238話 カムロギ、報復を果たした後
イスルギの報告の通りだった。
俺が辿り着いた先は、キバガミ家に仕える武侠の一族・タチバナ家の屋敷。
タチバナ家の連中は、俺がまだキバガミ家に属していた頃から、何かと敵対意識を向けてきていた相手だ。
ただ、過去の栄光に縋り付き、自分たちは大した力も持たず、俺に嫉妬してきたタチバナ家は。その後、戦で大きな失態をして没落間近だった。
そんな時、俺たち傭兵団の連戦連勝の活躍を噂で聞きつけ、嫉妬の炎が再燃し。完全に立場を失う前に、俺に少しでも報復したい……というのが動機だと聞いた。
だから、俺が正面から姿を見せた際も。
報復を果たした後、まさか当人である俺が直接現れるなど想定もしていなかったようで。
『き、貴様カムロギっ⁉︎ な、何故っ……貴様がここにっ、ここはキバガミ領、裏切り者の貴様が足を踏み入れていい場所ではないぞっ!』
名前は……忘れた、が。
キバガミ家の武侠の一人が、正面から屋敷へ乗り込んできた侵入者である筈の俺に。指を差しながら、驚きの顔を見せていた。
敵である俺に対し、腰に挿した武器も抜かずに。
こちらは既に殺意を漲らせ、隠す気すらなかったというのに。
『何とか言ったらどう──』
何故、侵入者である俺が正面から屋敷に入れたのかを考えはしなかったのだろうか。
俺は、門番を斬った血塗られた刃を、指を差し喚き立てていた男の首筋目掛け。スッ、と剣閃を走らせた。
直後、男の言葉は途中で遮られ。
代わりに男の口から吐き出されたのは、真っ赤な血。
『……ご、ふ……っっ?』
一瞬遅れて、真横に薙いだ首が裂け、大きく開いた傷口から勢い良く血が噴き出る。
首筋を一撃で断たれた男が、自分が流した血溜まりに音も無く崩れ落ちていくのを合図に。
『み……皆の衆っ、か、カムロギだああああ!』
敵襲を告げる大声でようやく屋敷の中から大勢の武侠が、全員が剣を抜いた状態で現れる。
その数、およそ三〇。
その時、俺が右手に握っていた黒い片刃剣が小刻みに震え出し、まるで泣いているかのような音で風を纏い始める。
と同時に、俺の頭に流れ込んでくるのは。理不尽な暴力で生命を奪われた娘クロエの、無念を告げる声と、怒り。
──そうだ。
妻と娘の生命を奪った連中が目の前にいるのだ。
一人残らず、鏖殺する。
「う──おおおおおおおおォォォォっっっっつ‼︎」
妻と娘を失ったあの日以来、俺は初めて感情を昂らせ、胸に滾る激情に身を任せながら剣を振るう。
目の前の視界に入った男の胴を薙ぐつもりで。
その時。
俺の剣閃が、伸びた。
『ぐ、は……ああああ⁉︎』
腹を真横に斬り裂かれた男だけでなく。男の左右に並び立っていた者や、男の背後で剣を構えていた者など。刃の長さからして、届かない位置にいた筈なのに。
今、俺が放ったただ一撃のみで。四人の武侠が腹を大きく裂かれていた。どの傷口は内臓にまで達している、一目で致命傷と分かる程だし。俺が直接胴を斬り裂いた男などは、上と下が完全に両断されていた。
『う、うわあああ、ま、魔法、だとお?』
一度に四人もの味方が斬り殺され、しかもその内三人は本来なら刃の届かぬ位置に立っていたにもかかわらず、なのだ。
誰もがまず「魔法を使った」という結論に達するのは当然の話だったが。残念ながら、俺は一度に四人も始末出来る魔法を知らず。また、そんな強力な魔法を発動出来る魔力を俺は持ち合わせていなかったからだ。
『よ、よくも……よくもおおおお!』
不可解な現象に驚いていた間隙を突かれ。タチバナ家の武侠の一人が声を上げ、真横から斬り掛かってくる。
一瞬、反応が遅れたものの。俺は男の胴を斬り裂いたのとは逆の手に握っていた、純白の片刃剣で防御しようとした──その時。
「ま……マシロっ?」
頭の中に、妻の声を聞いたような気がした。
次の瞬間。
襲い掛かる男と俺の間に、水の壁が現れる。
『き、貴様、カムロギっ、やはり魔法を使えたのか──がっっ⁉︎』
男が俺の不意を突き、振るってきた剣撃は。突然俺の前に現れた水の壁によって、男の前進を阻んだ事により無効化され。
