302話 アズリア、単独行動を選んだ理由
同じくユーノの頭を撫でていたヘイゼルが、一度止まってしまった話の流れを元へ戻そうとする。
「で……だ、もう一度聞くよ。この窮地を放り出してまで、あんたがこの場を離れなきゃいけない理由ってのは、一体何なんだい?」
「……むぅ」
見れば、ヘイゼルだけではなく。頭を撫でられているユーノすら、こちらを見上げてアタシの言葉を待っていたのだ。
仕方がない。アタシは意を決して、「九天の雷神」との意思の疎通であらためて認識してしまったその理由を話す。
今、立っている足元を指差しながら。
「この場にゃ、アレとは違う。もう一体の魔竜がどっかに潜んでる。多分……いや、ほぼ間違いなく、ねぇ」
「……は?」「ええっ?」
アタシの理由を聞いた二人は、当然ながら驚きの声を漏らす。もう一体の魔竜がいる、という事実にではなく。アタシの言葉そのものに対する疑念、という意味での驚きの声を。
最初は、ただの違和感でしかなかったが。
あの「一ノ首」と名乗る三本目の魔竜との対決の最中、アタシの胸に湧いた違和感は徐々に大きくなっていった。
そして「九天の雷神」との意識が交わった時に、言葉にした事で。最早、眼前の敵とは全く違う位置から感じ取った邪悪な気配を、アタシは頭から拭い去る事が出来なくなっていた。
もし、ただの違和感であり、アタシが間違えていたのならば。戦況を支えてくれた全員に、後でどんな謝罪でもするつもりだ……しかし。
もう一体の魔竜が戦場に姿を現し、合流してしまえば。数的優位が逆転し、途端に劣勢に傾くのは間違いない。
そんな最悪の事態だけは、何としてでも避けなくてはならない。
「う、嘘……だろ、で、でもっ!」
だが、ヘイゼルはいまだアタシの言葉を頑なに否定し、頭を撫でていたユーノの顔を覗き込む。
ユーノもまた、ヘイゼルが何を言いたいのかを目配せによって理解したようで。
「そ、そうだよっ、ボク……そんなけはい、ぜんぜんかんじてないのにっ?」
「ユーノが察知してない気配を、あんただけが感じるってのは、少しばかり変な話じゃないかい?」
そう、ヘイゼルが言いたい主張はこうだ。
目や耳などの感覚が鋭く、敵を察知する能力に長けた獣人族の中でも。群を抜いて優れた実力者のユーノが、接近する気配すら察知出来てもいない敵を。アタシが何故、知り得る事が出来るのか?という話だが。
実は、ヘイゼルの示す根拠に対しても。アタシは「九天の雷神」の意識との対話で、何故にユーノが察知出来なかったかの理由を既に思い付いていた。
「ユーノ、少しばかり……暴れるんじゃないよ?」
「ふえっ?」
アタシはそう前置きをすると、両手で突然、ユーノの両の眼を覆って視界を塞ぐ。
次いで、まだ両手が空いていたヘイゼルに。
「ヘイゼル、アンタはユーノの耳を押さえなッ」
「な、何がしたいのかわからんけど……」
ユーノの耳を塞いで貰うと。
これでユーノは視界と音を遮られ、周囲の状況を判断するには、肌に触れる空気と気配しかない。
前もって「暴れるな」と言い含めていたので、無理やり目と耳を塞いでいたアタシらの手が振り払われる、という事にはならなかったが。
「ちょ、ちょっとおねえちゃんっ、まっくらだし……これじゃなにもきこえないよおぅ……」
意外にもユーノは、忙しなく不安そうに首をキョロキョロと動かし、歩く方向が定まらない様子を見せる。
目の前では、魔竜とカムロギやお嬢らが戦闘を繰り広げている真っ最中だというのに。
「こ……こりゃ、どういう事だ?」
その結果に驚くヘイゼル。
別にユーノには「魔竜のいる方向に歩け」と指示を出していたわけではないが。
あくまで今、塞いだのは目と耳だけ。目視出来る距離にいる魔竜の強大な魔力と気配くらい、ユーノが察知するのは簡単だろうと思っていただけに。
