232話 アズリア、魔鎖の束縛を解く
「──ならば」
一度、距離が開いた時に緩んだ緊張感。
カムロギが口を開いた途端、再び周囲の空気が張り詰める感覚に。
アタシは息を整え、腕に奔る痛みを我慢しながら大剣を持ち上げ、構える。
「今度はこちらからいくぞ!」
次の瞬間、カムロギの姿が目の前から消えた。
いや、消えたのではなく。双剣を構えたカムロギを、瞬きをした僅かばかりの間に接近を許してしまったのだ。
消えた、と勘違いしてしまう程の踏み込みの速度で。
「う……嘘だ、ろッ!」
突然、目の前に現れたカムロギの動きの速さに、面食らってしまったアタシ。
思えば、カムロギと剣を交えてから、飛ぶ斬撃ではなく直に斬られたのは今回が初めてだった。だから余計に踏み込みの鋭さに驚いてしまったのはあった。
「いや……違う。こりゃ──あの時のッ!」
そうだ。初めて、なんかじゃなかった。
アタシは前に一度、同じ位の鋭い踏み込み。そして剣閃を見たことがあったのを思い出した。
流行り病の治療に、盗賊団の拠点に案内された時。姿を見せたカムロギに最初、敵だと勘違いされて浴びせられた一撃。
辛うじて大剣で防御が間に合った、あの一撃こそ。まさに今の攻撃と同じ踏み込みの速さだったのを。
だから。
アタシの身体が勝手に反応したのだろう。
「う、おッ?」
「──ぐ、う……っっ!」
カムロギが、アタシの胴体を斜めに斬り裂こうと振り抜いた左腕の「白雨」による純白の剣閃を。咄嗟に構えたアタシの大剣が受け止める。
衝突の際に大剣から伝わる衝撃と振動が、カムロギの一撃が凄まじい威力だったのをアタシに教える。
胸甲鎧を外している今の状態なら、肋骨ごと斬り裂かれていただろう……と。
いや、鎧を纏っていたとしても結果は同じ。致命傷を負っていた。
だが、とにかく。アタシはカムロギの斬撃を止めた。一度、攻撃を止めたのならば。右眼の魔術文字の効果を受けた膂力で、攻撃した曲刀を弾き飛ばせば──。
「──は」
アタシは一つ、重要な事を忘れていた。
今、大剣で受け止めた剣撃は一つ。だがカムロギが手にしているのは左右の双剣、ならば当然。もう一本の刃がアタシを狙っている筈。
だが、今のアタシはと言えば。カムロギの斬撃を受け止め、大剣を防御には使えず。しかも迂闊には攻撃が届く距離を空けられない状況にある。
「腹が無防備だったな、アズリアっっ!」
大剣と「白雨」の刃が軋み合う中、大きな隙を見せていたアタシの腹目掛け。カムロギは右手に握る、もう一本の魔剣「黒風」を横へと薙いで払う。
このまま腹を裂かれれば、当然ながら致命傷だ。アタシは腹の内側、臓物をブチ撒け、生命を落とすだろう。
大剣での防御も、足を使っての回避も封じられた今、アタシが動かせるのは武器を持たない左腕のみ。
だが、何も武器を持たず。籠手を装着しただけの左腕をただカムロギの斬撃の前に晒したとしても、左腕ごと腹を斬られるだけ。
──だったら。
「さ……させるかよおッ! 魔を喰らう鎖ッッ!」
アタシは、カムロギの左腕に絡み付き、魔剣「白雨」の魔力を抑えていた魔鎖の名前を叫び。魔剣と左腕の拘束を解除していくと。
カムロギの左腕から離れた「魔を喰らう鎖」が、魔術文字を刻まれた大剣にではなく。アタシの左腕に巻き付いていき。
「……こりゃあ」
不意に、アタシの左拳に宿る違和感。
まるでアタシの左腕が自分の肉体ではないような。
「うおおぉぉッッ!」
腹に迫る漆黒の斬撃に、鎖を巻いた拳を叩き付けた。
カムロギの振るった刃は、「魔を喰らう鎖」に止められ。違和感を覚えたまま、放った左拳の勢いによって弾き飛ばされていった。
「ば、馬鹿なっ、あの状況から防ぐ、だと……っ⁉︎」
完全に虚を突いた、と確信していたのだろう。
今の腹を狙った一撃が凌がれたことで。大剣と競っていたカムロギの左腕の力が、一瞬緩んだ。
一瞬の隙を、アタシは見逃がさず。
「脇が空いてるんだよカムロギッ!」
余裕が出来たことで、動くようになった両の脚に右眼の魔術文字の魔力を巡らせていき。アタシは、カムロギの脇腹へと蹴りを放つ。
「が、っ……っっ⁉︎」
踏み込みの速度を鋭くするため、前傾姿勢を取っていたカムロギは。その姿勢が仇となり、脇腹目掛けたアタシの蹴りを回避することが出来なかった。
しかも、アタシは意図していなかったが。蹴り脚が直撃したのは。先の攻防で、アタシが放った大剣で傷を負った側の脇腹だったため。
傷の上から蹴りを喰らったカムロギは、あからさまに苦痛に顔を歪め、呻き声を漏らしてしまうも。
まだ、彼の両目から闘志は消えておらず。
「く……くそ、っっ!」
左腕を縛っていた「魔を喰らう鎖」が解かれたことで、「白雨」が帯びた水属性の魔力も解放され。
咄嗟にアタシへと向けた純白の剣の切先から、水の塊が一直線に撃ち出される。
「が、ふ……ッッ?」
蹴りを放った直後、脚一本だけで立っている状態で魔法を避けることは出来ず。カムロギから放たれた水の塊が、アタシの腹へと直撃し、痛みと衝撃で怯んでしまう。
どうやら本当に咄嗟に発動させたのだろう、威力自体は大した事はなく。拳大の石をぶつけられた程度の痛みでしかなかったが、それでも。
劣勢のカムロギが一度、後方に退く時間を稼ぐには充分だった。
「鎖を解いたのは失敗だったな」
後方へと退がったカムロギは、左右二本の双剣を揃えてアタシへと切先を向け。力を溜めるために、弓矢を引き絞るような刺突の構えを見せる。
いや、あれはただの刺突ではない。
風属性の魔力を帯びた「黒風」と、水属性の魔力を帯びた「白雨」の力。そしてカムロギの剣の技量が揃って放つ事の出来る、最後の一手。
──「天瓊戈」。
先の攻防では、魔力を封じる「魔を喰らう鎖」でカムロギの左腕を拘束した事で。左手に握る「白雨」の魔力を抑え、発動を止めたのだが。
「それじゃ……カムロギを倒せない、ッてワケかい」
再び、同じように「魔を喰らう鎖」で左腕を狙っても。魔力を抑えられていたのはカムロギも承知の筈、警戒をしているだろう。容易に成功するとは思えない。
それに、左腕に鎖を巻き付けるのに成功したとしても、先程までの決め手の欠けた状況に戻り。こちらの魔力、そして体力の消耗は積み重なるだけ。それではアタシの最終目的を達成するのに、支障を来す。
……カムロギを打倒するためには、彼が絶対の信頼を寄せる戦技を打ち破る必要がある。それも姑息な手法でなく、正面から。
「それに……もしかして」
アタシは先程、「魔を喰らう鎖」を巻き付けてカムロギの斬撃を弾き飛ばした左拳を、開いたり握ったりしてみた。




