220話 アズリア、死闘は続く
実を言えば。アタシはまだお嬢を信用したわけではなかった。
当然だろう、幼少期に受けた虐めや屈辱は帝国を出奔し八年になっても。そう簡単に、頭から拭い去れるわけではないのだから。
それに、お嬢がアタシの行方を追ってきた理由も、こちらはまだ不明なのだ。
もし、お嬢が砂漠の国の一件を恨みに思っていたり。ホルハイム戦役で帝国軍が敗北した責任を、アタシに理不尽に押し付ける意図があるとするなら。下手に加勢され、背中を預けるには危険が付き纏う。
だからアタシは。お嬢を睨む眼に、さらに圧力を込める。
加勢しようとするお嬢を、後ろへと下がらせるために。
「……だったら。大人しく退がってな、お嬢、ッ」
「く、っ……あ、アズ、リアぁ……っ」
アタシの視線に込めた圧力を、真っ向から受けてしまったお嬢は。悔しさの感情を顔に滲ませながら、一歩、また一歩後ろへと蹌踉めく。
──しまった。
カムロギとの戦闘中で傷を負い、感情が昂っていたためか。アタシはお嬢に、今自分が抱いていた感情をそのままぶつけてしまった。
そんな事をすれば、砂漠の国で再会した時のように。自尊心の高いお嬢が癇癪を起こすのは想定出来ただろう。
砂漠の国の時だって、お嬢が「帝国の特使」だと知っていれば。街中で叩きのめす……なんて短絡的な決着方法は取らなかったのに。
結局、あの時は魔族の大侵攻を知ったアタシは。帝国からの申し出を待ってもらう条件に、お嬢への謝罪として地面に額を付ける羽目になった。
……また同じ過ちを繰り返すのか、とアタシは危惧したのだったが。
「お……お前の言い分、わ、わかりましたわっ!」
怒鳴り散らすと思っていたお嬢が、一度は鞘から抜き握っていた純白の長剣を鞘に戻すと。
納得がいかない、という表情こそしているものの。ユーノらが寝ていた場所へと大人しく引き下がっていった。
「で、ですが! このベルローゼ・デア・エーデワルトにそこまで大口を叩いたのです。おめおめと敗れるなんて、この私が許しませんわよ!」
「……お嬢、ッ」
癇癪を起こさず、長剣を鞘に納め、素直に退いてくれただけでも意外すぎる反応だったが。
後ろに下がったお嬢の口から、アタシを鼓舞し、叱咤激励する言葉を投げ掛けられるとは。
「ああ、任せておきなよ」
まだ、気を許したわけではないが、今のお嬢の言葉に。先程「篠突く雨弾」で傷付いた全身の痛みが、スッ……と引いていく感覚。
アタシは、背後に下がったお嬢へと、振り向く代わりに大剣を握らない空いた左腕を上げて応えてみせると。
目線を切ることがなかった目の前のカムロギへ。
「……さてと、悪かったねぇ」
「構わん。時間が空いたおかげで、俺も傷の回復が出来た。何より──」
戦闘を中断してしまったことへの謝罪を、アタシは簡単に済ませていくと。
全力での勝負を渇望していたカムロギは、意外にも苛立ちではなく、薄ら笑みを口元に浮かべながら。
「アズリアとの楽しい勝負に水を差されずに済んだことに、感謝している」
「ははッ、そりゃ、どうもだ」
続くカムロギの言葉を軽くいなしたアタシだったが。胸中ではカムロギと同じ心情だったりする。
お嬢やカサンドラらの加勢を、アタシが拒否した一番の理由は。互角以上の技量を持つカムロギとの対決が楽しくなってきていたからだ。
双剣を交差させる一撃や、風斬る飛ぶ斬撃、さらに攻撃魔法を織り交ぜた多彩、かつ強力な攻撃にアタシは何度も窮地に陥ったが。
一方で、強敵であるカムロギと剣を交える度に、心が沸き立つのを感じていたのもまた確かだ。
