309話 一ノ首、空飛ぶ竜を捉える
翼を広げながら空を飛行し、魔竜から離れていたモリサカは驚愕する。
「な……何だ、とおっ⁉︎」
黒く燃え盛る魔竜の身体から離れた、無数の炎の粒が。モリサカが飛ぶよりも高速で迫っていたからだ。
モリサカが驚き、表情が恐怖で固まる瞬間を見て。魔竜はニヤリ……と愉しげに口を歪め。
『さて、いつまで逃げ果せるかな?』
「く、くそっ……!」
このまま直線的に逃げていては、速度で上回っていた黒い炎の粒に捕捉され、直撃を食らってしまう。
そう考えたモリサカは。右に左に身体を傾けたり、高度を上げ下げして飛ぶ軌道を変化させていく。
何度も飛ぶ方向を切り替え、追って来る無数の炎を振り切ろうとするモリサカだったが。
モリサカの急な方向転換に追いつかず、数発ほどの炎が周囲の地面や城壁に激突すると。
巻き起こる大爆発。
「あ……あんな威力が、あの二人に直撃したってのかよっ……」
爆発地点から距離が空いていてもなお耳に響く爆発の轟音と、肌を焼く爆風の熱に。思わずモリサカは見てしまった。
炎の粒が着弾した地点の地面や城壁が、見事なまでに円状に抉れていたのを。
自分を狙う炎の粒一つ一つに、それ程の破壊力が秘められているのを認識してしまったモリサカは。今度は恐怖に身体が硬直する。
結果、回避のための行動が一瞬遅れ。
「う……おおっ⁉︎」
気付くと、モリサカの視界の全方位から無数の漆黒の炎が迫っていた。何度も方向転換をして炎の軌道を散らせてしまったのが却って仇となったのだ。
絶叫と同時に、モリサカへと一斉に無数の炎が襲い掛かり。哀れな犠牲者は、全身を炎が包み込みながら飛行する力を失い、地面へと墜落していく。
カムロギとベルローゼが突撃を仕掛けてから。
まさに一瞬の出来事だった。
魔竜の全身から噴き出た漆黒の炎が、突撃する二人をまるで無視し。
後方と上空から援護していたモリサカ・エルザ・ファニーの三人を優先して攻撃していったのだ。
「え……エルザ! ファニー!……返事をしなさいっっ!」
後方で炎に飲まれた二人の安否を確認しようと、大声で名前を呼び掛けるベルローゼだが。燃え盛る黒い炎の中から言葉は返ってこなかった。
この中で治癒魔法を使えるのは自分しかいない。先程は、ヘイゼルが偶然に所持していた回復薬で傷を癒したが。本人曰く、もう薬の手持ちは無いらしい。
ならば……もし魔竜の炎が直撃し、反応が返せない程に負傷していたのならば。魔力が回復している今、二人を助けられるのは自分だけという理屈となる。
「ここは、私がっ──」
魔竜へと突撃する足を止め、振り返って。返事のないエルザとファニーの安否を直接確認するため、駆け抜けた道を引き返そうとするベルローゼだったが。
「戻るなっ!」
「は? な、何故ですのっ!……今、私が戻らなければ、二人はっ──」
並走していたカムロギが、炎に飲まれた仲間の元へと引き返そうとするベルローゼを制止する声を発する。
まだ引き返す前に、意図を先読みされ制止されたベルローゼは。エルザとファニーの二人を助けたい一心で、感情的になり反論する。
カムロギは、アズリアとは生命を救われ、剣を交えた関係ではあったものの。彼女と同行していた連中とは直接の交流はなく。当然、エルザやファニーの事も知らない。
そして彼が魔竜に剣を向ける理由は、仲間である盗賊団の六人を魔竜に「喰われた」からだ。
「落ち着いてよく聞け」
だがカムロギは、あくまで冷静な態度で。
「今、戻れば。今度はお前も含めて三人が炎の餌食だ。それよりも、俺たちがするべきは──」
しかしカムロギが、攻撃を放棄し引き返そうとしたベルローゼを制したのは。自分の目的を優先し、エルザやファニーの生命を軽視したからではない。
今、魔竜が健在のまま、ベルローゼが二人を救出したところで。防御魔法も治癒魔法も、使用するには術者の魔力の限界というものがある。攻撃を仕掛ける直前まで、魔力が底を尽きていたのなら尚更だ。
手に握っていた白の魔剣「白雨」の鋭い切先を、攻撃目標であった魔竜へと向けて。
「あの諸悪の根源をさっさと始末する事じゃないのか?」
カムロギの言葉に、何かを閃いたかのよいに目を大きく見開いたベルローゼは。
一度だけ、自分らの後方で激しく燃えていた漆黒の炎を見てから後。頭に残した未練を振り払うように首を左右に振って、魔竜へと視線を戻し。
「……そうですわね」
再び、純白の魔剣を握り締めて、地面を大きく蹴り、魔竜への突撃を再開する。
ベルローゼは決して、炎に焼かれているかもしれない二人を見捨てたわけではない。
「悔しいですが、お前の言う通りですわ。私が今、やるべき事は……あの化け物を私の剣で討ち滅ぼす事」
貴族階級であるベルローゼが、カムロギの言葉によって思い出したのは「貴族の義務と矜持」という心得。
貴族であるからには、誰よりも気高く、勇敢に障害に対峙し、力を以って排除せねばならないという心構えだ。
これでもベルローゼは、帝国では皇帝に次ぐ権力者の地位を持つ人物だ。当然ながら、貴族の心得もまた、色濃く継承していた。その義務と矜持を改めて認識した彼女は。
二人を救うよりも優先すべきは、さらなる被害を広げないため、諸悪の根源である目の前の魔竜を倒すべきだ、と判断したのだ。
今なお二人を焼き続ける漆黒の炎も、魔力の供給源である魔竜を素早く討ち果たす事が出来れば、助かる可能性も大きくなるし。
もしくは、ベルローゼがまだ知らないだけで。この国の軍勢の中には、治癒魔法が使える者が存在している可能性だってある。
「それに……もしかすれば」
ふと、突撃中のベルローゼの頭に過ぎったのは。今、置かれている現状と似たような状況で起きた過去の出来事。
それは、アズリアと一〇年以上ぶりの再会を果たした砂漠の国にて。
人間に敵対する魔物の大軍を率いて、西の果てから魔族の大侵攻が発生した時だった。
央都アマルナでの決戦で、大量の魔物を率いた強大な実力を持った蠍魔族のコピオスとベルローゼは対決するも。まるで相手にならず、魔族の巨大な斧の一撃で地面に倒れてしまう。
絶体絶命の窮地に倒れていた彼女の前に立ち塞がり、見事に魔族を倒してしまったのが。
因縁ある赤髪褐色の女戦士、アズリアだった。
魔竜に苦戦し、再び地面に倒れるような事があったとして。もしかしたら、再びアズリアが救援に現れてくれるのではないか。
不意に思い出された記憶が、もう一度再現されることを期待して、彼女の口から意図せず溢れた呟きだったが。
「おい、今……何か、言ったか?」
耳敏いカムロギは、ベルローゼの小声すら薄っすらと拾ってしまう。
この国の人間であるカムロギが、小声の内容を知ったところで、到底理解など出来ないのだが。
それでも言葉を聞かれたのと、自分の心の内側を見透かされたのと同じ意味に捉えてしまったベルローゼは。
「な、ななっ……何でもありませんわっ⁉︎」
顔を真っ赤にしながらカムロギから顔を背け、とっとと会話を終わらせようとする。
これ以上は、自分の感情を知られないように。




