239話 ジャトラ、いよいよ窮地に陥る
今回の話の主な登場人物
ジャトラ 当主マツリからカガリ家当主の座を強奪した武侠
「嘘だ! 嘘だ、嘘だ……どこで、どこで完璧だった計画に狂いが生まれたっ?」
爪を噛みながら、今一度自分が置かれた状況を確認していたのは。一連の騒動の元凶となった人物・ジャトラであった。
ジャトラは、先程までシラヌヒ城の最上階は天守閣にて。最強の傭兵団「韃靼」の中でも、最も腕の立つとされる人物・カムロギと侵入者の女との戦闘を眺めていたばかりだったが。
今、彼はというと。顔には焦りを色濃く浮かべながら、天守閣から下の階層へと階段を駆け下りている最中だった。
「こ、ここまで俺がカガリ家を掌握するのに、どれだけの時間と労力を費したというのに……」
ジャトラ・コクエン。カガリ家に最も忠義が深く、功績の大きさを最も認められたコクエン家の当主である人物だったが。
この国で地の底から復活した「八頭魔竜」の存在が。彼を突如として、狂気へと奔らせた。
彼、ジャトラは。カガリ家当主マツリから「八葉の当主」という地位を、妹フブキを人質にし脅迫する……という強引な手法で奪い。魔竜を、いや魔竜の力のみを従え。カガリ領をいずれはコクエン領と名を改めさせる野望を抱いており。
目的はあと一歩で達成出来た筈であった。
なのに。
なのに、である。
「な、なのにっ!……何なんだあの女どもは? 三〇〇を超える護衛を集め、四本槍に最強の傭兵団……これ程の戦力を揃えながら、何故だ!」
シラヌヒ城に辿り着くには三つの門を突破する必要がある。
三つの門の警備にも、揃えられる限り最大人数の武侠を投入し。直前に当主の座を強奪したことでカガリ家最大戦力である「四本槍」の四人。
さらに用心を重ね、一度は解散したと聞いた最強の傭兵団「韃靼」の四人を集め、護衛の依頼をした。
これだけの戦力が今、突破されたのだ。
城内で軟禁していた当主マツリの妹・フブキが。厳重な警備の目を盗み、城の外へと脱出をしてからジャトラの計画は狂い始めた。
「フブキの替え玉は用意してあった。だから寧ろ、手元から逃げたのなら殺してしまえばよかった……そう、殺せていればよかったのだ!」
だが、シラヌヒの周囲を配下らに隈なく捜索させたものの、フブキを発見する事は出来ず。フブキ発見の報を聞いたのは、城を逃亡してから一〇日程が経過した、本拠地シラヌヒより離れたフルベの街からだった。
さすがに当主の妹君を「その場で殺せ」と命令するわけにはいかなかったが。フルベの街の領主はジャトラに近しい派閥の側だったため、こちらへと捕らえたフブキを護送させるのは容易だったし。
報告では、捕らえた際に矢傷を受けたと聞いたため。傷を治療せず放置すれば死んでくれるかもしれない、と淡い期待もしていたのだったが。
フブキは死んではくれなかった。
それどころか。異国の女戦士を護衛として味方に付け、真っ向から対決姿勢を見せてきたのだ。
彼女らがまず行ったのは、フルベの街の領主を倒し、元の当主であったマツリ様を支持する領主へと交代した事だった。
フルベの街は、カガリ領最大の規模を誇る都市であり、カガリ領全体の物資の流通を一手に引き受けていた商業都市。そんな都市の支配権を奪還され、ジャトラの懐事情は一気に悪化した。
それだけに止まらず。フルベの街がマツリ陣営に変わった知らせは、どちらの陣営を支持するかを決めあぐねていた中立派に届き。途端に「ジャトラを支持せず」という判断を主要四都市にされる憂き目に遭う。
そして、フブキはさらなる協力者を引き連れ。何故か厳重なシラヌヒ城下街の警備の目を潜り抜け、突然城門に現れたかと思うと。
