289話 アズリア、最悪の懸念を語る
意識だけの存在である九天の雷神に、果たして見えているかどうかは知る由もないが。
アタシの足元、地面を指差しながら。
「(あまりに魔竜の邪悪な気配が強すぎて、すっかり麻痺しちまってるけど。ずっと地面の下に感じるんだよ……妙な雰囲気を、ねぇ)」
そう、まさに傭兵時代。戦場では常に最前線に立ち、何度も危険に晒され、鍛えられてきたアタシの勘が。
鋭い察知能力を持つユーノでも、まるで気にも留めていなかった謎の気配を感じていたのだ。魔竜との戦闘が始まってから、ずっと。
『まさか──あの竜属くずれが、増援を呼ぶと?』
「(だから。もしかしたら……だよ)」
獣人族は、人間よりも鋭い目や耳、嗅覚などで接近する敵の存在をいち早く察知する。
故郷である魔王領で長らく戦争を続け、察知能力を磨いてきたユーノなどは。村一つ程の範囲であれば、敵の数や位置などもほぼ正確に割り出す事が可能だ。
それ程に察知能力に優れたユーノや、お嬢の護衛として同行していたカサンドラら獣人族の三人組のうち誰か一人でも。地中に潜む謎の気配に気付いてくれれば、アタシもこうして口を噤む必要はなかったのだが。
魔竜が姿を見せてからアタシが感じている妙な気配を、ユーノらが察知出来なかった理由……それは多分。
『あの竜属くずれから止めどなく漏れ出す、瘴気にも似た邪悪な魔力……か』
「(ああ、それがユーノの邪魔をしてんだろうねぇ、おそらくは)」
地面を大きく揺らして姿を現した魔竜だったが。その身体から発せられる魔力はあまりに濃密で、しかも邪悪に満ちていたためか。
魔竜の姿を見た、武侠らの騎乗していた馬が冷静さを失い恐慌を起こした事に止まらず。
ユーノの優れた察知能力まで鈍らせてしまっていたのだ。
『そこまで語ったのだ、主人よ。地中に潜む何者かの正体……既に推測が出来ているのだろう?』
「(──ああ)」
九天の雷神の問いに対し、頭の中ながらアタシは躊躇いながらも肯定を返す。
魔竜の血から生み出される眷属たる蛇人間や、二戦目の魔竜が作り上げた岩石の腕など。戦闘の最中に、増援と妨害を目的に地中から召喚する可能性も考えられたが。
アタシが今、辿り着いていた「答え」は。そのどれとも違う発想だった。
アタシはこれまでに二度、魔竜の首と戦ってきた。
この国の伝承では、魔竜──即ち「八頭魔竜」は一つの胴体に八つの頭を持ち、八本の首を生やした姿だと聞いている。だからこそアタシは、八本のうちの二つの頭と戦い、勝利したわけだが。
一度の戦闘において、アタシの前に姿を見せたのは首一本であり。同時に複数の首が出現する事はなかった。
だから勝手に思い込んでいたのだ。
出現する魔竜の首は、一度に一本だけだと。
「(八本もある魔竜の首が、同時に二ついっぺんに現れないなんて、誰が決めたんだい?)」
つまりアタシは。今、カムロギが深傷を負わせ睨み合いを続けている一ノ首を名乗る魔竜の首の他にも。
さらにもう一体、魔竜の首が邪悪な気配を隠しながら地中へと潜み。最適な登場の時を今か今かと待ち構えている、と考えていたのだ。
「……なんて、言えるわきゃないだろ」
頭の中で、ではなく。言葉を口に出したアタシは思わず笑ってしまっていた。
『そう言いながら、笑いを浮かべるのはどういう理由だ? 我が主人よ』
「(……うん?)」
魔竜との戦闘が幕を開けた時点から、何となく覚え、心のどこかで枷となっていた違和感の正体を。九天の雷神と頭の中での会話を果たせた事で、ようやくアタシ自身でも知り、吐き出すことが出来。
恐るべき魔竜がさらにもう一体、地中に潜んでいる結論とは裏腹に、心の枷が晴れたアタシの表情は。九天の雷神と言葉を交わす前の憂いの色がすっかり消え失せていたからだ。
確かに、アタシが頭に描いた懸念が真実となったならば、憂慮すべき事態を引き起こすのは間違いない。
それでもアタシが笑顔を浮かべたのは。手が届かない地中に潜む敵に懸念し、ただ怯えるよりも。いくら強敵とはいえ、剣が届く目の前に現れてくれたほうが気が楽なのと。
アタシが魔竜と戦う当初からの目的。アタシが八年も大陸を歩き回り、探し求めていた魔術文字の手掛かりを所持しているからに他ならない。ならば、一体より二体を相手に出来る機会は憂慮すべきではなく、寧ろ歓迎すべき絶好の機会なのだ。
『その憂慮が的中していれば、ただ強敵が増えるだけだというのに』
「(はッ……その時は頼りにしてるよ。アンタの力を、ね)」
二体目の魔竜が姿を見せた時。ようやくアタシは何の憂いもなく「九天の雷神」の魔術文字の真の力、「閃雷の乙女」を発動出来るだろう。
そう会話を交わした途端、今まで頭の中に響いていた九天の雷神の声が次第に遠く、小さくなっていき。
『ははははっ──……』
笑い声の余韻を響かせながらも、完全に魔術文字の意識がアタシの頭から消え失せていき。
こうして、三度目の九天の雷神の魔術文字の意識との会話は幕を閉じた。
◇
『──く。は……はぁァっはっははははあっ!』
必殺の刺突である「天瓊戈」を放ったカムロギ。魔竜が吐いた炎を一度ならず二度も神聖魔法で防御したお嬢。
そして、ユーノやヘイゼル、黒髪の女中にカサンドラら三人組といったこちらの戦力と一定の距離を空けながら。
睨み合いを続けていた魔竜が、突如として笑い声を上げ始めた。
「な、何だ? あの馬鹿デカい蛇……突然笑い出しやがってよおっ!」
「ふんっ! きっと私には何をやっても敵わない、と己の実力の無さを理解したのでしょう。おーっほっほっほほほ!」
両手で両斧槍を構えた猪人族の女戦士・エルザが、笑い声を上げる魔竜へと悪態を吐き始めると。
横に並んだお嬢がエルザの言葉に同意を示し。再び腰から魔剣「純白の薔薇」を抜くと、身体の前で数度空を斬りながら高笑いを始めていく。
「へっ……本当にそうだといいけど、な」
魔竜の笑い声にも負けじと高笑いするお嬢を、実に冷ややかな眼で見ていた元は海賊のヘイゼルは。
片手では単発銃を握りつつ、もう片手に握っていた単発銃を腰に仕舞い。懐に空いた手を入れ、何やら魔導具を取り出す仕草を見せ。
お嬢以外の全員が。突如として笑い出した魔竜の態度の変容に、警戒心を強めていくと。
長らく大声で笑っていた魔竜の笑い声が突如、ピタリと止まり。
『──は。見事だ人間。我、一ノ首は認めよう、貴様ら人間は、我の前に立ち、我と戦う資格のある者であるとな』
全員を舐め回すように睨み付ける真紅の瞳に、魔力の仕業だろうか……光が宿ると同時に。
『さあ、存分に喰らってやろう!』
「「……な、っっ⁉︎」」
これまでに三発。ユーノにお嬢、そしてカムロギの先程の秘剣での傷口。三箇所の傷から噴き出し、地面に流れ出ていた真っ黒い血が。
突如として、盛大に燃え上がったのだ。




