247話 ジャトラ、マツリを生贄に連れ出す
今回の話の主な登場人物
ジャトラ フブキの姉マツリからカガリ家当主を強奪した人物
一ノ首 三本目の八頭魔竜の首
マツリ 元・カガリ家当主 フブキの姉
魔竜の話を聞き終え。戦慄を覚えたからか、身体を震わせていたジャトラ。
「なん……だ、と?」
『だから喰わせろ、と言ったのだ。貴様が小賢しい策略と、我の力を以って蹴落としたカガリ家の娘を』
贄として、魔竜が要求してきたのは。ジャトラが当主の座を奪い、城の離れにある小屋に人知れず身柄を拘束していた元当主のマツリの生命だった。
「マツリ様を……喰らう、だと……」
『邪魔なのだろう? 貴様の心の中がそう言っているぞ』
確かに魔竜が指摘の通り。前カガリ家当主イサリビの後継者、という肩書きを持つマツリは非常に厄介な存在だった。
強大な戦力であった四本槍を始め、カガリ家内部で同意者を増やし。ついにはマツリに代わって、当主の地位に就いたジャトラであったが。まだ領内にはマツリを支持し、ジャトラが当主となる事を認めていない人間が多数存在した。自分に逆らう勢力が、マツリを担ぎ上げて大規模な反抗を起こされては堪らない。
マツリの存在が邪魔だ、と言えばその通りなのだが。
「そ、それはっ……」
それでも、正当に八葉の当主としてジャトラが認められるには。この国全土を統べる人物「太閤」との拝謁を済ませ、その場で当主を交代した事を宣言せねばならない。
その時まで、マツリに死なれて困るのはジャトラなのだ。
魔竜に「生贄に出せ」と言われたから、はいそうですかと捧げるわけにはいかない理由から。難色を示したジャトラは一瞬、返事を詰まらせる。
だが、最早それ以外に方法はない。
何よりも。
「ここで……野望が潰えれば、妻は、息子は、何のために……」
自分の野望や、魔竜の存在などの背景を何も聞かせる事なく。ただ魔竜の要求のままに、生命を差し出させた妻サラサと息子タツトラの顔を思い浮かべていたジャトラは。
いくら己の欲望のためとはいえ。家族の生命が無駄になる可能性を受け入れる事が、どうしても出来ず。
『さあ。どうする? 契約者への温情だが、時間は余り残されてはおらぬぞ』
「ふぅっ、ふぅ、っ……ふぅ……っ……」
返答を急かす魔竜だが。最早ジャトラの耳には、魔竜の声は届いてはいなかった。
マツリを生贄に捧げるか、否か……を決め倦ね。緊張による興奮状態が続いたからか、肩を上下に揺らし、息を荒らげながら。
「……わ……わかった、連れて来るっ! マツリ様を生贄に捧げる……だから、俺をっ……俺を助けてくれっ魔竜よっ!」
そう叫んだ切迫詰まった声は、地下の洞窟内に大きく響き渡る。
ジャトラが自分の要求を飲んだ事に、愉悦そうな笑みを浮かべながら魔竜は。
『ならば、炎の加護を持つ娘を此処へ。急げ』
つい今、洞窟に反響するほどの大声で叫んだばかりのジャトラは。まるで全ての感情を吐き出したかのように無言で立ち上がり、来た道を引き返して地上へと走り出す。
マツリを幽閉していた小屋へと目指して。
ジャトラが走り去ったのを見届けた後、魔竜はその口をさらに邪悪に微笑ませながら。
『──人間を捧げるから、使役された振りをしていたが。まさか……かの憎き、焔の女皇の力を宿した娘をようやく喰らう事が出来ようとは。く……くっくっく!』
一ノ首、を名乗る魔竜の首の一本は、ジャトラに従っているわけでも、契約をしているわけでもない。
だから、ジャトラが魔竜の要求を満たしたからといって。彼の要望を叶えてやる必要はなかったのだが。
