだよねぇッ……」
そう。アタシに残された選択肢というのが。
僅かな時間で考えただけでも、二つも問題がある。実に困った案だったりするのだ。
一つは、魔竜に付加された再生能力が。果たして岩巨人や食人鬼と同列なのか、という点。
生命を断つ程の強烈な一撃さえ再生されてしまえば、アタシの消耗と落胆は計り知れない。
そしてもう一つ。こちらがより重要なのだが。
強大な魔竜の生命を一撃で刈り取る程の、尋常ならざる威力を如何にして発揮するか。その手段と方法に、アタシが全く心当たりがない点だ。
「は……はッ、『絶対的な一撃』か。口にするだけなら、簡単なんだけどね……」
これまでの強敵との戦闘で、決着に放ってきた必殺の一撃を。頭の中の記憶を辿り巡らせ、アタシは思い浮かべていく。
その中に、今アタシが置かれた圧倒的不利な状況を打破する光明を見出せるかもしれないからだ。
「逆転時間」
属性魔法の概念ではほぼ不可能な時間軸に、通常の魔力よりも濃密で、より魔術の本質に近しい瘴気を用いる事で強引に干渉し。対象を短時間の過去へと戻すことで、効果時間中に受けたあらゆる束縛や負傷を文字通り「元通り」にすることが出来る。
ただし負傷や束縛などの悪影響だけではなく。身体強化などの効果も残す事は出来ず、あらゆる影響が元に戻ってしまう欠点もあるが。
同じ暗黒魔術でも、暗黒神に属する神の加護を借りるのではなく。奈落の力を利用する魔法であり。
発動難易度は超級魔法を超え、まともに発動出来る術者は地上にはいないとされている。
本編でも、魔術に長けた三ノ首も単独の魔法では発動する事が出来ず。捧げられてきた多数の生贄らの魔力を溜める事で、儀式魔法としてようやく発動出来た魔法でもある。




