229話 アズリア、カムロギの決断を見る
ジャトラの思惑通り、身体能力を強化する何かしらの薬の入った小瓶がカムロギの手に渡る。
そう思った、次の瞬間だった。
「……は?」『──な、ッ‼︎』
伸ばしたカムロギの手は、落ちてきた小瓶を掴むのではなく、払い除けたのだ。
受け取るのを失敗したのではない。自らの意志で小瓶を拒絶したのは、カムロギの手の動き、そして表情からアタシは理解する。
当然ながら、空中に飛ぶ鳥から落とされた小瓶だ。受け取る相手がいないなら、地面に落ちるしかない。
陶製の小瓶は簡単に砕け散り、中身の液体……おそらくは身体強化の効果の薬が地面へとぶち撒けられる。
「こ、コレが瓶の中身だってえのかいッ?」
地面に広がっていった黒い染み。だが、黒い液体はまるで湯が沸くように泡を立て、黒い靄を発する。
その時点で、あまりに禍々しい変容を見せた小瓶の中身だったが。足元で起きている状況に、アタシには見覚えがあった。
「まるで、あの蛇人間の血と同じ……ッ」
シラヌヒまでの道中にアタシらを襲撃してきた、頭部が蛇で、全身のあちこちに漆黒の鱗を生やした蛇人間。
蛇人間を返り討ちにし、その血が地面に流れた時にも。まさに小瓶の中身の液体と同じ反応を見せていたのだから。
もし、小瓶をカムロギが手に取り、ジャトラの言う通りに中身を飲み干してしまっていたら。カムロギもまた、魔物に変貌していたのだろう。
「──てコトは、あの男ッ!」
アタシは即座に、先程までジャトラのいた城の最上階を睨み付けた。
何故なら、アタシらが倒した蛇人間の正体とは。魔竜の魔力で変貌していた、ジャトラの妻子だったのだから。
「妻や子供だけじゃ飽き足らず……カムロギまで魔物にしようとしたッてコトかよ……ッ」
自分の家族を魔物に変え、手駒にした非道さを思い出した事に加え。カムロギをも魔物に変えてしまおう、という邪悪な意図に。
ジャトラに対する怒りの感情が胸に湧き上がる。
「……待てよ? ッて、コトは」
と同時にアタシは、先程のカムロギの行動にも疑問が湧いた。
小瓶を払い除けた、という事は。果たしてカムロギは中身が魔竜の魔力を受けた物だということを知っていたのだろうか。
「カムロギ……アンタは知ってたのかい?」
「いや」
だが、カムロギはアタシの問いに首を横に振る。
そう答えたカムロギの視線はアタシを向いてはいたが。彼の顔は、地面に落ちて黒い靄を湧かせた中身に僅かに動揺しているようにも見えた。
何しろ、地面に触れれば沸き立つような危険な液体を飲まされかけたのだ。
「だが。中身を知っていたら尚の事、中身を手にする気はなかっただろうな」
それだけでなく、あの液体は魔物に変貌してしまう魔竜の魔力の影響を受けた「何か」なのは確実だ。
フブキに聞いた話では、ジャトラの妻子が特段優れた身体能力を有していたわけではない。それが、いくら油断していたとはいえユーノの不意を突く程の動きが出来るまでに強化される、のだとしても。
「……だろう、ねぇ」
つい先程の攻防で深傷を負ったカムロギだが、アタシも相当数の傷を負っている。言わば、アタシとカムロギの戦況はほぼ互角。
魔物となり人間を捨ててまで勝利を拾うには、まだ早過ぎるというわけだ。
そうアタシが言葉を返したのを最後に、カムロギが何も話さなくなった。小瓶を最後に、城の最上階からジャトラが介入するのも止み。
カムロギの左腕と「魔を喰らう鎖」で繋がったまま。体力を少しでも回復しようと、アタシとカムロギの息を整える音だけが響き渡る。
──一時の静寂の後。
「少し……長い話をしようか、アズリア」
先に口を開き、二人の間の沈黙を破ったのはカムロギだった。
提案を不思議に思ったアタシ。何故なら、今の状態を維持したままでは、時間が経過すればするほど不利になるのはカムロギ側なのに。
今、カムロギの左腕に絡み付く「魔を喰らう鎖」は、触れたモノから魔力を吸収する特性がある。つまりカムロギは、鎖で繋がれている間は常にアタシに魔力を「喰われ続ける」のだ。左手が握る魔剣「白雨」が帯びる魔力ごと。
それは、魔力を吸われるカムロギが一番理解している筈だが。他でもない当人が、アタシとの対話を希望しているのだから。
「……イイぜ。アンタの話、聞いてやるよ」
「ありがたい」
アタシは「話を聞く」という返事が口だけでない事を示すように。構えていた大剣を一旦下ろし、切先を地面へと置いた。
勿論、カムロギの言葉を完全に信用したわけではない。構えこそ解きはしたが、相対する相手への警戒は解いてはいない。
「さて。お前が聞きたかったのは、俺が何故、ジャトラに力を貸し、お前に刃を向けているか……だったな」
「ああ、散々アンタが逸らかせてくれたけどねぇ」
カムロギが切り出してきた話題は、まさかのジャトラ側に加勢した動機であった。
戦闘を開始してからアタシが二度聞いたが、その度に話の焦点を逸らし、攻撃で返されたり、霧の中に逃げられたりと、答えが聞けなかった話題でもあった。
「……俺にもかつて、愛する『家族』という存在が、いた時期があった」
アタシが大剣を下ろした事で、ようやく視線をアタシから外し。先程、地面に落ちた小瓶の中身が作った黒い染みを、物静かな視線で見つめながら。自分の過去について語り始めたカムロギ。
自分の妻子の話をするのに、地面の染みを見ているのかというと。おそらく……ではあるが、小瓶が割れた際に。
『まるで、あの蛇人間の血と同じ……ッ』
『妻や子供だけじゃ飽き足らず……カムロギまで魔物にしようとしたッてコトかよ……ッ』
とアタシが発した言葉から、何かを感じ取ったのかもしれない。
カムロギの言葉には「時期があった」と過去を示していた事で、大体の事情は察したが。アタシは敢えて、無知を装い。
「でもアンタ。あの拠点にいた時にゃ、もう」
だが、過去を語るとカムロギが口にした以上。過去を知るために、アタシの疑問には答えてもらう必要がある。
今度ばかりは左腕を鎖で束縛している。回答を避け、会話から逃げようにも逃げられはしないのだ。
「ああ、アズリア。お前の言う通りだ。俺の妻と子は、五年程前に、既に生命を落としているのだからな」
「……やっぱり、そうかい」
フルベの街の郊外にあった盗賊団の拠点にて、カムロギと初めて遭遇した時には既に。カムロギの言う「妻」に当たる人物の姿はなかったと記憶している。
或いは、イチコら三人の少女の中には本当にカムロギの娘がいる可能性もあったが。彼は、正直にその可能性を否定してみせる。
「悪かったね。辛い話をほじくっちまって、さ」
妻子が既に離別、もしくは死別していた事はある程度推察は出来ていたのに。再び、カムロギの過去の傷を抉る真似をした事を。ただアタシは謝罪する。
たとえこの後。
戦闘が再開し、生命を奪い合う関係だったとしても。




