294話 白薔薇姫、ただ一人魔竜と対峙する
忠実にして有能な白薔薇公爵家の女中・セプティナの正体。
それは、同じく「帝国の三薔薇」と称されながら。今は重い病に臥している青薔薇公爵クオーテの一二人の養女、「十二姉妹」と呼ばれるその内の一人だった。
公爵家の監視、という目的で。帝国がホルハイム戦役を仕掛けるよりもおよそ一年ほど前から、白薔薇家に潜入していたセプティナだったが。
身勝手な旅に同行までしたのが、彼女の運の尽きだった。監視対象である公爵家当主ベルローゼに、今ではすっかり心を許してしまっていたのだから。
「ぐ、っ……わ、私も……っっ……」
そのお嬢様が立ち上がったのだから、役割を果たすために自分もまた立ち上がらなければ……と両腕両脚に力を込めようとしたが。背中に受けた火傷が激しく痛み、力が思うように入らない。
「う、動けっ、私の手、私の足……っ?」
それでも強引に手足を動かそうと焦るセプティナに声を掛けたのは、救出を試みていたエルザではなく。
魔竜を睨んでいた筈の、ベルローゼだった。
「無理に立ち上がる必要はありませんわ、セプティナ。ここは大人しく後ろに退がっておきなさいな……」
「え? お……お嬢様っ?」
つい先程まで魔竜と向き合っていたベルローゼは、その場で屈み込んで。倒れた状態のセプティナの頭に手を置き。
これまでの一年間、まるで見た記憶のない、それ程までに穏やかな笑みを浮かべ。無理に立ち上がろうとするセプティナを制すると。
「私に任せておけ、と言っているのです」
「は……はい、っ」
優しい笑顔だけではなく、彼女の両の眼の内側に秘めた決意の強さを感じ取ったセプティナは。
それ以上に何も言葉を返せず、強引に立ち上がるのを断念し、忠義を誓った彼女の言葉に従う。
「よろしいですわ。それでは──」
セプティナが大人しくなった事に満足げな様子のベルローゼは。
倒れていたベルローゼが意識を取り戻し、再び立ち上って戦線に復帰したことに唖然としていたエルザを指差し。普段と変わらずの命令口調で指示を出していく。
「エルザ、とっととセプティナを安全な場所へ、急ぎなさいな!」
「あ……わ、わかったぜっ」
状況は限りなく劣勢だった。
人壁を自らの意思で買って出てくれたミナカタ率いる武侠は、今や全員が倒れ。防御に長けたカサンドラも深傷を負い、治癒魔法無しで再び立ち上がるのは不可能に近い。
ベルローゼの神聖魔法も、ファニーの風属性の防御魔法も。魔竜の黒い炎を防ぐには威力が不足しており。
最早、魔竜が生み出す漆黒の炎を防ぐ手段は。残るベルローゼらには皆無かと思われたからだ。
それでも、ベルローゼの純白の魔剣を握り。唯一人で魔竜と真っ向から対峙する姿に。
「へ、へへ……悔しいけど、お嬢サマの強さはこのエルザ様がこの目で見て、すっかり認めてるんだからな」
「うん。ベルローゼなら、何とかしてくれる……かもしれない」
エルザとファニーは、以前同じように不意に遭遇した強敵相手に。華麗な立ち回りを見せ、勝利してみせたベルローゼの実力に一握りの希望を見出していた。
一方で。
圧倒的劣勢ながら、まだ諦める気配を見せないベルローゼや、後方に控えた獣人族の少女二人を見て。
明らかに不機嫌な態度を露わにするのは、魔竜の一つの首である一ノ首。
『まだ立ち上がるか、人間どもよ……存外に執拗な……っ!』
憎々しげに吐き出した言葉とともに、既に幾度目かとなる魔竜自らが傷口から流した血から生み出される漆黒の炎。
先程までは、魔竜の周囲に召喚されてからベルローゼらに浴びせるまで、多少なりの時間的猶予があったのだ──が。
『いい加減に燃え尽きろ、人間があっっ‼︎』
どうやら、一度炎が直撃したにもかかわらず再びしぶとく立ち上がり、諦めずに挑んでくるベルローゼに苛立ちを隠せなかったのか。
怒りの感情を露わにした魔竜は、自らの血から生み出した無数の漆黒の炎を。即座に、ベルローゼに集中して放ってきたのだ。
「敵を侮ると手酷い目に遭う……先程は、良い教訓でしたわ」
だが、攻撃対象とされたベルローゼは。一〇、二〇を超える数の漆黒の炎の塊が迫ってきているのに、全く焦る様子も慌てる気配も見せず。
神聖魔法を発動させるための詠唱を開始する。
今、ベルローゼが準備を始めた魔法は、漆黒の炎の威力に押し負け、障壁を破壊されたばかりの「神聖障壁」ではなく。
発動に詠唱を必要とし、最初に魔竜の吐いた炎を完璧に防ぎ切った防御魔法だ。
私の高潔なる信仰心よ
堅き盾となりて
かの者を救い給たまえ
詠唱を終えたベルローゼは、今度は握る長剣を鞘に戻すことなく。空いていた片手のみで魔法を発動させ。
「──絶対障壁!」
発動させた魔力の障壁を、片手のみで横に大きく広げて展開していくと。
ベルローゼの前面に張り巡らせた堅固な障壁は、魔竜の漆黒の炎を連続して浴びてなお、突破される気配を微塵も見せはしなかった。
『何ぃっ! 先程は、あれほど簡単に砕け散った……それなのに』
「先程の障壁と一緒だ、と思われては心外ですわ! をーっほっほっほ!」
額から血を流し、炎弾が直撃した腹には深傷を負っている筈だったが。自分が発動した防御魔法を、魔竜の炎が突破出来ない様子を目の当たりにし。すっかり気分が良くなったのか、調子に乗り、高笑いを始めるベルローゼ。
と、いうのも。
「この魔法は、ただの防御魔法ではございません! 魔術神の恩恵と加護を受けた私のみが扱える、究極の防御魔法だからですわっっ!」
ベルローゼの説明は、半分ほど真実である。
今、彼女の前面に展開した「絶対障壁」は、誰でも……というと語弊こそあるが。神聖魔法の使い手ならば習得可能な「神聖障壁」とは違い。
魔術神・エスカリボルズの加護を授かった神聖魔法の使い手しか、習得することの出来ない特殊な魔法なのだ。
……果たして、ベルローゼ一人しか使用者がいないかどうかは別として、だが。
ちなみに。
両腕で、ではなく片手で済ませたのは。今回の魔竜の攻撃対象が、この場にいる全員ではなく。ベルローゼ一人に絞られていたからだ。それでも敢えて横に障壁を展開したのは、防御し損ねた炎弾が背後の仲間に直撃する可能性を少しでも減らすためだ。
これで魔竜の炎は完全に防御した、とその場にいた全員は考えていた。
『ぐ……今の威力では……あの壁は破れぬ。口惜しいが……』
漆黒の炎の使い手であった魔竜ですら、自分の炎がベルローゼの展開した障壁を突破するには威力が不足している、と悟り。
自らの血から漆黒の炎の塊を生み出すのを、一旦止めた──次の、瞬間だった。
「「な、っ⁉︎」」
『な、んだと……?』
炎を防御するために展開した「絶対障壁」よりも前に。
純白の魔剣を構えたベルローゼが、自らの足で踏み出していったのだから。




