236話 カムロギ、過去の悲劇を回想する
この話の主な登場人物
カムロギ 傭兵団「韃靼」最強の二刀流の剣士
マシロ カムロギの妻
クロエ カムロギの娘
三の門を開くための鍵を手渡した俺は、自分を倒したアズリアとその仲間が通り過ぎて行く中。
ふと、地面に転がっていた「白雨」と「黒風」、二本の武器が視線に入ると。
目蓋を閉じ、五年前に死別した妻と娘の思い出を頭に思い浮かべていた。
「マシロ……クロエ……俺は、間違ってたのか?」
◇
俺は、カガリ家領の生まれではない。
此処より遠く離れた、キバガミ家領では名の知れた武侠だった。
どうして強くなったのか、と問われれば。
ただ剣を振るうしか俺にはなかったから、と言わざるを得ない。
政事に深いわけでもなく、良く回る頭を持っていたわけでもない。ただ、周囲を卓越した剣の実力のみで名前が広まり。俺の名は、キバカミ領だけでなく他の八葉の領地にも伝わる程に。
キバカミ家に仕えることになった俺は、最初の頃こそ仲間から剣の腕を妬まれ、疎まれる事もあったが。成果を積み重ねていく内に、嫉妬の声は無視出来る程に小さくなっていき。それなりの地位を得る事になった俺だったが。
ある時、運命を左右する事件が起きる。
俺は、一人の女性を愛してしまった。
黒髪に黒い眼、この国ではごく平凡な容姿に、武侠の家ではない農民の生まれだったが。それでも俺は彼女を愛してしまったのだ。
だが、俺が愛した女性はキバカミ領の人間ですらなく、当主が俺との婚姻を結ぶため用意した良家の娘でもなかった。
キバカミ家への忠誠か、それとも愛した女性への想いか。俺は迷いもなく女性を選び、キバカミ領から去った。
それが、妻マシロとの出会いと馴初め。
「あなた……本当に、良かったのですか?」
もし俺が妻を選ばずに、キバカミ家が用意した良家の娘を嫁に選んでいたら。俺は今頃、領主の地位が与えられていた。
キバカミ当主からの提案を蹴った事を知るマシロは、自分を選んだ俺にこう問うたのだが。
「俺の心は決まっている。君じゃないと駄目なんだ」
妻の手を取り、こう返したのは今でも忘れはしないだろう。
そんな経緯で、本来なら主人に仕え、忠誠を誓い剣を振るう武侠ではなくなった俺は。
生活のための金を稼ぐため、自分の唯一の取り柄とも言える剣の腕を売り込む事にした。幸いにも、俺の実力と名前はキバカミ領を飛び越え、他の八葉の領内にも届いていた事もあり。
金を積んででも、俺を戦に担ぎ出したい連中は後を断たなかった。
考えてみれば、当時は。この国の土地が徐々に痩せ衰え、作物の収穫量も減少し。
八葉の領地の境目付近では、少しでも領土を拡大しようと戦が頻繁していたのを思い出す。
そんな数々の戦で、剣を振るう内に。
「……こちらの負けだ。捕虜にはならん、殺せ」
普通に弓を扱ったならばまず届く事のない距離を、百発百中で矢を射る凄腕の男ながら。あまり口数が多くない、その寡黙さから周囲に避けられていた男・イスルギ。
そして。
「ケッ……オレが負けたのは運が悪かったからだ、もし次がありゃ、次は絶対に……テメェを殺してやるぜぇ!」
溶岩の魔剣カグツチを振るい、敵味方問わず無数の武侠をいとも簡単に斬り裂き、黒炭になるまで燃やし尽くしたため。味方の援護を貰えずに戦場で孤立した女戦士・オニメ。
戦場にて俺は珍しく苦戦を強いられた末、打ち負かした二人を、生かしたまま配下に加え。
「あのさぁ、ここなら好き放題暴れられるって聞いたんだけど」
どの領主にも属さず、一度限りの契約と高額の報酬で味方陣営に勝利を約束する……という噂を聞き付けたのか。
