320話 アズリア、少女を説得する
「おねえちゃぁ……ぁんっ……う、ぐっ……」
いつもは快活な笑顔を浮かべているユーノが涙を浮かべ、アタシを見上げていた。その表情に思わず、同行を許してしまいたくなる衝動に駆られるが。
アタシは首を左右に振り、頭に湧いたユーノへの同情を即座に振り払う。
「いや……やっぱり、駄目だッ」
ユーノの同行を頑なに拒絶するのは、ヘイゼルらへ頼りになる戦力を向けたいからという理由だけでは、実はない。
何故なら、先程までユーノやヘイゼル、それに途中で合流したお嬢らと共闘し。現れた魔竜と戦っていた時から既に感じていたが。
今、発動している「九天の雷神」の魔術文字は。使用している本人には何の問題がないが、身体の周りに発した雷光……それこそが問題なのだ。
あの時。一つ油断すれば、発した雷撃が仲間を傷付けていたかもしれない。魔竜と対峙していた時、アタシは雷撃の制御で集中力をかなり削られていた。
だが、魔術文字の力を加減していては。魔竜が吐いた炎すら上手く迎撃出来なかったように。到底、魔竜を討ち倒す威力を発揮するのは難しい。
つまり、「九天の雷神」の魔術文字の能力を遺憾なく発揮するためには。周囲に気遣う必要のある人間がいないほうが、都合の良いという話になる。
「悪いねぇ、ユーノ……やっぱりアンタを連れてけない、よ」
アタシは、身長さのあるユーノの両肩に手を置いて。大粒の涙を愛嬌のある大きな両眼に浮かべた顔を見下ろしながら。
これ以上、ユーノを連れて行けない意思をはっきりと口にしていく。
「それって……ボクが、よわいから?」
対して、ユーノが思い詰めたような顔で返してきた言葉に。アタシの胸が罪の意識でズキン!と痛む。
アタシがユーノの実力を蔑ろにした事など一度もない。でなければ、これまでのユーノとの共闘だって、事前に参戦を拒否していただろう。
そんなアタシの気持ちとは裏腹に、彼女の心の奥底では「置いていかれる危機感」が劣等感となり。ここまで膨れ上がっていたのが、今、口にした言葉には含まれていたのだ。
だから、アタシはまず。
ユーノの誤解を解かねばならない。
肩に置いていた手を頭へと移動させたアタシは、いつものように髪を撫でるのではなく。ポンポン、と少し乱暴に頭を叩いてみせながら。
「は、ッ……馬鹿だねぇ。アンタが弱かったら、そもそもアタシと一緒の旅なんて、島の時点で許しゃしなかったっての」
「……え?」
アタシの言っている事はおそらく真実だ。
もし、ユーノに島の外に出るだけの実力がなければ。実兄である魔王リュカオーンがアタシへの同行を、多少の強引な手段を使ってでもユーノを阻止しただろう。
獣の魔王、という称号を冠していても。魔王様が妹を可愛がっているのは、魔王領に滞在していた間に何度となく思い知る事が出来たからだ。
「それに、今までもずっとアンタ……アタシの隣に並ん戦って、時にゃアタシを助けてくれたじゃないか」
「え? ぼ、ボクが、おねえちゃんを……たす、けた?」
ユーノに、魔王領を飛び出してからこれまでの旅の思い出、そして共闘した戦いの記憶を反芻させていく。
神聖帝国兵との戦闘。
黒い勇者ルーとの決戦。
半月以上に渡る長い長い二人きりの航海。
ヘイゼル率いる海賊団との戦闘など。
「もう忘れてるのかい? 海の主の腹の中で、アタシが敵の攻撃で倒れた時のコトを、さあ」
「……あっ! あ、あああっ、あのときっ!」
そして……魔王領でも暗躍していた、奈落の神を名乗る存在が引き起こした海の王国の大騒動では。
不覚にも奈落の神が振るった深海の魔剣、その猛攻に倒れたアタシを守り。ユーノが単騎で奮戦してくれていたのを、決して忘れてはいない。