魔竜にとって、マツリという人物は他の人間とは違う、特別な血を持つ人間であったのだ。
魔竜が口にした「焔の女皇」とは。
かつて、この国の地を恐怖に陥れていた八つ頭の魔獣・八頭魔竜を地の底に封じた勇者ら……その仲間の一人、焔の女皇・エレを指していた。
カガリ家には代々、強力な炎を自在に操る能力の持ち主が誕生する事があったが。それは、エレの力を継承していたから。
魔竜は待つ──ゆるりと。
妻と子の生命まで捧げた愚者が、魔竜が待ち望んだ極上の贄を運んでくるのを。
◇
今は、城の誰もが使っておらず。建て壊すのを忘れられ、放置されていた城の離れの小屋。
そこに、当主の座を追われたマツリ・カガリは幽閉されていた……唯一人で。
筆頭家老だったジャトラが当主を乗っ取り、その後小屋に連れて来られてから一〇日ほどが経った。小屋から一歩も外に出る事は許されていないが、取り壊しの決まっていた小屋、とはいえ。食事は朝と夜に二度、提供されるし、見張りの武侠はマツリに対し、丁重に接してくれていた。
「今日は何だか、城の外が騒がしいようだけど」
だが、今日に限って見張りの武侠が一向に姿を見せず。やけに、城の外から普段とは違う歓声や金属を叩き合う音が頻繁に聞こえてきたのだ。
明らかな異変に、マツリはしばし考え込む。
「どう考えても、あれは戦の音、よね」
マツリが幼い頃は、隣接していた八葉の勢力とまだ領土争いが頻繁していた事もあって。武侠同士が衝突する戦が、割と身近な出来事でもあった。
だから彼女は、今城の外から聞こえてくる騒がしい音の発生源が。何者かが城に攻め込み、護衛と戦闘を繰り広げているのが理由であると結論付ける。
だが、カガリ家領の本拠地でもあるここシラヌヒ城は、街の三方を天然の山壁に囲まれている。順って、他の八葉の軍隊が攻め込んでくるという事態はまずあり得ない。
ならば、今。カガリ家の武侠が迎え撃っている敵の正体とは。
「……一体、外で何が起こってるの?」
外に出る事は禁じられてはいたが、幸いにも今はそれを咎める見張りも不在だ。
果たして城外で何が起きているのか、マツリが抱く心情は、何も好奇心だけではない。
妹フブキの身柄を不当に確保したジャトラによって人質とされ、数々の無茶な発言を渋々ながら受け入れてしまっていた当主の時のマツリだったが。
ジャトラの権力が増す度に、彼に追従する勢力と。あくまでマツリを支持する勢力とに、カガリ家の内部は真っ二つに割れていたのを理解していない程。マツリは暗愚でも、傀儡という立場に甘んじていたわけでもなかった。
マツリは当主でいた間、自分を支持する勢力が暴発し、ジャトラ勢力と無駄な衝突をしないよう心を砕いていたのだったが。当然ながら、マツリが不在となれば最早、暴発を止める者は誰もいない。
もしかしたら今、城の外で戦っているのは自を支持する勢力が、武力で行動に出たからかもしれない。
事実が何であるのかを確かめようと、小屋の扉を開けて外に出ようとしたマツリだったが。
「──あ」
まさにマツリの目の前に立ち塞がるよう、立っていたのは。両の眼を真っ赤に血走らせ、息を荒らげていた壮年の男。
「はあ、っ……はぁっ……ど、何処へ、逃げようというのだ、マツリ様っ?」
「な? じゃ、ジャトラっ……なぜ、あなたがこんな場所にっ!」
外へと出ようとしたマツリを叱咤し、小屋の中へと戻ろうとした彼女の手首を強く掴んで引き止めた壮年の男とは。
先程まで城の地下洞窟で、魔竜と会話をしていたジャトラ、その人だった。
「マツリ様。最後にカガリ家当主としてやって欲しい役目がある──黙ってついてきてもらおうっ!」




