263話 アズリア、三度目の遭遇
だがアタシは、大声で喚き散らす口に手を当て。これ以上、お嬢が言葉を発するのを制していく。
「……む、むぐぅ⁉︎」
当然ながら、いきなり口を塞がれたのだ。高慢なお嬢でなくても怒るだろう。
手で言葉を遮られながらも、声を出すのを止めようとはせず。しかも口を塞いでいたアタシの腕を退かそうとするも。
アタシはお嬢の行動を一切無視していた──何故か。
「悪いねぇ、少しだけ黙ってくれちゃいないか」
先程、モリサカらと地面の下から察知した、魔竜と思われる気配の異変を感じ取ったからだ。
今まで、人が歩く程度の速度で迫っていた地の底の気配が。揺れに乗じていつの間にか、アタシらの真下にまで接近してきていたのだ。
アタシは、魔術文字の宿っていない左眼で、魔力を視る事が出来る「魔視」を使い。より正確に位置を把握しようとした。
──すると。
邪悪な雰囲気を纏った気配と魔力が。身を潜めていた地の底から急に速度を上げ、地表に向けて移動を始める。
つい先程まで、横で口を塞がれて騒いでいたお嬢も。アタシの視線や振る舞いから、異変を感じ取ったのか。
「ぶ、はあっ!……な、何ですのアズリアっ、この……邪悪な魔力は?」
「……お嬢も気付いたかい。さすがは聖騎士だけはあるねぇ」
気付いたのはお嬢だけではない。
感覚な鋭敏な獣人族であるユーノや三人組もまた、地面の下から迫って来ていた気配を感じ取ったようで。
「お、おねえちゃん、じめんのした、なんかいるっ!」
ユーノだけは、アタシと足元の地面を交互に見ながら、楽しそうに目を輝かせていたが。
「──ひ、っ?」
「う、嘘、だろ……な、何だよ……このデケェ気配……っ」
三人組、カサンドラもファニーもエルザも魔竜の気配を察知したからか。声と身体を震わせ、その場に膝から崩れ落ちてしまう。
「──鎮静」
「「はっ!」」
恐怖で地面に座り込んだ三人の様子を見て、お嬢がすかさず。暴れ馬を鎮めた時と同じく、「鎮静」の魔法を発動させ。三人の身体の震えを取り除く。
「まったく……これから敵が襲ってくるかもしれないという時に、護衛のあなたたちが震えててどうするつもりですの?」
「そ、その通りすぎて、合わせる顔がない……」
確か……合流した時に聞いた限りでは、この国までの護衛としてお嬢に同行していた三人組は。依頼主であるお嬢から叱咤を受けていた。
護衛役が依頼主に守られたのだから、お嬢が苦言を呈するのは当然だ。三人は僅かの間、落ち込む素振りを見せていたが。
「なら。この借りは、冒険者らしく」
「ああっ! 戦闘で返すしかねぇだろ!」
直ぐに立ち直り、それぞれの武器を構えて臨戦態勢を整えていくと。
その──直後だった。
足元深くにあった気配が地表目掛けて、高速で迫る。どうやら目標に選んだのは、アタシらを少しばかり逸れ、近くに建っていた木製の小屋。
アタシらが警戒しながら見ていた眼前で、大きな炸裂音が上がるとともに。
建物が空高く真上へと吹き飛んでいく。
「ぐ……ッ!」
次の瞬間、小屋があった場所から吹き付けた強烈な風と砂埃。
風の衝撃から顔を守るために咄嗟に、アタシは顔の前に大剣を構え。幅広い剣の腹で、突風に混じり飛んで来る石礫や小屋の木片を防いでいく。
……背後で「ぐわっ」などと呻き声が聞こえるのは、きっと風に混じる異物を防ぎ切れなかったのだろう。
大剣越しに、先程まで小屋が建っていた場所を覗くと。
巻き起こる砂煙が邪魔するものの。薄っすらと煙の中に、何か巨大な存在が蠢いているのがアタシには見える。
