308話 一ノ首、報復の黒炎を放つ
巻き起こった烈風の檻から解放された魔竜は、杖が使い物とならなくなり唖然とするファニーを睨んだ。
「あ、あの化け物、こっちを見てやがるっ……おい、急いで逃げるぜファニー!」
漆黒の炎に全身を包まれていた魔竜の向ける視線に気が付いたエルザは、視線の対象となっていた小さな魔術師へと退避するように声を掛けるも。
モリサカに片目を潰された憎悪と怒りを孕んだ魔竜の視線と、不覚にも目を合わせてしまったファニーはというと。
「……ひっ⁉︎」
自分の意思で、ではなく。魔法の杖の破壊によって不意に魔法が解除されてしまい、驚いていたの一瞬の心の隙間を突かれ。
恐怖で小さな悲鳴を上げ、膝が震えて足が竦み、まともに動くことが出来なくなってしまう。
「お、おい、どうしたファニーっ! 早く逃げないと、炎が来るじゃねえか!」
だが、ファニーの身体と精神の異変に気が付いていないエルザは。一向に彼女がその場から動こうとしない事に焦り。語気を強め、ファニーに退避を警告するが。
「ご……ごめん、なさいエルザっ……あ、足が、う、動かな、いっ……」
当然、ファニーの両目も意識も健在だ。今まさに憎悪の視線を向ける魔竜を、理解していないわけがない。
だが……予想される攻撃を避けるために今立っている場から移動しようとしても、足の自由がまるで利かないのだ。
焦るファニーだったが。視線を受け恐慌に震える足は、無理に動かそうとすればする程、膝の震えが強くなってしまい。
ついには、先端の魔力制御のなめの宝石が破壊された魔法の杖を支えにしなければ、立っていられない程となってしまう。
ファニーの異変にエルザがようやく気付いたのは、その場からの退避を終えた直後だった。
「ち、いっ! 何やってんだよっ……」
エルザが吐き捨てるように口にした悪態は、足が震えて逃げられなかった仲間に……ではなく。
何故に彼女の手を掴んで引っ張って逃げなかったのか、という自身の後悔から。
魔法の杖を支えに、その場に立ち尽くしていたファニーを救援に、とエルザは仲間の元へと駆け出すが。
──先に動いたのは、魔竜。
『まずは貴様らだ……跡形もなく、焼き尽くしてやろう』
そう言葉を吐くと同時に。魔竜が全身に纏うように燃え盛る漆黒の炎から、無数の微小な炎の塊が生まれる。
その数、ざっと五〇。ファニー一人を狙うには、過剰とも思える程の炎の数量だったが。
『──ふん』
鼻を鳴らすような仕草とともに、五〇を超える数の炎の粒が一斉にファニーへと向け放たれる。微塵の容赦もなく。
恐怖で足が震え、逃げる事が出来ないファニーの視界を覆うように四方から迫る黒い炎に。一瞬、ファニーの頭に浮かんだのは「自分は死ぬ」という予感。
だが、彼女の思考を遮ったのは、救援に来た仲間の声だった。
「させるかよおっっ! うらああぁっ!」
「え、エルザっ⁉︎」
エルザはなんと、自分が握っていた両斧槍を力任せに。迫っていた無数の炎に目掛けて、前方へと投擲したのだ。
投げつけられた両斧槍と漆黒の炎の粒一つとが空中で衝突し。ファニーとエルザ、二人の眼前で爆発を起こす。
間近で起きた爆発から顔に吹き付ける熱風に、耳を叩く強烈な爆音。
「う、お……っっっ⁉︎」
「う、嘘っ? あんな小さいのに、この爆発の威力っ……」
二人が驚くのも無理はない。今、目の前で巻き起こった爆発の規模は凄まじく。
見れば、小さな炎の粒に衝突した筈の両斧槍は、爆発の威力で竿が二つに折れ、無残な姿で地面に転がっていた。
ベルローゼやカムロギが所持している魔剣などではないが、それでも質の良い鉄を使用していたにもかかわらず、だ。
エルザの上質の両斧槍を一撃で破壊するなど、小さな炎の粒が秘めた威力だとは到底思えなかった。
あまりの威力をまざまざと見せつけられた事で、救援に来たエルザだったが。
ファニーの手首を掴んだ状態のまま、呆然と地面に転がっていた自分の愛用の武器だったものから視線を外せなかった。
その場に立ち尽くす二人に、一切の情け容赦なく残りの炎の粒が降り注いだ。
「こ、このっ、風の壁っ!」︎
炎の攻撃範囲から逃がれる事が不可能だ、と判断したファニーは。咄嗟に詠唱を省略した防御魔法を発動させ、何とかこの場から逃げる時間を少しでも稼ごうとするが。
思い出して欲しい。
魔竜が最初に己の血から召喚した漆黒の炎ですら、ファニーの発動した防御魔法「風塵の防護」を簡単に突破してのけたのだ。
その魔法よりも下位の「風の壁」で、時間が稼げる道理もなく。
「……う、嘘っ⁉」
発動し、ファニーらの前方に展開した上空へと吹き上げる風の障壁を。迫る無数の炎の粒は、まるで障壁をものともせず、一撃も防ぐことなく「風の壁」は破壊され。
障壁を突破した炎の粒が二人の身体に降り注ぐ。
「きゃああああああああああ⁉︎」
「が……はっっっっっっ‼︎」
炎の粒が直撃した箇所には強烈な衝撃と、身体のあちこちが焼かれる痛み。衝撃で吹き飛ばされ、地面へと背中と後頭部を強く打ち付けれ。
二人に命中せずに、地面へと衝突した炎の粒が大爆発を起こし。倒れた身体をさらに爆炎と熱風が追撃する。
頭への強い衝撃と全身の火傷で、ファニーとエルザの感覚と意識はほとんど麻痺し。意識を失いそうになる中。
「え……エル、ザ……ど、こ?」
ファニーは地面に倒れながらも、仲間であるエルザの位置を確認しようと。痛みに呻く声がする方向へと、懸命に震える手を伸ばす。
「お、オレは……こ、こだ、ぜ……っ……」
そしてエルザもまた、仲間の呼び掛けに反応したからか。ファニーの声がした方向へと、火傷で激しく痛む身体を無理やり動かして腕を伸ばしていった。
互いに伸ばした指先に互いが触れ、仲間の位置が確認出来た途端に。ファニーとエルザの二人は同時に意識を失い。
漆黒の炎が倒れた二人を覆い尽くしていく。
『さて……次は』
炎に包まれたファニーとエルザを、満足げな様子の表情で眺めていた魔竜だったが。
再び表情を怒りで歪めた途端に、二人を見ていた視線を。上空で待機していたモリサカへと向けると。
同じように己の全身に纏った漆黒の炎から、五〇を超える数の炎の粒を生み出していき。
『くふふ……貴様は喰らうのに良い具合に焼けるよう、加減して炙ってやるぞ』
そう言葉を発した直後、モリサカを対象に定めた無数の炎が魔竜から離れ。一斉に上空へと放たれていった。
「あ、当たって……たまるかっ!」
直撃を受ければどうなるか、それはエルザとファニーの二人の状態を見れば一目瞭然だ。
恐るべき漆黒の炎の威力から逃がれるため、退避するのは恥ずべき事ではない。モリサカは、背中から生やした竜属の翼で魔竜から距離を空けようとする。
高速で空を飛んで、逃げようと試みる──が。




