288話 アズリア、魔竜に抱いた違和感
頭の中に響く九天の雷神の言葉に、アタシは何も言い返せず黙ってしまう。
アタシは過去に一度。胸に刻んだ「九天の雷神」の魔術文字を屈服させ、従う事を認めさせた際に。
砂漠の国に住まう部族に滞在していた時に。偶然耳にした伝承に登場した、黒雲に乗ってメルーナ砂漠に雨と雷を降らす雷の女神の名前を勝手ながら名乗ることにした。
その名は「閃雷の乙女」。
無数の雷撃を自在に操り、まるで自分も空に奔る雷鳴が如き速度で動く事の出来る能力を、そうアタシは名付けたわけだ。
アタシは発動させた「閃雷の乙女」の力を以って、ユーノの実兄である魔王リュカオーンと互角に競り合い……何とか引き分けに持ち込んだのだったが。
発動の代償として、アタシの魔力はすっかり枯渇し、戦闘後に立つことも歩くことすら難しい状態となってしまった。
確かにアタシは、「九天の雷神」の魔術文字を発動こそしたものの。
消耗の激しい「閃雷の乙女」を発動する事を選択せずに、使う魔力を小出しにしながら。目の前の魔竜に挑んでいた事実を。
頭の中の声は問い掛けてきたのだ。
『魔王と互角に渡り合う力だ。あれを使えば、憎きに思っているあの娘に助けられる事もなければ、あの竜属に遅れを取る事もなかっただろうに』
もし……アタシが「閃雷の乙女」を発動した状態で、雷撃を放っていたならば。魔竜の吐いた「炎の吐息」だったとしても威力が拮抗することなく、雷撃で押し切る事が出来ただろう……とも。九天の雷神は暗に告げていたのだ。
勿論、一度はアタシに従う事を選んだ以上は。魔力を激しく消耗する事を避けている、というのは理解している筈だ。
問題は、何故に。一連の騒動の最後に控えた障害であろう魔竜を相手に、出し惜しみを考える必要があるのか……という事だ。
九天の雷神が抱いた疑問に、アタシは口にすることなく頭の中に思い描き、明確な心の声にしていく。
「(……アンタは。あの魔竜が本物だと、ホントに思うかい?)」
『ぬ? どういう……意味だ、我が主人よ』
アタシが伝えた回答に、驚きの反応を示す九天の雷神。
いや……どちらかと言えば、アタシの言っている内容に対し。疑念を抱いたからこその驚きの反応、と言うべきなのか。
『まさか。我が主人は、自らの目に映る眼前の敵が本物ではない、と……そう思って全力を発揮出来なかったと』
「(ああ……まあ、ねぇ)」
『何を馬鹿な。もう忘れたのか? あの竜属くずれは一度、お前の剣に触れ、弾いたのだぞ』
アタシの何とも歯切れの悪い返事に、思うような明確な答えが得られず業を煮やした九天の雷神は。
先制攻撃で浴びせた大剣の一撃を、見事なまでに鱗で弾き返されたのを。まるで知っているかのように蒸し返してきたのだ。
「(……わかってるさ。偽物なんかに攻撃を弾かれたんだとしたら、それこそアタシに勝ち目なんかない、ッて話だからねぇ)」
『ならば、一体──』
以前に戦った魔竜との二戦目では。周囲の岩石や土砂を固めた、巨大な土塊の腕を無数に地面から生やしてきた。
ただ、アタシが攻撃を弾かれただけならば。或いは眼前に現れた魔竜が。同じく自身の姿に似せただけの堅い岩の塊なのだろうと思えたのだろうが。
だが、その可能性は限りなく低かった……というのも。
「それに、見なよ。アレをさ」
『……む』
続くユーノの巨大な拳に、お嬢の純白の魔剣、空中からのモリサカの援護と。
アタシの目の前で、魔竜に実際に打撃や斬撃を浴びせ。魔竜の身体に傷を負わせる様を何度となく見ており。
さらには。
『ぐ……お、おぉぉォォォぉ……っっっ⁉︎』
カムロギが放った必殺の一撃である「秘剣・天瓊戈」は、魔竜の太い胴体部に大きな傷痕を刻み付けていた。
飛ばした刺突と水属性の攻撃魔法、二つの異なる攻撃が織り成す威力に。魔竜の身体を覆う真新しい鱗の一枚が砕け散り。剥き出しになった肉へと容赦無く風と水の槍が突き刺さり、魔竜の胴体を半ばまで抉ってしまっており。
ポッカリ……と大きく開いた傷口からは、真っ黒い魔竜の血が止めどなく地面に流れ。
『……に、人間ごとき、があァァっっ……!』
蛇人間を差し向けた時の愉悦に浸った表情とはまるで真逆、憎悪と憤怒に染まった両の眼で真っ直ぐに。お嬢の神聖魔法によって守られたカムロギを睨み付けてはいたが。
「御託はいい。かかってこい、八頭魔竜……貴様が喰った仲間の生命の重さ、この俺がその身に刻んでやる」
『ぐ……う、うぅぅゥゥっっ……』
そのカムロギから受けた「天瓊戈」の直撃による深傷からか、同時に痛みに苦悶しながら。魔竜はカムロギを睨みながらも、その場から決して動こうとはしない。
これまでにアタシが魔竜へ有効打を与えたのは、噛み砕かれそうになったモリサカを救出する時の雷撃のみ。
しかも、魔竜が吐く「炎の吐息」は。お嬢の神聖魔法による障壁で、一度ならず二度も完全に遮断してみせたのだから。
魔竜と戦う、と決めたのはアタシだったが。共闘する仲間の実力は最早、アタシ抜きでも目の前の魔竜を打倒出来る程に思えた。
「アタシがいなくても、このまま魔竜を倒しちまう勢いだ……とは、思わないかねぇ?」
一度、頭の中だけではなく、周囲の状況に目をやったからなのか。
声に出さずとも九天の雷神との会話が可能だ、という事を忘れ。いつからか、すっかり口に言葉を出していたのだったが。
『それは理解したが……まだ最初の質問に答えてはおらぬぞ、我が主人』
「(ああ……あの魔竜を本物かどうか疑っている、ッて話だったねぇ)」
だが、続く会話の内容だけは。周囲に聞かれたくなかったアタシは。
再び言葉を口に出さず、頭の中のみに思い浮かべて九天の雷神が抱いていた疑念に答えていく。
とはいえ、明確に導き出された回答ではない。
「(それは……ただ、何となく、勘、だよ)」
『──は?』
あまりにも曖昧がすぎる回答に、呆れた様子で言葉を失ってしまった九天の雷神。
何故にアタシがこの疑問を同行した仲間ら、特にフブキや加勢に来たナルザネらに聞かれたくなかったのか……それは。
ただでさえ目の前に出現した魔竜が本物かどうか、本気を出すのを躊躇する程に疑っているというのに。
発想の理由が「勘だ」などとアタシが口にしたら。余計な疑念を抱き、動揺が広がり場が混乱してしまうだろうから。
『ど、どういう理屈だ、我が主人っ──』
長らく戦場に身を置いた事により、アタシには迫る危険や脅威を事前に感じ取る、所謂「戦場で培った勘」が。不意に何かを知らせる事があるのだが。
やはり不確かな「勘」という理由では納得しなかったのか。九天の雷神は改めて、アタシがその結論に至った根拠を説明するよう求めてきたので。
「(まあ、そう思った理由ってのは。勘以外にも色々と理由あるっての。例えば──)」
納得がいくかは知らないが、アタシは全力を発揮しない理由を順序立てて説明していく。