「た、大層な登場じゃねえかよッ……魔竜いッ!」
ようやく突風が止み、アタシが視界を遮るように構えた大剣を退かすと。
そこには、アタシの想像通りの。
巨大な漆黒の蛇の頭部が地面から生えていた。
『如何にも。我が、八頭魔竜が一ノ首……で、ある』
いや、今までに二度見てきた魔竜の姿。一度目は周囲に毒の霧を纏い、二度目は岩の鎧と黄金の眼を持った姿とは違い。
表面をびっしりと覆う黒い鱗の形状が、まるで燃え盛る炎を模したような禍々しい形状をしていたのと。
これまでの二度よりも、一回り以上も巨大に膨れ上がっていた魔竜の姿だった。
それに、外見だけではない。
身に纏う邪悪な雰囲気も、これまでの二度の魔竜とは明らかに違っていた。
「な、何ですの? あの、見たこともない魔物は……ど、竜属?」
「は、ははっ……あ、アズリアから話だけは聞かされてたけどね、まさか……こんなデカい魔物だなんて、なぁ」
地面に大穴を空けたものの、今はまだ巨大な頭部のみが姿を見せていた状況ではあったが。
初めて魔竜と遭遇する事となったお嬢とヘイゼルは。言葉こそ強気を装っていたものの、驚きを隠せず。互いに武器を構えたまま、一歩ほど後退りしてしまっていた。
……帝国貴族であるお嬢が、実際の生命のやり取りとなる戦闘に腰が引けるのは、まあ理解も出来るが。
アタシが見ていた事を知らないだろうが。海の王国での大騒動の際、王都ノイエシュタットを襲撃してきた魔物の大群を相手に。一歩も退かず戦っていたヘイゼルが、だ。
「アレは……剣を向けては、決していけない存在……っ」
「そ、それは見ればわかってる……け、けどっ!」
見渡せば、先程お嬢に叱咤され、戦意を奮い立たせたカサンドラら三人組や黒髪の女中も。魔竜が纏う雰囲気にすっかり気圧されている表情だったくらいだ。
『さ、さっきから馬が暴れてたのは、こ、この化け物のせい……だったのかっ』
『こ、ここ……これって、伝承にあったお、おお、魔竜じゃねえかっ! か、勝てっこねえっ?』
その背後にいたイズミや、その他大勢の騎馬隊などは顔を青ざめさせながら、戦意を喪失する者まで現れる始末だった。
この場に集う武侠らが恐怖に怯える姿に。まるで愉悦に浸り笑ったかのように、口を歪める魔竜。
『ほう……だが、我の姿を見て。まだ力量の違いを理解しておらぬ愚かな者が。まだ数名ほどいるようだな?』
そんな魔竜が、血のような深紅の瞳の焦点をアタシともう一人。隣で両拳を打ち合わせていたユーノへと向け。
まるでこちらを歯牙にも掛けぬ態度を見せるが。
「……理解してるのかい? アタシはこれまでに二度、アンタの首を倒してるんだよ」
『ならば、既にいずれかの首から聞いているだろう? 我らは首が倒されれば倒す程に、力を増す存在だという事を』
フブキを狙ったところ遭遇した二度目の魔竜が、出現した直後に。
ちょうど今、目の前の魔竜と同じ内容を口にしたのをアタシは思い出す。
曰く、八頭魔竜はその名前通り、八つの首を有する魔物であり。
首を一つ倒すと、残りの首へと倒された首の魔力と記憶を譲渡し、力が増していくのだと。
「ああ、そういや……そんな話をしてたねぇ、前に倒した魔竜も」
その話の証拠に、ハクタク村で最初に遭遇した魔竜は。正直言って、少々手強い魔獣程度の体感だったが。
二度目の魔竜の強さは、まさに説明の通り、村で戦った時とは比較にならない程に強くなっていた。
最初の魔竜が使ってきた身体を腐らせ、溶かす毒霧こと使わなかったものの。魔術文字の魔力すら打ち消してくる魔眼に、アタシは苦戦を強いられてしまったからだ。




