268話 アズリア、モリサカと魔竜との因縁
背中の翼を動かしながら、魔竜の頭上となる位置に陣取ったモリサカは。
「──竜爪撃」
さらに右腕が大きく、竜属と呼ぶに相応しい鋭い爪を生やし、鱗が浮かぶ腕へとみるみる変わっていく。
「こっちだっ! 魔竜いいいっ!」
モリサカの挑発に、開いた口をアタシらから上空へと向けた魔竜。これで、続け様に炎の吐息が放たれる事はない。
確かに、あのまま炎を吐かれ続けていれば。地面を焦がす威力の炎はいずれ、後方に控えるマツリにまで到達していたかもしれない。
マツリの協力者、という立場のモリサカならば。護衛対象から危険を遠ざけたかった、といったところか。
『この……次から次へと、小癪な……っ』
上空に飛んでいるモリサカを目標に、魔竜は二度目の火炎を口から放出しようと試みるが。
魔竜よりも早く、既に攻撃の準備を完成していたモリサカが動く。右腕の鋭い竜属の爪を構え、魔竜へと高速で突撃を仕掛けたのだ。
「小癪ついでに、この爪を喰らっておけ、魔竜っ!」
『う、うおお、おっっ⁉︎』
炎を吐くのを邪魔されたばかりか、モリサカが振るった右腕の鋭い爪が。魔竜の顔に三本の裂傷を刻んでいく。どうやら頭部は、胴体部のように全体が堅い鱗に守られているわけではないようだ。
『は、離れろっ! 人間ごときがあっ!』
炎での迎撃を諦め、首を振ってモリサカに頭部を叩き付けようとする魔竜だったが。
モリサカは深追いを避け、背中の翼を羽撃かせると。即座に魔竜から離れ、再び頭上へと距離を空ける。
翼と右腕、二箇所を同時に竜属の部位へと変貌させるには。二つの魔法を同時に発動する必要があるが。
考えてみれば、今だけではない。思い返してみれば、ハクタク村での魔竜の一度目の対決の時から既に。
翼を生やした状態で、竜属の頭部へと姿を変え、アタシを竜の炎で援護していたではないか。
つまりモリサカは普通ならば困難な、二つの魔法を同時に扱えるだけの技量の持ち主なのだ。
アタシが八年もの間、大陸を旅していた中で出会う事のなかった程、稀少な竜属性の魔法の使い手であるモリサカ。
何故、彼が竜属性の魔法を習得したのか。使い手が少なすぎるが故に、まだまだ謎が多い竜属性の魔法の秘密を。モリサカから聞き出そうと意気込んでいたアタシだったが。
フブキを救出した際にモリサカは、生命に関わる程の深傷を負い。一方でアタシはといえば、流行り病の治療や、領主の屋敷を強襲したりとモリサカから話を聞く機会を逃し。
革職人カナンとの関係に気付いてからは、より一層アタシは距離を取っていたこともあり。結局のところ、竜属性の魔法については何も聞けず終いになってしまった。
「モリサカ……アンタ一体、何者なんだい?」
だが、もしかしたら。
三度目の魔竜との対決の中で、アタシはモリサカの謎を知る事が出来るかもしれない、と。不謹慎な考えを抱いてしまう。
そのモリサカと魔竜だが。
アタシらの前に姿を現すため、地面に空けた大穴から胴体をズルズル……と伸ばし。口中にびっしり生やした鋭い牙で噛み砕こうと大口を開け、距離を取ったモリサカへと迫る。
『一人で飛び出してきたのは寧ろ好都合! 貴様もこの腹に喰らってやるわ!』
「う、おおっっ⁉︎」
まさか胴体がこれ以上伸びることはない、と思っていたモリサカは不意を突かれ。口を開けて迫る魔竜の突撃に、回避が間に合わず。
その場から動けなかったモリサカは、哀れ魔竜の牙の餌食となった……と思われたが。
