218話 アズリア、魔法の直撃を喰らい
カムロギの掛け声と同時に、正面からではなく周囲に感じる魔力の気配。
しかも、今カムロギが口にした魔法は。アタシも知らない種類の魔法だった。名前からおそらくは、水属性の攻撃魔法であると推測は出来るが。
詠唱無しで、魔法を既に発動されてしまったのだと悟ったアタシは。一旦カムロギから距離を空けて、魔法の直撃を避けようと試みるも。
「し、しまッ──?」
先程、カムロギの不意の一撃を未然に防ぐために手首を掴んだアタシだったが。
その行動を逆手に取り、今度はカムロギがアタシへと圧を掛けてきたのだ。即ち、掴んだ手首を離せば「容赦なく斬る」と。
これでアタシは後方への退路を封じられた。
ならば、道は一つ。
「なら、先にカムロギ、アンタを叩っ斬るまでだあああああ!」
既に魔法は発動している。先程までのように時間を懸けている余裕はない。
アタシは、魔法が自分に到達するよりも先に。大剣を受け止めていた漆黒の刀身を弾き飛ばし、カムロギに刃を届かせようと力を込める。
術者に傷を負わせれば、魔力の集中は途切れ、発動した攻撃魔法そのものを逸らすことが出来るかもしれないし。迫る攻撃を避けるためカムロギが退けば、前方にも後方にも魔法からの逃げ道を確保出来るからだ。
「ぐ、う、おおおっ⁉︎」
魔法の発動に気を取られたためか。先程までこちらが優勢ではあったものの、刃と刃が拮抗する状態だったのが嘘のように。カムロギの「黒風」を弾き飛ばしたが。
それがアタシの限界だった。
その直後──背中に感じたのは、鋭く尖った何かで刺されたような痛み。
「は、背後から、ッ? で、でもこの程度──」
どうやら背中に負った傷は、肌を貫きはしたものの、そこまで肉を深く穿つ威力ではなかったが。
それでも、突如として背中に走った激痛に反応してしまうアタシ。しかし、カムロギが発動した魔法はこれで終わりではなかった。
「ぐうッ! こ、今度は右だとッ?」
次に身体を貫かれた痛みを感じたのは、右の腿だった。右半身は、魔術文字との「誓約」のために装着している鎧が左半身より薄い。
痛みを感じた箇所は、まさに左腿ならば装甲で覆われていた部位だった。
しかも、アタシの身体を貫いた物の正体。
それは、霧の中から降り注ぐ水の粒だった。
「ッて……コトは」
魔法の正体を知ったアタシに戦慄が走る。
周囲を包み込んでいた白い霧が、一斉にアタシに向けて身体を貫く威力の雨を浴びせてきたら……と頭に浮かべたからだが。
次の瞬間、アタシの想定は現実となった。
「──来るッ!」
身体に傷を負わせる威力の水滴が、周囲の霧から前後左右、一斉に放たれたのだ。
水滴の一斉放射の機会を察知出来たのは、カムロギが巻き添えを避けるために後ろへと飛び退いたからだが。
逃がすまい、と距離を空けるカムロギに牽制代わりに大剣を振り抜いておいたが。魔法で狙われた状況とあっては、攻撃が当たるかどうかは問題ではなく。
寧ろ、掴んでいた手首を振り払って逃げてくれたのは、アタシにとっても好都合だった。
「ち、いッ……一つ一つは大したコトない威力だけど」
アタシはまず、自由となった左腕で顔、特に両眼を覆い。鋭い水滴で眼を負傷するのを絶対に避けようとする。
先に水滴が直撃した背中や右腿からは血が流れ、肉を抉る傷を負っていた。目蓋を閉じた程度では、両眼に直撃した場合に永久に眼を失う可能性があったからだ。
周囲から浴びせられる「篠突く雨弾」の水滴の弾が身体のあちこちに直撃するものの、鎧で覆われた箇所は装甲が変形した程度で済んだが。
鎧のない、肌を露出させた部位……主に右半身は水滴が肌へと突き刺さり、無数の傷を負ってしまう。
「……ぐッ、こ、こうも数が多いと、や……厄介だよ、ッたく!」
