12話 アズリア、串焼きを精霊に奪われる
ランドル男爵との食事会は夜からだそうだ。本人の目の前で男爵と呼ぶと嫌がるから心の中でだけ男爵付けで呼んであげるけど。
それまで呆けて待っているのも何なので、案内された屋敷の離れに旅の荷物と武具を置いて、時間が来るまで王都を見て回ることにした。
王都シルファレリアは大陸の近辺諸国と比較しても一番繁栄しているシルバニア王国の、貨幣や人が集中している都市だけあって。
街の至る所は石で舗装されているだけでなく、染料で模様が描かれていたり。建物も無骨な造りではなく白く壁が補強されていたりと、公衆浴場や劇場など文化的にも先鋭的な都市だったりする。
「北は帝国のせいで戦争、戦争だから土地も街も荒れ放題だけど……やっぱ平和で豊かに栄えてる国は、もう何もかも違うモンだねぇ」
そんなアタシは大剣と同じクロイツ鋼製の無骨な部分鎧を外し。道中で購入した布切れで胸を潰すように巻き、下半身は膝下まで脚を隠すように生地を腰に巻く……という、この王都ではかなり露出度の高い格好で街を闊歩していた。
その格好は見る人間が見たら、南方に住む女性だけの戦闘民族か、もしくは海辺の漁師や砂漠の民を連想するのだろう。
「むぅ……今まであまり気にゃしなかったけど、ここまで人が多い都市でジロジロ見られると、少し……恥ずかしくなってくるねぇ……」
もちろん道すがらアタシの格好を見た通行人ら、特に男性にはその高い露出度のためか、余分に視線を集めてしまっていた。
そんなアタシの鼻に、ふわりと入ってきた何とも美味そうな香り。
「ん?……あの屋台からイイ匂いがするねぇ……どれどれ」
王都の中央通りに立ち並ぶ無数の屋台からは、通行人を引き止めるかのように様々な匂いが漂っていたが。
そのどれもが実に美味そうな香りをしていたものだから、思わずアタシは腹の虫を鳴らしてしまった。
「財布にゃ問題ないけど……さて、どうするね、アタシ?」
ふとアタシは、腰にぶら下げていた貨幣を入れる小さな革袋に視線を落とす。
幸運にもランドルからの依頼料で懐に余裕はあったが。これから夕食に招かれ塩釜焼きを食べるというのに、何かで小腹を満たしてしまってよいのか……と。
立ち止まって、一瞬だけ悩みはしたものの。
「まあ、屋台の料理程度じゃアタシの腹は満たされないし……イイか」
すっかり食欲を刺激されてしまったアタシには、屋台からの匂いに抗える術もなく。
屋台の一つにフラフラと近づいていくと、その屋台で提供されていた獣肉の串焼きに目がいく。
「親父さん、この串焼き美味そうだな」
「おっ、姉さん。旅の傭兵か冒険者かい?」
「やっぱこんな格好だとわかっちまうか〜。ちなみにこの串焼きは何の肉だい?」
「これは近くの森で獲れた、いわゆる一角兎さ。それに俺特製の調味料で味付けしてある」
一角兎は頭に鋭く長い角を持ち、赤ん坊ほどの小型ながら素早い動きで平野で穴を掘って暮らす獣だ。
慣れれば子供でも捕獲出来る強さだが、油断すると大人でも頭の鋭い角で生命を落とし兼ねるとあって。専ら捕獲は街で登録した冒険者の良き獲物とされ、暴角牛と比較すれば街で扱うのは珍しくはない獣肉だ。
……それなのに、である。
今、目の前の屋台から香ってきた肉の焼ける匂いは。今までアタシが自分で狩ったりして食べた一角兎とは、まるで別物と呼んでいいほど良い香りを漂わせていた。
「じゃあその一角兎の串焼きを一本貰うよ」
「毎度あり!」
と、気が付けば塩釜焼きのことを忘れ。目の前で香ばしく焼かれた一角兎の串焼きを購入していたのだ。
早速アタシは購入したての、湯気があがる串焼きの肉にかぶりつくと。
「……う、美味ッッ! 親父さん、この肉やたら柔らかいし、筋張ってない……コレ、本当に一角兎の肉なのかよッ?」
歯を入れるといつもの一角兎の肉で感じる筋っぽさや固さは全然感じない。それなのに噛み締めるたびに肉の旨味が唾液と混じって口の中に極上の肉汁を生み出していく。
本当にこれが一角兎か、と疑う程の美味に。
気がつけば串焼き一本がいつの間になくなってしまっていた。信じられない顔で屋台の親父を見ると、
「はっはっは!他の街の串焼きとは一味違うだろ? これはな……獲る時にコツがいるんだが、それは冒険者たちの企業秘密だ」
ニヤリとしたり顔でこちらを見ていた。
もちろん、追加で四本も串焼きを購入してしまったが、そのことに後悔はない。
寧ろこんな美味い串焼きに出会えたことを。別段信心深くもない癖に、思わず五柱の神様に感謝したくなってしまう程だった。
「いやあ、やっぱり路銀を切り詰めてでも王都に来た甲斐があったなあ……まあ、到着する前に食糧が尽きて行き倒れちまったけどねぇ」
串焼きの味に夢中になって食べ歩いていると、気がつかないうちに人通りの少ない王都の南側にある大きな樹の前にアタシは来ていた。
それにしても──立派な樹だ。
幹の太さが小さな小屋くらいはある。見上げてみると広がる枝葉はさすがに南側の区域を覆うほどでないにしろ、見たところ城壁の見張り台より高く繁っているのがわかる。
それだけではない、この樹からは普通では感じない何かを発しているような、そんな感じがしたのだ。
「ふふ────これは精霊樹、精霊が宿る樹よ」
と。
いきなり横から大樹の正体を教えてくれる可愛い声がしたのに驚きながら、その声がした方向に顔を向けると。
足元にいた緑色の長髪をたなびかせた少女が先程の屋台で売っていた一角兎の串焼きを食べていた。彼女はペロリと串焼きを食べ終えると、その串をこちらに手渡してきて。
「ご馳走さま、串焼き美味しかったわ。ああ……挨拶がまだだったわね、私はドリアード。この精霊樹に宿る樹の精霊よ。今度ともよろしく、アズリア」
そう言葉を残して、ドリアードと名乗る少女はその場からスッと姿を消してしまったのだ。
あるいは少女が名乗ったことが本当で、彼女はこの樹の精霊なのだろうか。
「あれ? 串焼きが一本ない……ってか、あの串焼き、アタシんだったのかよッッ!」
アタシは、買い溜めした一角兎の串焼きが一本足りなくなっているのに今さらながらに気付くと。
串焼きを盗み食いした少女へ、文句の一つでも言ってやるために去っていった方向へと振り返ったのだが。
「いねえ……ど、どうなってやがんだ?」
そこにはもう、あの不思議な少女の姿はなかった。
ウサギ肉、一度食べたことは作者もあるんですが。
哺乳類にもかかわらず牛や豚よりも、鶏肉に近い食感と味でしたね。
なので、ここに登場する角ウサギの串焼きも、焼き鳥やインドネシアのサテに近しい想像をしていただけるとありがたいです。