『──が?』
「あ……あい、にく。魔竜よ、貴様に喰われてやるわけには、まだいかないんだ……っっ!」
魔竜の上顎から生えた牙のうち一本を、竜属の右腕で懸命に握り締め。上下の顎と牙が噛み合わされるのを、何とか阻止していたモリサカ。
だが、状況は悪い。
「ぐ……う、ううぅぅっ……」
『く、くくく……そこから、どうする?』
必死な形相で何とか牙を持ち上げ、口が開いた隙を作ろうとするモリサカだったが。拮抗した状況の一方、魔竜にはまだ余裕があるように見えた。
このまま分の悪い力勝負が続けば、間違いなく競り負けるのはモリサカだ。
『それに、この臭い……わかる、わかるぞ、人間、貴様のその竜の力。それは竜ではなく、我ら魔竜の力か』
「……く、そ、それ以上は、言うな……っっ!」
顎の力を強めた魔竜に対し、懸命に堪えるだけ、防戦一方となってしまうモリサカ。
『何だ、その翼も、その腕の爪も……我が地の底に封じられている間に漏れ出した恩恵を受けたからだと。貴様もまた、魔竜としての力を振るっているのだと、まだ他の人間には知られていなかったのか? はっはっは!』
「だ、黙れっ……魔竜ぃぃぃっっ!」
魔竜の言葉に動揺し、徐々に上顎が閉じてしまっていく。
魔竜が口にした言葉の内容は、確かに気にはなるが。
今、アタシがモリサカに出来る事は。魔竜の言葉が真実かどうかを問いただす事ではない。
「……アタシも助けられっぱなしッてワケにゃ、いけないよねぇ」
予め指で拭っていた自分の血で、胸に描いた魔術文字は。
先程、大剣を弾かれた時の「巨人の恩恵」でも。大剣に描けば破壊的な威力を発揮する「纏いし夜闇」や「軍神の加護」でもなく。
今までアタシが使っていたのとは、明らかに文字から漂う雰囲気の違う魔術文字。
続けて、血文字を描き終えたアタシが口するのは詠唱。
我、九天に願う
我こそは天空の覇者にして雷霆を支配する者
人間が住まう彼の地に
雷の加護を遣わしたるモノ
その名を──ουρανός
発動のための力ある言葉を唱え終えると、雄叫びとともに、胴体に描いた特別な魔術文字にアタシは魔力を注いだ。
「アタシの身体に降臨しな──九天の雷神ッッ‼︎」
発動と同時に、周囲に小型の稲妻が無数に展開し、地面に降り注ぐ。
ホルハイム戦役が終結した後、国王イオニウスの許可を得て、魔神が散ったとされる古代の遺跡を探索した際に幸運にも発見した魔術文字。それこそが「九天の雷神」である。
特殊な魔術文字、と言ったのは。
今までに発見した魔術文字は、文字を描き魔力を注げば効果を発揮する……その過程では少なくとも、術者となるアタシに危害が及ぶ懸念はなかったのだが。
この「九天の雷神」の魔術文字は、発動した途端に。術者であるアタシの身体の自由を奪い、意識を乗っ取ろうとしてきたのだ。
そのせいか、この魔術文字を一目見た師匠は「二度と発動させるな」と約束させる程だったが。結局、アタシは師匠との約束を破り、「九天の雷神」の魔術文字を何度か使ってしまう。
その甲斐あってか、今では。
「さあ! 雷よ! 一斉に……目の前の魔竜に襲い掛かりなッッ!」
この通り、魔術文字を発動しても意識を乗っ取るような真似をする事はなくなった。
号令に合わせ、アタシが一度は空高くに掲げた大剣を伸ばしたその先へと。周囲で無作為に展開していた、無数の稲妻が向きを一方向へと揃える。
当然ながら、指し示した目標は魔竜。
──そして、アタシは猛る。