「さあ、再開しようかカムロギ。見せてやるよ、アタシの本気ッてヤツを、さぁ」
アタシは今一度、大剣を握りながら。右眼に宿る「巨人の恩恵」の魔術文字を発動させようとする。
二五年もの間、生まれながらに右眼に宿していた、アタシと一番長く付き合ってきた魔術文字だ。もう詠唱も血の触媒も必要なく、「発動する」と考えた時点で効果を発揮出来るからだ。
こちらの呼び掛けに応えるように。向き合っていたカムロギもまた、左右の手に握っていた二本の曲刀「黒風」と「白雨」を構え。
「ああ、始めるぞアズリア!」
アタシが大剣を肩へと担ぎ。足元の大地を踏み込んで、地面を蹴り出すのと同時に。
カムロギもまた、アタシに向かって凄まじい勢いで突進を仕掛けてきた。
互いの武器の攻撃範囲外にはいたものの、アタシとカムロギとの距離は一〇歩も空いてはおらず。二人が同時に前進すれば、一瞬で武器の間合いに侵入するのは当然であり。
「カムロギ、受けてみやがれッッ!」
裂帛の気合いの声とともに、担いだ大剣を肩で跳ね上げ、突撃した勢いを刃に乗せ。カムロギへと振り下ろしたアタシの渾身の一撃が。
同じく真っ向から突進してきたカムロギの、交差させた双剣と衝突した。
互いの武器が粉砕するか、と思う激しい衝突音。
二本で受け止めた、にもかかわらず。アタシの大剣の威力を相殺し切ることが出来ず、左右双方の曲刀を弾いていくが。
アタシの大剣もまた、カムロギが放った左右二撃の衝撃を完全に受け切る事が出来ず。握っていた大剣が大きく弾き飛ばされてしまう。
「まだ……まだだあああッッ!」
アタシは体勢を崩したが、カムロギもまた左右の武器を弾かれ、大きく隙を作っている。
ならば、と。右眼の魔術文字の魔力を、右腕へと巡らせていき。アタシは弾かれてしまった大剣を迅速に立て直し、カムロギが体勢を整え直すよりも先に、出来た隙を狙った一撃を放つ。
だが、カムロギもアタシと同じ発想だったようで。
再び攻撃を仕掛ける機会が、僅かの違いもなく噛み合い。再びアタシの大剣とカムロギの二本の刃が衝突し、空中で激しく火花を散らす。
「ち、い……ッ!」
三度、四度……とアタシとカムロギの衝突は続き、数度目かの激突の後。
威力が拮抗した状況に、思わず舌打ちをしてしまうアタシ。
右眼の魔術文字を発動したのみのアタシでは、カムロギの二本同時の攻撃を一方的に押し切ることが出来ずにいたためだ。
しかし一方で、アタシの攻撃は。カムロギの左右の曲刀が、それぞれ別途の箇所を狙って攻撃を仕掛けてこないための布石でもあった。
もしカムロギが左右で狙う部位を変えてくれば、アタシも防御が難しくなるだろうが。カムロギもまたこちらの大剣を受け切れずに、互いに傷を負う結果になる……と知っているから。
「く、っ?……威力が、増してる、だと……っ?」
そう苦々しく呟く言葉とは正反対に、カムロギの顔には無意識に笑みが溢れ。
彼の両の眼に、さらなる戦意の火が灯るのがアタシには分かってしまう。
「だが──それでこそ! 魔剣を持ったオニメを倒したお前こそ、俺の本気を出すに相応しい相手だ!」
◇
「……どうなさいました、お嬢様?」
加勢を断られたベルローゼは、戦闘を再開させた二人を睨むように観戦しながら。
口元に指を持っていったかと思うと、途端に指の爪を噛み始めたのだ。
「許し難いですわ……アズリアは、私のモノなのに、っ」
苛立ちを覚えた時に見せる悪癖、それを女中──セプティナはそれとなく指摘したのだが。
どうやら女中の言葉は、爪を噛むベルローゼの耳に入ってはいない様子だった。