「ユーノ。アタシはさ、アンタを良き相棒だ……とばかり思ってたんだけどねぇ?」
「え? え、ええっ?……えええっっ⁉︎」
先程まで大粒の涙を浮かべ、悲壮な顔で劣等感に苛まれていたのが嘘のように。
顔を真っ赤にして、目の焦点を左右に揺らしながら落ち着きのない挙動を取り始めたユーノは。
「お、おねえちゃんっ……そ、それに、いつもとちがって、たったままボクとはなしてくれてる……っ」
「お、気付いたみたいだねぇ」
いつもであれば、腰を屈めてユーノと同じ目線に下げた体勢で説得を試みるのがアタシだった。
これまでの説得は、どこかユーノを「まだ幼い」と侮っている気持ちがアタシにあったのは紛れもない事実なのだろう。
しかし、今のアタシには。ユーノを侮る気持ちなど微塵もない。寧ろ、戦士としての実力を信頼しているからこそ、アタシが不在の戦場を任せられるのだ。
「アタシも反省したよ。確かに……ヘイゼルの頭撫でたりなんか、しようとすら思ったコトもないからねぇ」
「あはははっ、いえてる!」
この場にいないヘイゼルの名前を話題に挙げて、冗談を交えたアタシの話に。これまでの会話のやり取りで、すっかり上機嫌になって笑顔を浮かべていたユーノは。
「もう、おねえちゃんにはかてないなぁ」
会話が途切れると、すぅ……っ、と息を大きく吸い込み、吐き出したと同時に。
「──ふんっ!」
両手で自分の左右の頬を力一杯叩いていった。力が込められているのは、叩いた時に頬から鳴った打撃音と。叩いた後の両頬が赤く腫れていた事から推察出来る。
勿論、素手格闘が得意なユーノの平手だ。本当の全力などで自分の頬を叩けば、それこそ赤く腫れる程度では済まないだろうが。
泣きじゃくる子供からあどけない笑顔の少女へ。そして頬を叩いたことで、幼くも凛々しい戦士の顔に戻ったユーノは。
魔竜が暴れているであろう背後を指差し、アタシから指の先へと視線を移すと。
「ボク、ヘイゼルちゃんやあの、なまいきなくるくるかみのおんなをたすけに、いってくるよっ」
「ああ、アイツらの事……任せたからね」
「うんっ!」
そうアタシへと告げ、力強く頷いてみせるユーノの両の眼にはもう迷いは見られなかった。
ヘイゼルらには心強い援護、いや間違いなく主力級の活躍をしてくれる事だろうし。
これでアタシも「九天の雷神」の魔術文字を開放するのに何の躊躇もいらなくなる。
目の前の問題が解決し、安堵していたアタシに。ヘイゼルらの元へと駆け出す直前に、ユーノがこちらを見ずに声を掛けてくる。
「だから、おねえちゃん──」
「ん?」
確かに今、ユーノの視線はアタシには向いてはいない。
だが、視線を向けられているのと同じくらい、いや……それ以上の圧力が。ユーノの言葉には込められていた。
「ぜったいに……ぜったいにかえってくるって、ボクとのやくそくだからねっ!」
「それはアタシの台詞だよ。ユーノ……アンタも絶対に生き残るんだからね」
アタシの事を心配するユーノだったが。生憎、アタシはまだこんな旅半ばで倒れるつもりはこれっぽっちもない。
そんな心情を言葉に込めて、ユーノへの返答としたアタシだった。
互いに一度だけ言葉を交わし。ユーノは地面を蹴って勢いよくヘイゼルやカムロギの後を追い掛けるため、駆け出していったが。
「……無茶するんじゃないよ、ユーノ」
走り去っていくユーノの背中を見ていたアタシは。
三の門で、カムロギらと一緒に現れた子供相手に、魔力が枯渇する直前まで苦戦したユーノの無事こそ。寧ろはこちらのほうが懸念すべき材料なのだが。




