264話 アズリア、魔竜に先制攻撃を放つ
だとするなら、三度目の遭遇となる目の前の魔竜の首は。
さらに強さを増し、二戦目以上に苦戦を強いられるのではないか。という考えが一瞬、アタシの頭を過ぎるが。
生憎と、アタシの胸中に湧くのは。
不安ではなく、歓喜の感情。
魔竜と相見えた時点で、嬉しくなった事は自覚していた。何しろ魔竜こそが、アタシが求める魔術文字の一部を所持しているからだ。
八年、世界のあちこちを旅して魔術文字を探してきたのだ。その手掛かりが入手出来る好機を目の前にして、喜びに湧かないほうがどうかしている。
……いるのだが。
『……人間。この状況で笑うとは、思わず気でも触れたか?』
直後、まさかの魔竜からの指摘で。アタシは今、自分が笑みを浮かべていた事を知る。
フブキやマツリ、この国の人間からすれば。魔竜は忌むべき魔物でしかない。さすがに不謹慎だと思い、感情を顔に出すのは我慢していたつもりだったが。
「え? ああ、アタシは笑ってたのかい」
どうやら、一度は諦めた魔竜との遭遇が叶った事で、我慢出来ずに笑みが溢れてしまったようだ。
不謹慎な感情が暴かれてしまった以上、もう取り繕う必要はない。
「は、あははははッ! そりゃそうだ、アタシはずっと……ずっと待ち焦がれてたんだからねぇ、アンタを引きずり出す、この状況をさあ!」
『我との対決を望んだ、だと? 人間、貴様……正気か』
「ああ、正気も正気さッ! そのためにアタシは……わざわざ真っ正面から城に突入を仕掛けたんだからねぇッ!」
ここでアタシは。フブキに、姉マツリとの再会と依頼を受けた時点で、三度目の魔竜との戦闘を画策していたことを声高らかに明かす。
ただ、二人の姉妹を再会させるだけなら。わざわざ馬鹿正直に三つの城門を突破せずとも、他にいくらでも手段はあった。
例えば、モリサカに飛行させシラヌヒに突入する方法や、「纏いし夜闇」の魔術文字を使って隠密行動など。思い付く限りでも様々な方法があっただろう。
それでもアタシが敢えて、正面からの突破に拘った理由とは。ジャトラが最後の手段である魔竜に縋るには、彼の持つ手駒を全て退ける必要があったからだ。
「そういや……」
そんなアタシには、一つ気になる事があった。
この場に魔竜を呼び寄せたであろう、ジャトラの姿が周囲に見つけられなかったからだ。
既にカガリ家の乗っ取りには完全に失敗し、ジャトラが当主の座に返り咲く事は不可能だった。ならばこの場に魔竜を召喚し、混乱に乗じたその隙に。当主となるべき人物に危害を加える可能性だってある。
聞いて素直に答える相手とは思えないが。この場で彼の居場所を知っているのは、目の前の魔竜以外にはない。
「なあ、魔竜。アンタと手を組んでいたジャトラがどこにもいないじゃないか。あの男……まだ何かを企んでるのかい?」
『ふむ……我を呼び出し、餌を喰わせてくれたあの人間か。それならば──』
拒否される事を前提にジャトラの居場所を聞いたアタシに対して。
魔竜は意外にも、沈黙でも拒絶でもなく。口も滑らかにアタシの疑問へと答えていく。
『……捧げた人間と一緒に我の腹の中におるわ。今頃は、骨ごと溶けて消化されているだろうな』
続けて魔竜の口から告げられたのは。
知らぬ間に、ジャトラの命運が尽きていたという事実。野望に狂った男は。最後は自分が魔竜に喰われるという、呆気ない最後を遂げたのだ。
「な、なんとっ⁉︎」
「う、嘘っ……だ、だって、魔竜……あなたは今、『呼び出した』って……?」
『ああ、それは……あの人間が、我に大量の捧げ物があったから呼ばれただけ。でなければ、八頭魔竜たる我が矮小な人間にわざわざ従うフリをするものか』
「そ、そんな……それじゃ、やはり……」
魔竜の言葉を聞いて、驚きの反応を見せる元は配下だったナルザネやイズミに。
口元を両手で押さえ、先程まで顔を合わせていた人物が魔竜の犠牲になった事に恐怖するマツリやフブキ。
ジャトラとはなまじ関係が深かっただけに、「喰われた」という話は衝撃的だったのだろう。
『人間など初めから我らが餌でしかない。用済みになれば喰ろうてやる気だったわ』
だが、四人とは対照的に。ジャトラとは、マツリを救出した際に僅かに言葉を交わしたのみ。大した交流もなかったためか、アタシは冷ややかな感情しか湧かなかった。
魔竜がジャトラを始末したと聞いて。抱いていた懸念が一つ取り払われた事に、寧ろ感謝の言葉を投げたいくらいだ。
「そろそろ、話はいいかい?」
返答の逐一に衝撃を受けていたマツリらと、魔竜との会話に割り込んでいくアタシは。
背中から大剣をゆっくりと取り出し、得意げにマツリらに「ジャトラを喰った」事を語る魔竜を睨み据えた。
「あの男は……当然の報いッてヤツさねぇ。それよりも──」
張った声で魔竜の言葉を遮り、切先を魔竜に向けて構えると。
アタシが目的としていた魔竜を前に、抑え切れなくなった戦意、殺意が両の眼に込められる。
『む、う?』
と同時にアタシは、右眼に宿る魔術文字を発動させながら。
カムロギとの対決で負った傷口から、固まりかけた血を大剣を握っていない左手の指で拭う。右眼以外の魔術文字の発動には、アタシの血を触媒にし、魔術文字を描く必要があるからだ。
「アンタの持ってる魔術文字、しっかり奪わせてもらう」
咄嗟にアタシが選んだのは、使い慣れている「巨人の恩恵」の魔術文字。
右眼に宿るのと同じ魔術文字を、大剣を握っていた右の腕へと描いていく。
本来ならば、一度に一種の魔術文字しか発動出来ないのを。二種の魔術文字を同時に発動する「二重発動」に。
同じ魔術文字を二つ重複して発動させる事で、効力を飛躍的に上昇させることが出来る「文字重複」。
二つの特殊な術式の代償として。一種の魔術文字を単独で発動するよりも魔力消費が激しい、という欠点があるが。
魔竜との対決が、シラヌヒでの最後の戦闘となるのは間違いない。ならばもう、魔力を温存を考える必要とない、というわけだ。
右眼と右腕の魔術文字から同時に、身体中に巡る魔力によって。全身の筋肉が活性化し、内側から皮膚を破りそうな程に膨れ上がる感覚。
「まずは──その邪魔な鱗を叩き割ってやるよおおおぉッッ!」
魔竜が動き出すよりも先に。アタシは魔力で増強された両脚で足元の地面を蹴り、魔竜目掛けて突撃を開始した。
先程、暴れ出し突進してきた馬よりも高速で駆け、魔竜との距離を一瞬で詰めたアタシは。握った大剣を頭上へと振り上げ、眼前に迫る魔竜の胴体、禍々しい形状の鱗へと向け。
「おおおおおおおおおおおおおお‼︎」
魔獣の咆哮のような雄叫びとともに。
右腕に、二つの魔術文字で増強された渾身の膂力を込め。高く掲げた得物を、躊躇なく鱗へと浴びせていく。
堅い鱗が砕ければ、肉が剥き出しになる。魔竜に深傷を与えるには効果的だし、背後に控えるユーノやヘイゼルの攻撃も、鱗に阻まれる懸念も無くなる。
アタシはそう考えていた──が。