こちらが何か手を打つ間もなく、瞬く間に一の門、二の門を突破し……そして。
ついにはカムロギを倒し、三の門を突破してしまう。
「こ、このままあの侵入者どもが、マツリ様を見つけてしまえば……待っているのは破滅だ」
すると、焦り顔で階段を駆け下りるジャトラに語りかける声。
『──ジャトラ様』
「う、おおっ⁉︎」
だが、声はすれど周囲には人の気配はない。
それもその筈。声の正体は、絶えずジャトラの命令で情報収集や暗殺任務などを行う「影」。ジャトラからすれば聞き慣れている声なのだが。
突然の呼び掛けに、焦っていたジャトラは驚き、階段を踏み外してしまいそうになる。
『我ら影、四本槍の皆様やあの……『韃靼』の連中を押して通る実力の持ち主に、何が出来るかは分かりませぬが。せめて最後まで、ジャトラ様の盾になる所存です』
「あ、あの腕利きを狙う必要はないぞっ、あ、あくまで、狙いはフブキ一人でよい、っ」
実は、フブキが援軍を連れて侵入したという報告を受けてから。既に影らには「隙あらばフブキを殺害せよ」と命令を下していた。
なのに、三の門での戦闘を城の最上階は天守閣から眺めた時には、フブキはいまだ存命だった。影は任務を達成出来ていなかったのだ。
だからジャトラも口にはしてみたものの。この時点まで成功していない暗殺任務を、今更になって達成出来るとは微塵にも思わなかったが。
最早、ジャトラの手元に残っている戦力は彼ら「影」だけなのだから。
『──御意に』
影は、そう承諾の意を表す言葉を告げた後、完全にジャトラの周囲から気配を消した。
完全に追い詰められた状況のジャトラではあったが。万が一、影がフブキの暗殺に成功したならば、圧倒的な劣勢をひっくり返す事が出来るからだ。
「いざとなればマツリ様を……消す必要がある、か」
だが、フブキが止められないのならば。手元にあり、ある程度自由に扱えるマツリに対し、非情な手を下す事を視野に入れたジャトラ。
これまでは軟禁していたフブキの身柄の保障を代償として、当主であったマツリに自分の提案を飲ませていたが。
いよいよ魔竜を従えている事を背景に、当主の座をマツリから強奪した今。マツリの身柄はジャトラにとっては邪魔でしかない……それでも排除出来なかった理由があった。
この国は、八葉と呼ばれる有力な八つの家系と、さらに八葉を統べる「太閤」という支配者的存在がいる。
八葉の当主、として正式に認められるにはこの「太閤」への拝謁と、直接の報告が必須となるため。
二つの条件を満たしていないジャトラは正式なカガリ家当主ではなく、そして「太閤」への拝謁許可は、認定された八葉の当主以外では認められない。
つまりは、ジャトラが正式にカガリ家当主として任命されるためには。他の八葉の当主もしくはマツリに働きかけるしかないのだ。
言い換えれば。マツリが一番適任ではあるものの、他の八葉の当主と友好関係を結び、働きかけても何とかなる事ではある。相当な期間と代償を要するだろうが。
それでも。
「俺は……この手で妻と子でさえも、魔竜に差し出したのだ。今さら、後戻りも改心も受け入れられるものか……っっ!」
ジャトラは妻サラサと息子のタツトラを、魔竜の言うがままに生贄として喰わせてしまった時を思い返し。
握り締めた拳からは、あまりに強く握りすぎて爪が喰い込んだことで、ぽたぽたと血が垂れ。悔悟からか下唇を噛み、口からも血を流していた。
「こ、こうなったら──」
そしてジャトラは、城の地下に広がる空洞へと無意識に歩を進めていた。彼が最後に縋るのは、もうそれしか残っていなかったからだ。
ジャトラの両の眼に宿っていたのは、狂気。
妻と子すら自分の野望の糧にした男の、末路だった。




