242話 アズリア、黒髪の女中の不思議
立ち上がるのが間に合わない、と判断した黒装束の二人は。片膝を突くのを諦め、懐から短剣を取り出し。
向かって来るユーノとエルザに、握った短剣を投げつける迎撃方法に即座に切り替える──が。
「はっ! 今のオレにゃ止まって見えるっての!」
風を纏ったことで身体能力が上がっていたエルザは、ユーノを追い越す速度で黒装束との距離を一気に詰め。
左右に揺れるような足捌きで、迫る短剣を二本とも回避する。
『な、っ……は、速いっ⁉︎』
至近距離、しかも相手は接近していたとあって。黒装束らは短剣がいとも簡単に回避されるとは思ってもみなかったのか。
驚き、判断を間違えたと気付いた時には。黒装束は最早、二人の接近を避ける術は残されていなかった。
「せぇ……のっ!」
一度は振り上げた両斧槍の斧刃を、まだ地面に寝そべった体勢のままの黒装束の頭に振り下ろそうとしたが。
「──あ、そっか。殺しちゃ駄目なんだよな」
殺すな、とユーノに言い含められていたのを思い出し。即座に先端の斧刃ではなく、刃の付いていない側、石突と呼ばれる柄の底で。
黒装束の頭を真横へと殴り飛ばす。
「ったく、面倒くせえなあ」
『が、っ!……ぁ、ぁ』
両斧槍の柄で頭を殴られた黒装束は、衝撃で白目を剥き。短剣を投げるために起こした身体は、再び地面に倒れていく。
一人の意識を刈り取ったエルザは、続けてもう一人の黒装束を殴り付けようとするも。
「──あ?」
黒装束との距離を詰めた時点で、追い抜いた筈のユーノが。とっくにもう一人の黒装束を気絶させていたのだ。
……いや。
「え、えっと……ゆ、ユーノ様、それ……生きてるんですかね?」
「え? うーんと……わかんないっ!」
ユーノが腕に装着した巨大な籠手、この拳で殴られた黒装束だったが。
エルザの目からは、男は意識を失っているだけではなく。拳で殴られた時の衝撃の大きさで、目や鼻の穴から血を大量に流し。まだ男に息があるか、は不明だったからだ。
──とにかく、ユーノの側は決着が付いた。
残すは、アタシのいる左側だ。
後はアタシの前に倒れている二人を黙らせれば、突然の襲撃は決着するのだが。
アタシは隣に並んだ「お嬢の女中」を名乗った黒髪の女へ、僅かに視線を移す。
「どう見ても……アタシより、歳が下なんだよねぇ」
というのも、アタシがお嬢に虐げられていた幼少期。お嬢の世話役として控えていた護衛や世話役の中に、一度も見た事のない顔だったからだ。
本来であれば、お嬢は「帝国の三薔薇」と呼ばれる権力ある家の人間だ。
当然、お嬢と顔を合わせなくなってから既に十年ほどが経過し、護衛や世話役だって何人も入れ替わってはいるだろう。
アタシが今、疑問に思っていたのは。女中の顔に見覚えがなかった事ではなく。
「この女中。アタシ、何処かで……会ったコト、あったかねぇ……?」
一度も会った事のない筈の彼女の顔が、何故だかアタシの記憶の中にあったからだ。
幼少期で、では決してない。
あの頃にお嬢の側で控えていたのは屈強な騎士か、鋭い目線をアタシに向けた老執事。そして妙齢の女性らだけであった。
アタシやお嬢と同年代の黒髪の女の子など、まるで見覚えがなかった。
かと言って、アタシが世界を旅して歩いていた過去を振り返ってみても。彼女のような容姿の人間と遭遇した記憶は、まるで無い。
それに、帝国では皇帝に次ぐ権力者の立場のお嬢を、この国まで唯一人で護衛する人間だ。実力もさる事ながら、権力者の護衛という立場は短い期間で勝ち取れる信頼でもない。
本来なら、お嬢の女中の彼女とアタシの接点など。幼少期を除けば、何処にもない筈なのだが。
「……どうしましたか、アズリア様?」
「い、いやッ、何でもないよッ!」
視線を向けていた黒髪の女中は、目の前の敵ではなく自分を不思議そうに見ていた視線を不審に感じたからだろうか。
女中から声を掛けられ、反射的に目を逸らしてしまったアタシ。
「では、まず私が襲撃者に仕掛けます」
今の視線と言葉のやり取りで、アタシが動揺したのを見抜いたからか。
こちらの返答を待たずに、左右の手に短剣を構え、アタシよりも前に飛び出し。黒装束二人に襲い掛かる黒髪の女中。
「う、うおお……ッ?」
いくらアタシが今、右眼の「巨人の恩恵」の魔術文字を発動していないとはいえ。
アタシの先を駆ける、黒髪の女中の踏み込みの速度は。それだけでも、お嬢の護衛をただ一人で担当するだけの実力者だと知るには充分すぎた。
しかも、女中の実力は迅速な足捌きだけでは終わらない。
黒装束が焦り、立ち上がるのを諦め、懐から短剣を取り出そうとするが。こちらへ投擲するよりも早く、黒髪の女中の接近を許し。
『──が、は……っっ⁉︎』
女中が握っていた短剣は、驚く黒装束の喉へと到達し。躊躇なく無防備な首筋へと、刃を一直線に奔らせると。
ぱっくりと首が裂け、傷口から大量の鮮血を噴き出しながら地面に崩れ落ちる黒装束。首を大きく斬られたのだ、当然ながら致命傷だった。
城内の情報を襲撃者から聞き出す予定だったアタシは、躊躇いもなく黒装束の生命を絶った女中を止めようとしたが。
「お、おいッ待てよ! 生かしておかなきゃ話聞けねぇだろッ──」
「相手はこちらを殺そうとしたのですから、相応の対応をしただけですが」
「いや、そうじゃなくてねぇ……ッ!」
「御安心を。一人は残しておきますから」
確かに、情報を引き出すためなら捕虜として一人確保しておけばよい。
殺意を向けた相手に、下手に情けを掛ける必要もないという理屈は決して間違えてはいないのだが。
大剣を構えたアタシと、たった今黒装束の生命を刈り取ったばかりの黒髪の女中。
城壁から落ちた事で逃げ場はなく、さらに転倒した状態で。敗北は避けられず、逃走すら困難である、と悟った最後の一人は。
『……最早、これまで』
そう呟いた黒装束が、懐から取り出した短剣の切先を。アタシらではなく、自分の喉元へと向け。
降伏し捕虜となるのではなく、自ら生命を断つつもりだったのだろう。
だが。
黒装束よりも、女中よりも。
今度はアタシが一番早く反応し。
「死ぬなら知ってるコト話してからにしろ……ッての!」
『──ご、へぇっっっ⁉︎』
構えた大剣の刃を寝かせ、幅広く平たい刀身の部分で、黒装束の頭を殴り付けたのだった。
何かが潰れたような情け無い声を出した男は、そのまま力無く膝から崩れ落ちていく。




