305話 白薔薇姫、再び戦意を蘇らせる
「……ですが」
しかし、一度はアズリアに選ばれなかった事に落胆し、悔しさで俯いてしまった顔を再び上げ。
自らが斬り裂いた剣の傷から流れ出るドス黒い血から漆黒の炎を召喚し、攻撃の準備を着々と整えていた魔竜を睨み付けるベルローゼ。
「だから、はいそうですかと諦めるわけには参りませんわっ! だって、私はっ──」
アズリアを追ってこの国まで来たのだから、と続けようとした言葉を止めたのは。
先程、ベルローゼを心配のあまり駆け寄ってきた女中のセプティナに、何かを握らされたからだ。
「……お嬢様、これを」
「せ、セプティナ、これは?」
驚いて指を開いたベルローゼの手の中にあったのは、淡い青色の光を放つ透明な石であった。
高位の貴族であり、高価な魔導具を飽きる程見た記憶のあるベルローゼは、当然この石の正体を一目で理解する。
「もしかしてこれは、魔力結晶……」
「はい、その通りですお嬢様」
魔力結晶とは、水晶などの透明度の高い鉱石に魔術師が魔力を注入して作られ。
鉱石を砕くことで、中に封じられた魔力を取り込み、消耗した魔力を回復することが出来る使い捨ての魔導具だ。
かつて、アズリアがカムロギら盗賊団全員が流行り病に冒されたのを治療した際に。
さすがにカムロギを含む七人の病を回復するには、アズリア一人分の魔力では足りず。治療中のアズリアが魔力枯渇を起こしかけた時にも。
カムロギを「父親」と慕っていた三人の少女らがアズリアに差し出してきたのが、今ベルローゼが握っているのと同じ、魔力結晶だった。
彼女らの機転のお陰で、アズリアは不足した魔力を補充する事が出来。何とか七人もの流行り病を治癒する事に成功したのだが。
まさか同じ魔導具をセプティナが持っていた事を、ベルローゼは全く知らされていなかっただけに。
「し、しかし……私、お前がそんな魔導具を持っていた事など、知りもしませんでしたわっ……」
「これまでお嬢様が、魔力が尽きるという状況にならなかったので言ってませんでしたが。もしも……の時のため、一個だけ、常に取り出せる場所で確保しておりました」
「さ、さすがは、セプティナ……」
今まさに、魔力の枯渇を起こしかけているベルローゼにとって。魔力を回復する事が出来る魔力結晶は、喉から手が出る程に欲する品物であった。
だから今は何故、セプティナが魔力結晶を所持していたかを追及するよりも。素直にセプティナの機転と幸運を神々に祈るベルローゼ。
「それに……この幸運を感謝しますわ、神々よ」
セプティナが魔力結晶を差し出した、という事実は。魔力が回復し、まだベルローゼは戦力でいられるという事と同義でもある。
ならば。
まだ力不足に悔いる時ではない。
一度ならず二度も折れたベルローゼの心と両の眼に、再び活力の炎が燃え上がる。
「これでまだ、私は戦えますわ……っ」
だが、戦意を取り戻したベルローゼが。自分の武器を握ろうと腰に手を伸ばすが。挿さっている筈の腰の鞘には、エーデワルト公爵家当主の証たる純白の魔剣が……ない。
「え? え、え……わ、私の剣はっ⁉︎」
そこで彼女は、魔力が尽きてからの朦朧とした記憶を辿っていく。
一瞬だけ間を置き、思い出されるのは。最初に心が折れた瞬間、自ら剣を手放してしまった手の感触。
つまり魔剣は、魔竜の目の前に落としてしまったという事実に。
「そ、そうですわ、あの時!」
魔剣の行方を思い出したベルローゼは、魔竜のいる方向、その地面を隈なく見渡していく。
純白の魔剣が転がっていないか、を。
しかし、何処へ視線を向けてみても純白の魔剣を見つけることは出来ず。ただ魔竜から流れ出た大量の血から湧き上がる漆黒の炎が、燃え盛る様しかベルローゼの眼には映らなかった。
慌て、焦り。
ベルローゼは周囲を今一度見渡す。
彼女の腰にはもう一本、稀少な金属である聖銀製の刺突剣があるが。あの魔竜相手では、聖銀で出来た武器では心許ない。
「わ、私の剣は一体どこですの──」
「へっ、お探しの剣とやらはこれかい、お嬢様?」
いくら目を凝らしても魔剣の発見には至らず、顔に焦りの感情を浮かべたベルローゼ……その横から口を挟んだのは。
魔竜の足元に落とした魔剣を抱えていたエルザとファニーの二人だった。
魔力枯渇で動けなくなったベルローゼを救援に飛び出したセプティナを追って、二人もまた魔竜の前へと向かい。
カムロギが、モリサカが参戦し。後退する機会を貰った際に、地面に転がっていた魔剣を拾い、回収していたのだ。
「あ……貴女たち……」
「せめて、このくらいは役に立ちたい。エルザも同じ気持ち」
「へっ、ファニーの言う通りさ。悔しいけど……あんな化け物、オレたちじゃ到底手が出ないから。せめて後方支援くらいは、な」
二人が回収していてくれた純白の魔剣を、利き手である左で受け取り。
右手で、横に並ぶセプティナから手渡された魔力結晶を握り込んだベルローゼは。パキン!と力を込めて石を砕き割り、結晶の内部に溜めていた魔力を吸収し、魔力を回復していく。
「──ゔ、っっっ⁉︎」
右手から流れ込む急激な魔力の奔流に、頭の痛みと目眩、そして軽い嘔吐感を覚え。思わず呻き声を漏らしたベルローゼ。
魔力結晶を消費する際、どうしても避けられないのが。強制的に魔力が体内に補填される事で、「魔力酔い」と呼ばれる様々な悪影響が出るという副作用だ。
無理もない。帝国では皇帝に次ぐ権力者である筈の彼女が、魔力が尽きるまで酷使される機会などあろうはずがなく。従って、自然回復以外に魔力を補充する機会も初めての体験となる。
「……セプティナ。それに、二人とも」
しかし、ベルローゼは歯を噛み締め。自分に襲い掛かる「魔力酔い」を耐え凌ぎ、悪影響を強引に振り払う。
横に控えていた三人の顔を順番に見ながら。
「貴女たちの行為を、私、無駄にはしませんわ……っっ」
もう一度、体内に満ちた魔力を確認すると。
魔力結晶を消費する前は、高位の魔法なら一回程度しか発動出来そうになかった魔力量が。
さすがに魔竜との戦闘前にまで回復、とはいかないまでも。二種同時に発動さえしなければ、一〇回程は使用出来るまでに魔力が戻っていた。
魔力が枯渇した状態から脱し、全身を襲っていた不快な負荷から解放されたからか。後退してきた時とは明らかに違う、晴れやかな表情を浮かべるベルローゼへ。
「おい。まだ、戦えるか?」
三の門でアズリアと敵対し、剣を交えていたカムロギもまた。ベルローゼらが後退した位置にまで退がり、挑発じみた言葉を掛けてきたのだ。
救出された直後であれば、魔力の枯渇とアズリアに認められなかった事で心が折れていたベルローゼは。おそらく、首を左右に振り。否、とカムロギに返答していただろうが。
今の彼女は、状況が違うのだ。