もし、魔竜の気配が感じ取れない何かしらの理由があっても。魔竜の至近距離で戦っている、カムロギやお嬢の気配を頼りにすれば良い筈なのに。
何故ユーノは目と耳を塞いだ程度で、何の気配も察知出来なかったような挙動をしてみせたのか。
だが今回の結果は、アタシにとっては想定した通りの結果だっただけに。
「やっぱり……ねぇ」
「お、おいアズリア、自分だけ理解してないで、ちゃんと分かるよう説明しろよっ!」
うんうん、と納得していたアタシにずい、と鼻先が触れそうになる勢いで詰め寄り。何故、ユーノが魔竜の位置を把握出来なくなっていたのかを追及してくる。
「簡単に言や……魔竜の影響が強すぎて、あまりに鋭ずぎるユーノの感覚が上手く働かなくなってんだよ」
「ど、どういう事だそりゃ……鋭かったら、強い気配なんて簡単に察知出来るんじゃねえのか?」
確かに、説明が難しい。ヘイゼルの主張もまた当然であり、どうしてユーノの感覚が上手く機能しなかったのか。この感覚をヘイゼルに理解してもらうには。
何かしらの喩え話に置き換えたほうが、理解も得やすいと考えたアタシは。
「戦場じゃ、敵味方それぞれが流した血の匂いがあまりに酷すぎて、そりゃ他の匂いなんて感じやしなかった……て言や、分かるかねぇ?」
かつて長らく傭兵隊に入り、戦場で暴れ回っていた時の経験談に擬えて。ユーノが陥った感覚の説明を、ヘイゼルへと話したのだが。
「まあ……何となく、雰囲気は分かるような……」
アタシの喩え話が理解出来なかったのか、それとも海賊のヘイゼルには陸上の戦場の想像が出来ないのか。
ヘイゼルの表情はまだ釈然とせず、疑問が残っているような顔をしていた。
「と、ともかくだッ! 今のユーノは地面の下に潜んでる魔竜を察知出来る状態じゃない……ッてコトだよッ」
しかし、今は少しでも時間が惜しい。アタシは早々にユーノがもう一体の魔竜の気配を察知出来なかった理由の説明を切り上げ、二人の元、いやこの戦場を離れようとする。
「だから……アンタ一人で、もう一体の魔竜を阻止する、って言うのかい?」
「ああ、アンタらなら……この場を任せても大丈夫そうだから、ねぇ」
さらなる魔竜の襲来が杞憂に終われば、急いでユーノらの救援に戻れば良い。
それに……先程までの戦況を後方から見ていたアタシは、ユーノにヘイゼル、そして神聖魔法の使い手であるお嬢までもがこの場にはいる。
それにまさか……三の門の突破のため、死闘を繰り広げた強敵・カムロギまでもが加勢してくれるのなら。アタシがいなくても、「一ノ首」を名乗る魔竜を倒す事は出来る……と確信に近い想定をしていた。
「それに……割く戦力は一人でも少ないほうがイイからねぇ。だからこそ、ここはアタシ一人で行くんだよ」
それに……アタシには確信めいたモノがある。
今現在、発動の最中である「九天の雷神」の魔術文字が発揮している力、それを全開出来れば。前の二本の首を討たれた事で、能力を高めた魔竜とも。単身で互角以上の勝負が可能だという事を。
だが、全力を発揮するためには一つの懸念材料があった……それは。
「この魔術文字を使ってるアタシの周りはねぇ、危険なんだよ」
そう言ってアタシは、ヘイゼルとユーノの目の前で二本の指を弾いて、身体に帯びていた雷撃で火花を作ってみせた。
「うおっっ!」「ひゃあああ?」
今ですら自分の周囲には、小型とはいえ無数の雷光を放出し続けているのだから。
そして、この戦場はあまりに友軍が多すぎる。
お嬢と女中、三人の護衛に。
ナルザネやモリサカ、そして多数の武侠ら。
そして、アタシの護衛対象でもある二人の姉妹。
もし、魔術文字の力を解放しようものなら。雷光はさらに大きさと威力を増し、周囲を巻き込んでしまう可能性が高い。
「アタシは、皆んなを巻き込んで、黒焦げにゃしたくはない。黒焦げにするのは魔竜だけで充分さね」
アタシが、そう二人に言い放ち。
この場を離れようとした、その時だった。




