270話 アズリア、飛び出す白薔薇姫に
もう笑いを堪える気がなくなったのか、モリサカは口元を覆った手を退け、隠す事なくアタシを見て笑い声を上げる。
「あ……あっははは! お、おまっ……この状況で、難しい顔してそんな事考えてたのか、っ」
「な、何だよモリサカッ? そ、そんなにアタシの言ってるコトが変か?」
「いや、そういうわけじゃないんだがな」
笑い出したモリサカを、気恥ずかしさからアタシは非難を込めた視線で睨んでいくと。
顔こそこちらから背けたモリサカだが、くすくすと笑うのを止める気配を見せようとはしなかった。
さすがに魔竜を目の前にし、腹を抱えて笑い転げるような真似はしなかったモリサカだったが。これが魔竜の出現前であったら、きっと大笑いしていただろう。
しかし……そこまで可笑しい事だろうか。
まさか魔竜が竜属の一種だったと知って驚き、疑惑の目を向けていた事が。
当然ながら、先祖が魔竜の魔力を利用した事で。生まれながら竜属性の魔法を使う素質を手に入れたモリサカは、知り得ていた知識だっただろうが。
すっかり「巨大な蛇」だと魔竜を思っていたアタシとしては。
「ははは……いや、な。頭の良いアズリア、お前が魔竜が蛇だか竜属だかで難しい顔してるのが、何とも新鮮で」
「……何だい、そりゃ。アタシだって知らないコトだってあるし、戸惑いもするさね」
こちらの心中を見透かされたような気持ちになり、恥ずかしさから今度はアタシがモリサカから顔をぷいと背けた。
思いがけない竜属との遭遇に、少なからず動揺してしまったのは間違いない。
というのも。
「だって、初めてなんだよアタシ。こんだけ立派な竜属と戦う機会なんて、さぁ」
竜属。
火竜や毒竜、鎧竜などの種類が現在確認されているが。いずれも巨大な体躯に強力な爪と牙を持ち、堅い鱗に守られた強大な生物の総称。
ある程度、腕に覚えのある人物ならば一度は剣を交えてみたい、腕試しという意味での憧れの対象でもある。アタシも例外ではなく。
だが、竜属の強大さ故に。一つ間違えば、あっさりと生命を奪われてしまうだろう。
大陸中を旅して八年、アタシも様々な敵と戦ってきた。その中には、火の魔獣や海の主のような巨大な魔物もいたし、飛竜程度の竜属ならば何度か対峙した経験はあった。
だが、魔竜ほどの巨大な竜属と戦った記憶は、少なくともアタシにはなかった。
今、アタシが魔竜が竜属だと知って動揺していたのは。
ある種の目標としていた竜属との遭遇を、果たしてしまった事への肩透かしな達成感と。魔竜の持つ魔術文字の手掛かりへの期待感が入り混じっていたからかもしれない。
「アズリア……お前」
だが、アタシの顔を不思議そうに眺めていたモリサカは。呆れたような口調でこう答える。
「その魔竜をとっくに二度も倒しておいて、今さら何言ってるんだ?」
「──あ」
言われてみれば、モリサカの言う通りだ。
竜属との戦闘が憧れだ、というならば。
アタシは既に二度、魔竜を自分の大剣で退け、この手で討ち倒していたのを思い出す。「竜属と戦い勝利する」という目的は、知らずの内に既に果たされていたのだ。
モリサカの言葉で、必要以上の力みが取れたアタシは。
「そうだねぇ。その、通りだよ……ッ」
空を飛んでいたモリサカを喰らおうと、空高く身体を伸ばしていた魔竜へ視線を向けると。
アタシが浴びせた「九天の雷神」の雷撃による麻痺がようやく解け、こちらをギロリと睨む魔竜の頭部と視線が合ってしまう。
『う……汝等ぁぁ……ゆ、許さん……許さんぞ……ぉぉぉ』
「ははッ! 剣を弾いた時にゃあんだけ大口叩いたくせに、初めて見せた雷撃は効いちまってるワケかい……ざまぁないねぇッ!」
これまでに二度、遭遇した魔竜との戦闘で。最後の一撃となったのは間違いなく、愛用するクロイツ鋼製の大剣だった。
だから三度目となった魔竜は、「首を倒される度に強さを増す」という発言の通り。アタシの大剣の一撃にだけは、しっかりと対抗策を用意してきたようだが。
今までに受けた事のない「九天の雷神」への対抗策までは、さすがの魔竜も準備は出来なかったようだ。
「何なら、もう一発デカい雷を喰らってみるかい」
『人間!……貴様あああオオオオオオ!』
アタシの挑発を受けて、魔竜が大きく開いた口から咆哮を響かせる。
凄まじい咆哮の音量は、アタシらが立つ周囲に突風を巻き起こすだけではなかった。心の片隅がキュッと絞られる感覚から。周囲に響き渡る咆哮には、何らかの魔力が含まれている可能性があったが。
横に立っていたモリサカは、竜属性の魔法の効果中だったからか。魔竜の咆哮によって、何らかの悪影響を受けた様子は見られなかった。
しかも、である。
「人間、人間と煩い輩ですわ! このっ……巨大蛇風情が!」
アタシとモリサカの間に割って入るように、後方から威勢良く飛び出してきたのは。
先程、魔竜が吐き出した炎を神聖魔法で防御したばかりのお嬢だった。
「ま、待てよ……お嬢、ッ!」
どうやら、アタシとモリサカとの会話を聞いてはいなかったようで。魔竜を竜属ではなく、巨大な蛇と決め付けて突進していくお嬢を制しようとしたアタシだったが。
その時、ある事に気が付く。
お嬢が握っていた武器が、アタシと対峙した時の刺突剣ではなく。見たことのない長剣だった事に。
「──ッて、そ、その剣は……一体ッ?」
魔竜の胴体を覆っていた堅い鱗に真っ向から挑むよりも、刺突剣で鱗と鱗の隙間を狙ったほうが良い、と思ったのだが。
「待て、と言われて待つ馬鹿はいませんわアズリアっ! そして……見ていなさいそこで!」
アタシの制止の声を聞く耳持たずに、地面の大穴から胴体を伸ばしていた魔竜の懐深くへと走り込んだお嬢は。
よく見れば、新しく握っていたのはただの平凡な武器ではなく。魔力を視る事が出来る「魔視」を用いなくとも、刀身から魔力が滲み出る純白の長剣を構え。
「──新たなこの私、白薔薇に相応しいこの一撃をっっ!」
アタシのように真上に構えた大剣を力任せに振り下ろすのではなく。
走り込みながら真横に力を溜め、目の前に迫った魔竜の鱗に対し。
「受けなさいっ!」
握った長剣を横へと薙ぎ払い、純白の斬撃を浴びせていった。




