324話 アズリア、発動した魔法に驚愕する
魔竜の口の中で、輝く球体が砕けた瞬間。まるで爆発を起こしたかのように、球体があった一点から濃い魔力が大量に溢れ出る。
同時に、魔竜の周囲には魔法を構築するために使われている魔術文字が浮かび上がり。何らかの魔法が発動しようと術式を展開していた。
しかも、発せられた魔力の異常な濃密さ。
アタシは魔竜の口に渦巻き、魔法に構築されようとしていた濃密な魔力を見て。
「こ、こりゃあ、魔力じゃねぇ……しょ、瘴気、かッ?」
瘴気。神々の信仰と加護を魔力源とする神聖魔法と対極に位置する、暗黒魔術の発動に必要不可欠とされる魔力の名称だが。
暗黒魔術が、人間と敵対する魔族や、「暗黒神」と呼ばれる邪悪な神々を信奉する連中が好んで使用する事と。通常の人間が瘴気に触れると、身体が爛れてしまう事から。瘴気とは魔族が使う魔力源であり、魔力は全くの別物……というのが。大陸の魔術師らの中での通説なのだが。
魔族らが暮らす魔王領で長らく滞在し、領を統べる魔王と親しくなったアタシは知っている。
瘴気とは、魔力は同一のモノであり。あくまで魔力を凝縮しただけに過ぎない、という事を。
魔力の使い過ぎや枯渇で、人間の身体に悪影響が出るように。瘴気に触れて身体が爛れるのも、あくまで濃密過ぎる魔力に触れた悪影響に過ぎない。
余談が過ぎたが。魔竜の口から発せられたのが瘴気であるならば。
「ってコトは……これから発動するのは、もしかして……暗黒魔術ッてコトかい⁉︎」
おそらく、先程魔竜が噛み砕いた半透明の球体には。暗黒魔術……しかも、何らかの儀式魔法が封じ込められていたのはほぼ間違いないだろう。
術者が自身の魔力と技量のみで発動する通常の魔法とは違い。「儀式魔法」は予め発動の準備に時間を費やす事が出来、しかも複数人の術者が協力する事も出来る。つまり、通常のよりも強力な高位魔法を発動が可能となる理屈だ。
だが問題は、その魔法が何であるかという話だ。
逆転時間──その魔法が一体何なのか、見当も付かない。
いくら魔術文字のためとはいえ、様々な文献や資料を漁り、数々の魔法の知識が頭に入っていたアタシも。これまでに目にした記憶も、聞いた事すらない魔法の名称だったからだ。
魔法の種類や効果が分からなければ、アタシも対策の取りようがない。
「……一体、何がくるッてんだ? く、くそッ……わ、わからねぇッッ!」
アタシは思わず剣を手放した左手で、自分の赤髪を乱暴に掻き毟り。自分の不勉強さを悔やんでみせたが。
いくら悩んだところで、記憶にないものは頭に浮かぶ理屈はない。今、眼前で魔竜が発動しようとしている暗黒魔術に見当も付かないならば。アタシが積み重ねてきた戦闘経験から、効果を先読みするしかない。
事前に「九天の雷神」の魔術文字による強烈な雷撃を浴び。さらにはアタシの大剣による斬撃で、既に魔竜の身体は満身創痍な状態だ。
そんな状況下で出してきた一手こそが、噛み砕いた半透明の球体だ。発動する魔法が儀式魔法でもあった事から、劣勢を逆転させる猛烈な攻撃が襲ってくる、と予想したアタシは。
「──くる、かッ!」
一旦、魔竜の出方を待ち。あらゆる方向から魔法で攻撃されても即座に察知出来るよう、警戒心を最大限に高めていくと同時に。
魔竜の周囲に展開した瘴気と、魔法術式が組み上がる瞬間を測っていき。
今──発動の時を迎えた。
魔竜の周囲に渦巻いていた濃密な魔力である瘴気が、さらに集束を始め。アタシと魔竜の眼前で、黒い球体と化していく。
『断言しよう。この魔法が効果を発揮した時、貴様は絶望の表情を見せるであろうと』
「……面白いじゃないか。アタシが絶望する、だって?」
魔竜の言葉を、アタシは鼻で笑い飛ばす。
自慢ではないが、八年も世界を旅して回り。アタシは数々の強大な敵と対峙し、絶望的な状況に置かれたことも両手の指では数えきれない。
記憶に新しいのは、帝国の焔将軍ロゼリアの操る炎に追い詰められたり。魔王リュカオーンとの一騎討ちでは、強烈な爪と雷撃で「赤檮の守護」の防御障壁を破られたり。
最近の一番は、海の王国を丸ごと飲み込む程巨大な海嘯が発生した時だったかもしれない。
これから魔竜が何を発動させるか、アタシは知る由もないが。果たして、目の前に展開する黒い球体が、それ程の劣勢にアタシを追い込めるとでも言うのだろうか。
しかし、次の瞬間。
魔竜は意外な行動を見せる。
「……な、なあ、ッ⁉︎」
何と、術式が構築し、瘴気がさらに集束してアタシの頭ほどの大きさの黒い球体を。魔竜の首がヌルリ……と動き、口を大きく開けて球体を一飲みにしていったのだ。
アタシが驚きの声を上げると同時に、魔竜の喉がゴクリ、と鳴る音が聞こえてくる。おそらくは口へと入れた球体が、喉を通り腹の中へと飲み込まれていったのだろう。
アタシが驚いたのは、何も。折角作り出した瘴気を飲み込む、などという不可解な行動に出たからだけではなく。
先の魔竜の言葉から、黒い球体から一体どんな苛烈な攻撃が飛んでくるのかという警戒が空振りに終わったからだ。
しかし。
安堵からか一瞬、気を抜いてしまったアタシの耳に届いたのは。集束した瘴気を飲み込んだばかりの魔竜の笑い声だった。
『くふふ……絶望するのはこれからだ』
どうやら、アタシに放った言葉は咄嗟に口から出た嘘や虚勢ではないらしい。
一度飲み込んだ瘴気を、吐息のように口から解放する魔法なのだろうか……と。アタシは再び、思考を巡らせてみるが。
次の瞬間。
地面から顔を出していた魔竜の全身が、目も眩むような強烈な光を放ち始めた。
「な……何が、起きやがったッ⁉︎」
直視出来ない強い光で目を焼かれないよう、咄嗟に構えていた大剣で視界を遮りながら。目眩しである可能性を鑑み、薄目を開き大剣の隙間から魔竜を警戒する事を忘れてはいないアタシ。
強烈な光を放ったのは一瞬だけであり、眩い光量は徐々に弱まって。薄ぼんやりとした光へと変わっていたが。
「──な」
途端、アタシは言葉を失ってしまう。
魔竜の身体が輝いたからではない。
鱗が剥がれ、露出した肉が深々と抉られた雷撃の傷が。もしくは大剣で肉を斬り裂いた傷が。
アタシが見ていたまさに目の前で、急速に肉が盛り上がり、傷が塞がっていき。剥がれた鱗までも再生し、攻撃を受ける前の姿へと蘇っていく過程を見せつけられたからだ。
しかも、再生した傷は一箇所や二箇所ではない。魔竜が全身に負っていた、全ての傷が。身体が光り輝いたのと同時に、恐るべき速度で再生を果たすという。
──あり得ない事が目の前で起きたからだ。