カムロギが発動させた「篠突く雨弾」はアタシが知らない魔法なので、いつ水滴の放出が止むのかも見当が付かない。
一つ一つの傷は致命傷に届かない軽度だが。こうも水滴の放出が続くと、際限なくこちらの体力が削られていってしまう。
しかも周囲から浴びせられる無数の水滴は、まるで激しく降る雨のようにカムロギの姿を隠し。反撃の機会すら奪われてしまう。
「こ……こうなりゃ」
打開策を考えたアタシは、身体のあちこちに負った水滴の傷から流れた血を拭った指で。
「我は赤檮に誓う、全てを護る盾よ──yr」
腹に魔術文字を描くと同時に、右眼と左肩で発動中の「巨人の恩恵」の魔術文字の効果を解除する。
こうして発動させた魔術文字は「赤檮の守護」。
獣人族と魔族を統べる強大な力を持つ魔王リュカオーンの一撃にも耐え得る、何者にも突破を許さない魔力の防御障壁を形成する魔術文字だ。
腹に描かれた「赤檮の守護」の魔術文字から発せられた赤い光が、アタシの全身を一瞬にして包み込んでいく。
「ホントは、使いたくなかったんだよねぇ……」
最初から、強力な防御障壁を展開出来る魔術文字を使わずに。自力でカムロギの攻撃魔法を耐え切ろうとした理由。
それは、「赤檮の守護」の魔術文字を発動するには。今、アタシの身体に力を巡らせている二つの魔術文字の効果を解除する必要があったからだ。
たとえ魔法を防御出来ても、「巨人の恩恵」の効果がない今、カムロギの剣撃を受け止めるにはアタシでは力量不足だ。だから最後まで「赤檮の守護」の魔術文字を使うかを悩んでいたのだったが。
アタシの魔力の器が成長すれば、或いは二つではなく、三つの魔術文字を同時に発動させる事も可能かもしれないが。今はまだその時ではない。
防御障壁の効果で、アタシの周囲から満遍なく降り注ぐ雨のような勢いの水滴は完全に遮断された今。
ようやく両の眼を水滴から守る必要性がなくなったため、自分が置かれていた状況を冷静に判断出来る機会を得る事が出来る。
アタシは防御のため塞いでいた目を開くと。
「ふぅ……お、霧が晴れてる、ねぇ」
見れば、今まで戦場を覆い尽くし、あれだけアタシを苦しめてくれた白い濃霧がすっかり消失していた。
理由は分からない、が。おそらくは今、カムロギが発動させた攻撃魔法が影響しているのではないか、とアタシは推察している。
魔王の攻撃を防ぐ程の障壁だ、アタシの身体に傷を負わせる程度の威力では障壁を突破する事は不可能だろう。
そんな心の余裕からか、障壁に阻まれた水滴が衝突する音を数え。その数が三〇に達しようとした時だった。
「そろそろ……かねぇ」
アタシはてっきり、水滴が止んだと同時にカムロギが双剣を構えて斬り掛かってくるものかと警戒していた。
水滴が障壁に激突する音を数えていたのも、警戒を切らさないためだったのだが。
先程まで激しく降り注いでいた水滴が嘘のようにピタリと止み。霧と見間違う程の、水飛沫が作り出した靄が晴れていくと。
「……ん?」
アタシの目の前には、こちらを睨み付けながらもその場に立ち尽くしていたカムロギの姿があった。
「篠突く雨弾」
水属性の魔力を触媒として、大気中の微細な水を一点に集束させる……という一連の動作を一〇、あるいはそれ以上の数を同時に発動し。一斉に対象に向け浴びせていく。
水弾の集束点は術者の任意で設定出来るため、回避は非常に困難だが。魔法の威力は肉を抉り、鎧を曲げる程度であり。骨や鉄を穿ち、貫通する威力ではない。
水属性の中でも上級魔法の難易度の攻撃魔法。
なお、この魔法の特性として。事前に水属性の魔法の効果を残しておいた場合。水属性の魔力の集束を無、にではなく。魔法の残滓から発動させる事で、魔法の発動難易度を軽減することも可能。