俺の配下に加わりたい、と言ってきたのは。この国に伝わる素手格闘術の一つ・南天紅雀拳を習得した少年・シュパヤ。
どうやら、遥か昔に交流を絶った北の巨大な大陸では。俺のような生き方を「傭兵」と呼ぶらしい……と噂を聞き。
この三人を仲間に加え、傭兵団を名乗る事にした。
傭兵団は連戦連勝。高額な報酬が積み上がり、俺ら四人はそれぞれに大きな屋敷を建て、暮らしていた。
それこそ、俺がなり損ねた一都市の領主にも匹敵する程に立派な屋敷を。
そんなある日。
戦を終え、屋敷に戻った俺を出迎えてくれた妻マシロが告げたのは。
「……あなたの子を授かったみたいです」
まるで熟れた果実のように、頬を真っ赤に染めながら。俺と妻との間に子供が出来たという知らせだった。
「そうか! でかしたぞマシロ!」
「きゃ?……あ、あなたっ、ちょ、お腹の子が驚いてしまいますっ──」
「いや嬉しい! さて、子供はお前に似た美人の娘か、それとも勇ましい男の子か、とにかく嬉しいぞ!」
「も、もう……あなた……っ」
嬉しさのあまりに俺は、子供を授かった妻の身体を抱き上げ、何度も感謝の言葉を掛けた……というのを。後日、妻の口から呆れ顔半分、叱られ半分に聞かされることとなった。
そして、妻が我が子を産んだ当日。
俺は生まれた自分の娘に、ずっと考えに考えていた名前を妻に提案する。
「この子の名は……クロエにしよう」
「クロエ。良い名前です……」
こうして誕生した自分の娘クロエと、愛する妻マシロとの生活。それを維持するための傭兵稼業での仲間ら。
そう、この時まで俺は確かに幸せの中にいた。
……俺の運命の天秤が傾いた、五年前のあの忌まわしき日までは。
『か、カムロギ様っ、や……屋敷が賊の手にっ!』
参戦していた戦の最中、屋敷を護衛していた武侠の一人が。深傷を負った身体で早馬で駆け、俺に告げたのは。
屋敷が襲撃を受けた、という知らせであった。
戦の状況は、俺がいなくとも勝利は揺るぐ事はないと知り。後は三人に託し、俺は急いで屋敷へと戻る。
「マシロ……クロエ……無事でいてくれっ……」
だが、願いも虚しく。
俺が到着した頃には既に、屋敷は焼け落ちており。辺りには襲われ惨殺された、もしくは炎に巻かれ焼け焦げた死骸が無数に転がるのみだった。
──その死骸の中に。
「マシロ……クロエ……っっ⁉︎」
まだ幼い娘を守るように覆い被さっていた妻を俺は発見したが。妻の背中には槍が深く突き刺さり、二人の身体を貫通していた。
既に娘は事切れていたが、まだ妻は息をしていた事もあり。俺は必死に背中の槍を引き抜こうとした。
「い、今、助けてやるぞ! マシロっ!」
自分の言葉がただの気休めなのは、口にした自分が一番良く理解していた。明らかに妻の背中を貫通した傷は致命傷であり、俺は傷を癒す魔法も手段も持ち合わせていない。槍を抜けば、傷口から血が溢れ、妻の死期を早めてしまうだろう事もまた。
それでも、妻と娘に槍が刺さったままという状況が耐え難かった俺は。娘の生命を奪い、今まさに妻の生命まで刈り取ろうとする槍を引き抜こうと懸命だった。
そんな俺に、震える手を伸ばした妻は。
「……い、一緒に……生きれなくて、ごめん、な……さ、い……」
口から溢れた血を吐きながら、最後の言葉を俺へと伝えた直後。
彼女の両の瞳からは生命の灯が消え、伸ばしていた手が地面に落ちる。
「ま、マシロおおお──うおォォォォォォっっ⁉︎」
まるで、俺の悲痛な絶叫が天に届いたかのように。
突然の豪雨が、燃えていた屋敷の火を消していった。




