233話 アズリア、魔鎖の秘めたる力
咄嗟に動いたとはいえ、カムロギの斬撃の威力は何度も大剣で受け、弾き。この身に喰らったからこそ分かる。
いくら刃から拳を守るため、鎖を巻き付けたとはいえ。拳一つで叩き落せる威力ではない、ということを。
「だけどあの時……アタシの腕は、確かに」
カムロギが腹を薙ごうとした刃を弾き飛ばすことが出来たのは、鎖が巻いてあったから……だけではない。
防御の際、アタシの左腕はまるで自分の身体ではない感覚。言うなれば、手首の先が今アタシが右手で握っているクロイツ鋼製の大剣に変わってしまったような重量感。
その重さが拳に乗っていたからこそ、アタシはカムロギの斬撃を防御することが可能だった。
ならば。
「魔を喰らう鎖を、大剣に巻き付けりゃ……」
幸運……とは言い難いが、今のアタシには無数の刃傷があり。魔術文字を塗り替えるための触媒として必要な、アタシの血には事欠かない。
だからアタシは一瞬、カムロギを迎え撃つために新たな魔術文字を発動させようかを考えたのだ。
万物を斬り裂く斬撃を放つ「漆黒の魔剣」ならば。まさに目の前でカムロギがアタシに放たんとしている「天瓊戈」を。
──水属性の攻撃魔法「水の槍」の威力を、刺突の構えで飛躍的に強化し。同時に風属性の魔力を帯びた魔剣から打ち出される衝撃を纏わせ、アタシの右肩に穴を空けた戦技。
魔法の特性を持つため、通常は武器で防御も迎撃も出来ないが。あらゆる物を断つ事が出来る「漆黒の魔剣」なら或いは。カムロギの「天瓊戈」にも対抗出来るか……と考えたアタシだったが。
左腕に起きた、好ましい違和感の正体。それに気付いたアタシは。
「……魔を喰らう鎖ッッ!」
防御のために左腕に巻き付いていた「魔を喰らう鎖」を解き。アタシの魔力を巡らせた鎖は、手で触れる事なく右手で握っていた大剣へと移動していく。
──ここまで僅か、息を一度吐くだけの間。
その間にも、カムロギは既に力を溜め終わっていたのか。アタシの迎撃の準備を待つ事もなく、攻撃の態勢へと移行していくと。
「これで……終わりにするぞ」
そう言い放ったカムロギと、視線が交錯する。
見れば、カムロギの胸や脇腹にアタシの大剣が与えた傷は、決して浅くはないようだ。傷から流れる血が、彼が着ている衣服を徐々に赤く染め上げていく。
しかし何より深刻なのは、残り少ない魔力だろう。戦闘の最中に、アタシは何度か魔力を視る事の出来る「魔視」を使う機会があったが。その時に視たカムロギの魔力は、大した量ではなかった。
それがつい先程まで「魔を喰らう鎖」で拘束され、魔力を鎖に吸収されていたのだから。いくら魔剣「白雨」が帯びた魔力を用いていたとしても、カムロギ本人の魔力を回復出来るわけではなく。
魔鎖でこれ以上、束縛を許してしまえば。魔力の枯渇を引き起こすだろう。
「その鎖で魔力を封じられては厄介だからな。お前が動くよりも前に──」
カムロギが勝負の決着を急く理由、それは。「魔を喰らう鎖」を警戒し、危機感を抱いているからに他ならない。
胸の後ろへと引き絞っていた構えを解き、双剣の切先が勢いよく空を斬り裂く、鋭い刺突。
「貫けえ、っ──天瓊戈おおお!」
周囲の空気が震える程の絶叫とともに、純白の魔剣に溜められていた魔力が一気に解放される。槍状の水が切先から溢れて、一直線にアタシへと飛び出し。
と同時に、漆黒の刃から放たれた凄まじい衝撃が水の槍と交差し合い。魔法と剣撃が互いを邪魔せず、威力を高めあう奇跡的な一撃が。
アタシの生命を刈り取るために、迫る。
「この間合いならば……回避は不可能っ‼︎」
カムロギの言葉は的を射ている。
これまでに数度「天瓊戈」なる攻撃を受けた際は、アタシとの距離は一〇歩以上の開きがあった。だからまだ、回避か防御かをアタシが選択出来る余地が残されていたが。
今、アタシとカムロギとの距離は半分以下。踏み出して五歩以内の位置に立っていた。この間合いでは、高速で迫る水の槍を回避するのは困難。
「……はッ」
そして、回避が間に合わないのなら。魔術文字を新たに描き直す時間の余裕など、ない。
「どうやら、魔を喰らう鎖に生命を預けるコトになっちまいそうだ、ねぇ」
魔術文字の新たな活用法を偶然にも発見出来た事は、アタシにとって僥倖だったにせよ。
まさか、まだ確信もない方法に自分の生命を委ねる羽目になろうとは。カムロギの放った一撃を前に、窮地に追い込まれたアタシの胸中は不安しかなかった筈……だが。
「……なのに」
何故かアタシは、無意識ながら頬が緩み、口角が吊り上がり笑顔を浮かべてしまっていた。
不安しかない、と思っていた胸には僅かに、ではあったが。湧き立つような歓喜の感情が芽生えてもいた。
「何でこんな、胸が高鳴ってるんだろうねぇ、アタシは……ッ」
新しい魔術文字の活用法を知った事が、そこまで嬉しかったのか。
それとも。カムロギ、という強敵と剣を交える時間を「楽しい」と感じてしまっていたのだろうか。
互いに、フブキとジャトラ。カガリ家当主の座を争う勢力側に立っていなければ。もっと心行くまで、魔術文字を出し惜しみせずに戦う事が出来たのかもしれない。
だが、今のアタシには。フブキを、城の最上階から邪魔をしてきたジャトラに当主の椅子を奪われた姉マツリと再会させるという目的がある。
そしてもう一つ、アタシの目的も。
そのためには、カムロギとの決着を付けねばならない。
今、此処で。
「いや。コレで決めるよ」
アタシは、左拳でカムロギの斬撃を叩き落とし、刃を弾いた時と同じように。魔力を、大剣に刻んだ「軍神の加護」の魔術文字に注ぎ込んでいくと。
漆黒の魔鎖が巻き付いていた、ただでさえ大人の男二人分程もある大剣の重量が、さらに重みを増す。
「……あ、ぐ? ぐ、うぅッ!」
右眼の魔術文字の魔力を巡らせ、腕力を増強している右手一本では。支える事が難しくなる程に。
あの時、魔鎖を巻いた左腕が重く感じた程だ。想定はしてはいたが。
「ま、まさか……こ、コレほど、とは、ね……ッ!」
大剣な重量が増加する、まではアタシも想定はしていたが。
まるで、同じ大剣を二本持っているかのような膨大な重量に。剣を握り、支えていたアタシの右腕は悲鳴を上げる。
クロイツ鋼は、帝国でしか開発されていない魔法金属だし。今、アタシが握っている馬鹿みたいな巨大さと重量の武器など、二本目を入手出来る筈もないが。
ただでさえ右肩を「天瓊戈」で貫かれた傷の痛みを我慢しているというのに。
「こ、この……まま、じゃ……ッ」
アタシは奥歯を噛み締め、右腕に力を込めていくが。
剣を握る指に懸かる途轍もない重量と、右肩の傷の痛みで。アタシは思わず、握っていた大剣の柄を手放してしまいそうになる。