男の攻撃を防いだ途端、水の壁が崩れ落ち。防御に、と構えていた純白の刃が動きを止めた男の喉を掻き切っていく。
「マシロ……それに、クロエ。死んでなお、俺と一緒に戦ってくれるのか……っ?」
俺は、確信した。
俺が握っている二本の片刃剣には、骨を混ぜてもらったからなのだろう、妻マシロと娘クロエが宿っており。二人が俺に、使えない筈の魔法を与えてくれたのだと。
「さあ、始めようか。お前たち二人が味わった苦痛と絶望を、ここにいる全員に与えてやろう」
俺の言葉に、左右の手に握っていた剣が僅かに応えてくれた気がする。
何人分かの返り血を浴び、真っ赤に染まった俺に恐怖したのか。タチバナ家の武侠らは全員が及び腰となり、少しでも刃が届かぬ距離を保ちたいのか、後退りを始めた。
既に六人もの武侠と、屋敷の門の前にも倒れている門番ら。まだ二〇人以上いるのに、ほぼ全員が戦意を喪失していた……だから。
俺は、ただ淡々と復讐を完遂していく。
連中が怯えていようが、逃げて背中を見せようが、命乞いをしようが、関係なく。淡々と妻と娘が宿る二本の刃に血を吸わせていった。
最後の一人に残されたのは、タチバナ家の当主。
名前は、覚えていないが。
『な、何で……何でこんな事にぃ……っ』
どんなに泣き声を呟こうが、救援に来る人間は最早、ない。
俺を取り囲んでいた三〇人ほどの配下の武侠は、全員が血の海に沈んで息絶えていたし。キバガミ家に属する他の武侠に救援を送った様子もなかったからだ。
まあ……周囲に救援をしていたとしても。イスルギの報告が正しいのならば、没落間近のタチバナ家に助けの手を出すとも思えない。
『か……金なら、いくらでも、出すぞ、っ?』
まさに孤立無援。さすがに自分が置かれた絶望的な状況を理解したのか、切先を鼻に突き付ける俺に怯えた口調で命乞いを始める。
だが、没落間近のタチバナ家に。傭兵団として高額の報酬を積まれるのを散々見てきた俺を、満足させられる額を用意出来るとは思えないし。
「なら。妻と娘を生き返らせてくれ」
『そ……それ、はっ?』
死者を蘇生させる事など不可能だ。たとえこの国の支配者である「太閤」や八葉の当主であっても。
分かっていて、敢えて最後の男に問うてみせたのは。この連中が「俺への嫉妬」などという下らない理由で俺から奪ったものに代用品などない、という事実を刻んでやりたかったからに他ならない。
「出来るわけないよな……だから」
『が、ぎ、う、嘘、嘘うそうそっ──』
俺は、男の鼻先に突き付けていた片刃剣の鋭く尖った先端を。鼻より少し上、眉間へと刺していくと。
そのまま力を込め、刀身をズブズブと頭へと沈めていく。
『ぎゃあああああ痛い痛い痛いいい? こ、殺すならせめて一思いにいいいい!』
妻と娘を槍で貫いて放置した人間が何を言っても、俺の耳には届かなかった。
命乞いと断末魔を延々と叫びながら、最後には口から血の泡を噴きながら男は死んでいった。
妻と娘の報復は終わった。
だが、この先。俺は何をしたらよいのか。
「……はは。マシロ、クロエ。父さん、どうしたら……いいんだろうな」
俺は血塗れのまま、タチバナ家の屋敷を後にし。目的を果たした事で今まで俺を動かしていた激情が消え、再び心の中にぽっかりと虚無感が生まれ。
何処を目指すわけもなく、当てもなく彷徨い歩く。
そこから今の盗賊団の一味と出会うまでの間。
◇
「ああ……何で、今。あの時の事を思い出したんだろうな……」
頭を強く殴られたからか、全身が痺れて均衡が保てずにいた身体が徐々に動きを取り戻す。
だが、それ以上に。
戦技に魔法、自分が持っていた全てを出し尽くし、その上をいかれて敗北した事が強く堪えていた。
「マシロ……クロエ……父さん、負けてしまったよ。俺より強い心を持ってた、アズリアという武侠に」
そう呟きながら、カムロギは白と黒、二本の剣に手を伸ばしはするものの。柄を握らずに、二本の剣を抱き寄せながら。
両の眼から、涙を流し始めるのだった。




